凍れる、暴走












 ユウキの瞳は閉ざされたままだった。

 エイラムは動揺した。恐怖した。

「いったい、この者は‥‥なんだというのだ!?」

 叫びとともに繰り出されたエイラムの攻撃は、空を切った。ユウキの姿が消えた。

 背後に異様な威圧感を感じ、エイラムは振り向いた。ユウキがいた。目を閉じ、全く身構えもせず、ただ立っていた。

 言葉もなくその様子を見ていたティーナは、ようやくかすれた声でつぶやいた。

「あれは‥‥ユウキさんじゃない‥‥」




*                   *


 水晶球の傍らに立ち、〈剣〉の理事ガルダが言った。

「自己の否定と、それにともなう感情の完全凍結──“凍れる暴走”。ここまでは仮想の通りですな。彼の心だからこそできるものです。しかし、これが本当にそれほどの力を持つものなのでありましょうかか」

<理論というのは、影だ。あくまで現実という光があってこそ成立する。空論を並べ立てる必要はない。見ていればわかるだろう>

 壁にユウキとエイラムの戦闘の模様が映し出されている。いや、戦闘とは呼べないかもしれない。エイラムが何をしようと、今のユウキには全く通じていなかった。

 〈魔〉の理事バームのフクロウが喋りだす。

「パトスとは、感情を物理エネルギーという形で表現したもの。今の彼には皆目パトスは感じられぬ」

 妖精機より伝えられる、エイラムの咆哮が聞こえてきた。「なぜだ!? なぜきかんッ!?」

<──感情を凍らせた彼は、自我の枠にとらわれずに魔力を取り込み、放出できる。世界を構築する魔力を無限に使用できるのだ。いわばエイラムは、この世界そのものを相手にしているようなもの。中級妖魔ふぜいが太刀打ちできるわけはない>

「ユウキ君は今、この世界と一体化しているというコトですか」〈宮〉の理事ナンが言う。

<そうだ。これこそが、世界を支配する運命という名の力、“理法(ロゴス)”だよ>

「では妖魔を滅ぼすのが、世界の意思だと‥‥?」

 その問いに答えたのはガルダのほうだった。

「そうとは‥‥限らんがな」




*                   *


 エイラムの息は乱れていた。戦いが始まってから初めてことだ。抵抗もしなければ反撃もしないユウキから、エイラムは離れた。

「‥‥!?」

 エイラムはぎょっとした。目を閉じたユウキの顔が、エイラムの動きを追ってこちらに向けられたのだ。その唇が、静かに震えた。

「お前は、何を望む?」

 エイラムは、金縛りにあったように、自由を封じられた。

「何を選び、何を捨て、何を創り、何を壊す? ──お前の心を見せろ」

 またしてもエイラムの反応できぬうちに、ユウキは距離を詰めた。エイラムに向け、無造作に腕を伸ばす。

「お前は、完全なのか?」

 呪縛が解けた。エイラムは逃げた。誇りも何もかも捨て、ただ逃げた。足が何かに当たった。封印の魔剣エイミーだ。エイラムはそれを拾い上げ、握りしめた。

「二度と、封印などされてたまるものか! 私は生き延びてやるぞ、何としても!」

 逃げながらエイラムは火弾を乱射した。ユウキにはきかないことはわかっていたはずだが、もはやそれしかできなかった。そうせずにはいられなかった。

 ユウキは火弾を軽く手で払った。それは小さな蒸気の塊となって一瞬で消えた。

「私の攻撃が全て、散らされる‥‥」 エイラムは絶望の呻きを上げた。

「弱い心だ。不完全だな」ユウキが言う。「攻撃だけじゃないさ──お前も、散れ」

 ユウキの全身が、一瞬だけ白い光を放った。ユウキは指先をエイラムに向けた。

「う‥‥!?」

 無音にして、瞬時にして、エイラムの身体が砕けた。破片は見る間に細かな塵となり、風に溶けて消えた。




*                   *


「‥‥終わりましたな」 そう言うガルダの額には、冷たい汗がにじんでいる。「しかし3Ehエイラムが消滅させられました。学園の魔力が低下しますが‥‥?」

<問題ない、まだ254体いる。それよりも我々ははるかに貴重なデータを得た>

 ユウキの力を見せつけられ、他の理事たちは皆、言葉を失っていた。だが水晶球から響く声には、露ほどの動揺も感じられない。

<ユグドラシル・システムの根より“知恵の泉(ミーミール)”ユニットを切り離し、代わって“裁きの泉(ウルザンブルン)”ユニットを接続。事後処理は三聖女(ノルン)の修復機能にゆだねよう>

「‥‥了解」 バームが作業にかかる。

<世界の運命を司る、あらゆる生物を超越した理性──ロゴス。人の罪を戒める白の鎖、か>

 水晶がきらめいた。それに呼応し、壁の映像は、ユウキの姿を中心に映し出した。映像の彼に話しかけるように、水晶球から声が発せられた。

<──だが、それは我々が求める答ではないよ、ユウキ君>




*                   *


 ユウキは、直立不動で目を閉じたの姿勢のまま、立っていた。ただじっと立っていた。魂の抜けた脱け殻のようだ。

「‥‥ユウキ‥‥」

 弱々しい声が聞こえた。そして、今度ははっきりと。

「ユウキ!」

 ユウキはハッと目を開けた。

「アーリィ?」

 彼女は意識を取り戻し、身を起こしていた。いつの間にかその側にはティーナがいた。治療を受けながら、アーリィは笑って手を振った。

「すごいねー。ボクが気を失ってる間に妖魔を封印しちゃったの?」

 言われてユウキは周囲を見渡した。

「‥‥俺は‥‥いったい‥‥」

 ティーナがためらいがちに、声をかけた。

「ユウキさん。覚えてらっしゃらないんですか?」

「あ、ああ」

「じゃあ、あれは‥‥」

 ルージャが割って入り、明るく言った。

「あれはね、多大なパトスを使ったための、一時的な副作用みたいなものですよ。まだ慣れていないうちは、感情が混乱したり記憶が飛んでしまったりするんです」──ユウキの暴走がそんなものではないことを、ルージャはよく承知していた。ただ、この場はそう言って切り抜けることにしたのだ。「何はともあれ、めでたしめでたしですね」

「あっ‥‥!」 アーリィが思い出したように叫んだ。

「どうした、小娘」

「検定‥‥どうなっちゃうんだろう」

「こういう事故が起こった場合、中止でしょうね。まあ残念ですが、また次回挑戦することにしましょう。得られるものが何もなかったわけではありませんし」

 ルージャの言葉に、アーリィは元気にうなずいた。

「そうだね! 楽しかったし、いろんな経験もできたし‥‥」だがそこでアーリィは顔を曇らせた。立ち上がり、ユウキのほうに歩いていく。

「アーリィ‥‥」

 ユウキは謝ろうとした。自分のせいでアーリィに怪我をさせる結果になったことを。しかしそれは先を越された。

「ごめんね、ユウキ」

「え?」

「けっきょく、検定ダメになっちゃったね。ボクが無理に付き合わせたのにね‥‥やっぱ、ボクじゃ役に立てなかったよ。ごめん」

「そ、そんなことはないさ。ちゃんと役に立ってくれたよ。きみは──」

 ルージャが穏やかにそれをさえぎった。

「ユウキ先輩。心に対して理屈で返すものじゃありませんよ」

 ユウキは言葉を止め、少しの間考えた。

「アーリィ。今回がダメなら次回があるよ。これでパーティー解散ってわけじゃないんだろ」

 アーリィは驚いたような顔をした。「いいの? ‥‥まだ、こんなボクたちの仲間でいてくれるの?」

「──それは、こっちの台詞だよ」

 アーリィの顔が一気に輝いた。

「じゃ、頑張ろう! ‥‥そうだよね、いつだって次はあるんだよね」

 それを聞いて、ユウキはアーリィが前に言っていた言葉を思い出した。

 たとえきっかけが何であろうと、人と人との絆は永遠──形が変わっていくことはあっても、その関係には決して終わりというものはないのだ。

「おーい、君たち‥‥無事かねーっ!」 無数の羽根飾りを付けた妙に背の高い帽子を揺らしながら、向こうからヴィジタルが駆けてきた。

「ヴィジタル様? どうして‥‥」

「どうしても何も、本来は敵の魔術師役は私だったのだよ。このようなことになってしまい、検定の参加者は皆、避難させなければならなかったが」

「やっぱり検定は中止か」

 アーリィがため息をつく。

「しかしまあ、君たちに大した怪我がなくて本当に良かった。‥‥それに、安心したまえ。実習資格については私が上層部に直接かけあってあげよう。これだけのことをなしとげたのだからな‥‥嫌とは、言わせんさ」

「ほんとっ!? ありがとうございますっ、ヴィジタル様!」

 ユウキは喜ぶアーリィの顔を見て、それから他のメンバーの顔を見渡した。

「じゃあ、今度こそちゃんとしたパーティー名を決めなくちゃな」

 そのとき、ユウキの頭に閃いた言葉があった。『地上の星座』。




   第九章 地を這い生きる星たち



  「‥‥そうだ、こういうのはどうだろう」

 ユウキは一呼吸の間を置いて、言った。

「またたく星──“トゥインクル・スターズ”」





Back