この学園は、その外面の下に
何か深い宿命のようなものを隠している
シュラヴァートの言った通りの場所に、階段はあった──最終目的地、地下五階への階段が。
[第七章 ピンク&ゴールド]
階段の先は行き止まりになっており、そこに扉があった。降りてすぐに部屋になっているらしい。そして、その階段の下から二段目に、一人の男が背を向けて座っていた。後ろから見ても目立つのは、その頭である。燃えるような赤色に髪を染め上げ、派手に逆立たせている。
鼻唄など歌っていたその男は、ユウキたちの気配を感じたのか、振り向いた。耳につけられた金のピアスが揺れた。猫のような目をした、野性的な感じのする風貌の男である。
その男は、しなやかな動作で立ち上がった。ユウキたちは思わず身構えたが、男はニィッと人懐っこそうな笑みを浮かべた。
「おや? 他のパーティーの人っスかぁ? やっぱこの辺まで来ると、ルートも統一されてくるんだねえ」
男は、警戒の表情を浮かべたアーリィを見た。
「あ、そこの嬢ちゃん、オレを不良か何かと思ってたねえ? これだからイヤだよ、人を外見で判断する連中は」
「‥‥だったら、そんな外見しなきゃいいじゃない」
アーリィが言うと、男は目を細めて笑った。
「そりゃまあ、ごもっともで。けど、こういうのは個人の趣味の問題だからねえ。あまり口出ししてほしくないワケだよ」
「それはともかく、あなたも検定の参加者なんですか」 ルージャが尋ねた。
「そ。‥‥オレのパーティーの連中、ちょっとこの中で作業してるもんで。ここで見張りをやってるの。敵ってのは、そのフロアにいるだけとは限んないからねえ。上から来るかもしんないし。──ということで悪いケド、ちょっとばかし待ってもらえないかなぁ。ここを通るのはさ」
クラウドが言った。
「ふん、ならばまず名前と所属を言え。本名もまともに名乗れんような奴は信用できんな」
「おや、それもそうっスねえ。オレは“シャイニング・ブレード”のルーナエっていう盗賊で──」
「シャイニング・ブレード!?」 アーリィが大声を上げた。
ユウキとアーリィに挑戦状を叩きつけていった (ぶつけ返されもした) “黄金の貴公子”ことソーリスの率いるパーティー、それがシャイニング・ブレードという名だった。
「じゃ、じゃあ、その扉の向こうにあのキザ野郎がいるんだなっ」
アーリィは一段飛ばしで階段を駆け降りた。
「キザ野郎というと、うちのリーダーのコト? なんだか事情があるみたいだねえ」
「あいつとはいつか勝負をつけようと思ってたんだ。願ってもない機会だよ!」
アーリィは、腰の剣に手をかけた。
「さ、そこを通して。さもないと力ずくで通るからね」
ルーナエという盗賊は、首をすくめた。
「ひゃー、怖い怖い。いくらオレでも、六対一で戦うほど馬鹿じゃないよ。あんたらはモンスターじゃないし、そういうことなら、いくらでも通ってくれていいっスよ」
ルーナエが脇に退くと、アーリィは半開きの扉に手をかけた。そのとき、ルージャの声が飛んだ。
「あ──アーリィ先輩、危ないですよっ」
扉を開けるやいなや、上から何かが落ちてきた。アーリィは素早く小剣を抜き、剣の腹でそれを叩き落とす。落ちてきたのは、砂の詰まった革袋だった。扉と壁の間に挟んであったらしい。
「あはっ、惜しかったねえ」 ルーナエが言い、アーリィの横をすり抜けて部屋に飛び込んだ。「あんたらに恨みはないけど、やっぱパーティーを裏切るワケにはいかないっしょ? 悪く思わないでねえ」
アーリィは、ルーナエを追うように部屋に足を踏み入れた。ユウキたちもあとに続く。 見覚えのある黄金の光が彼らを出迎えた。
「誰かと思えば、君たちか」
五人の仲間を従えた“黄金の貴公子”ソーリスは、アーリィたちを眺め回した。
「まさかこの検定に参加していたとはね。しかも残りのメンバーは、奉納品泥棒とお子様じゃないか。‥‥まったく、いつもながら君たちには、何と言っていいかわからなくなる」
クラウドがソーリスをにらみ返した。
「お前は確か、自称“黄金の貴公子”のソーリスだな」
「ほう、僕を知っているのか。コソ泥ながら感心な奴だ」
「知っているとも。某国の貴族の御曹司で、この学園では指折りの金持ちだからな。俺の 『金をかすめ取る絶好のカモ』 リストでも、貴様の名はトップ近くに記されているぞ」 クラウドは怪しげな手帳を取り出した。「このリストに載るには、ただ金を持っているだけでは駄目だ。適度に頭が抜けていて、プライドばかりが高く、実力は大したことのない‥‥そういう限られた者だけが俺に目をつけてもらえるのだ。光栄に思え」
クラウドの言葉を聞くうちに、ソーリスの顔に明らかな怒りの色が浮かび上がってきた。
「‥‥とことん僕の神経を逆撫でする輩が揃っているな、そちらには」
ソーリスは、輝く金色の剣を鞘から引き抜いた。
「いいだろう! この間の決着を、今ここでつけようじゃないか! お互いにパーティーを率いてな!」
「望むところだよっ」
アーリィも弓を構えた。
「ユウキ、今度は止めないよね?」
「ああ。そもそも決闘を受けたのは俺だからな。‥‥でも」
ユウキは、ちらりとルージャのほうを見た。
「ルージャ、こういう場合、校則はどうなってる?」
「はい。校則第362条第4項により、検定においてのパーティー同士の戦闘は禁じられています──が」 ルージャは小悪魔的な微笑を浮かべた。「知らなかったことにしておきましょう。こんな面白いイベントは見逃せませんよ。なーに、あとでいくらでも言い逃れはできます」
それを聞き、ユウキは剣を構えた。そのとき、ソーリスの後ろから一人の男が進み出た。
「おい勇者、さっきから聞いてりゃソーリスのことばかり言いやがって。まさか俺を忘れたんじゃないだろうな」
大剣使いの巨漢──公園でユウキに倒された男、マルティスだった。今日は確かに、背中に巨大な剣を背負っている。
「俺も男だ。前回の負けは素直に認める。だが、パーティーとしての力はどっちが上かな? 借りは返させてもらうぜ」
「あんたもシャイニング・ブレードの一員か。つくづく、因縁だな」
「ユウキさん、やめましょう。争いは何も生み出しませんわ。それも、学生同士で‥‥」
ティーナが止めようとした。すると、シャイニング・ブレードの僧侶、メルクリィが、ティーナに向かって言った。メルクリィも《海》のクライスに仕える者であり、ティーナにとっては直接の先輩ということになる。
「そんなものは臆病さの言い訳でしかないぞ、ティーナ。これだけ状況が整っているんだ。これも神の思し召しさ」
「クライス様は‥‥こんなことを望んだりはしません!」
「──ずいぶんと、偉そうな口をきけるようになったものだな。オドオドしているだけが能の、あいのこが」
ティーナは思わず目を伏せてしまった。しかし彼女は唇を噛み、再び顔を上げた。
「それが何だと言うんですか?」 声は震えていたが、その口調はきっぱりとしたものだった。「誰であれ、人は一つの要素だけで生きているわけではないでしょう」
メルクリィはティーナの言葉を黙って聞いていた。その顔には、かすかにうっすらと笑みが浮かんでいた。
「‥‥本当に、よく言えるようになったものだ。いい仲間に恵まれたな。──だが、それでこそ倒しがいがある!」
「熱くなりすぎるのは良くないよ、メルクリィ君。ソーリス君、マルティス君もだ」
横に控えていた、杖を持った魔術師らしい年長の男が言った。
「ウェネリ‥‥」
「我々の目的は検定なんだ。ここでもし彼らに負けたとしても、無茶をしなければまだ合格できる可能性はある」
「おいおい、ウェネリのおっさんよ」 拳にナックルをはめた小男が、乱暴な口調で言った。
「戦う前から負けなんて言葉を口に出さないでくれ。このヨウィス様がいる限り、あんな下級生ども、ワケないぜ」
「あはっ、そうだよねえ」赤い髪のルーナエが猫目を光らせた。
フォーメーションを取りながら、ソーリスが言う。
「そう言えば、君たちのパーティー名を聞いていなかった。これは僕個人の戦いではなく、我らシャイニング・ブレードとしての戦いだからね。相手の名を知らぬ決闘というのも妙なものだ」
「俺たちは──」
ユウキが静かに答えた。
「書類上では、“勇者ユウキと仲間たち”ってことになってる」
気まずい沈黙が流れた。
「ユウキ、律儀にそんなのにこだわらなくていいんだってば!」
ソーリスが、こめかみをひくつかせながら、言った。
「わかった。今、気付いたよ。君たちはあくまでこの僕を馬鹿にするつもりなんだね‥‥?」
「馬鹿にするつもりなどない。カモにするつもりはあるがな」
クラウドのその言葉が、ソーリスの怒りに火をつけたばかりか油まで注ぎ込んだ。
「──行くぞっ!! 皆、徹底的にやりたまえ!!」
まず、大剣使いのマルティスが動いた。巨漢に似合わぬスピードでユウキめがけ突っ込んでくる。ユウキは、足元が揺れるような錯覚にとらわれた。
「うおぉぉぉっ!」
マルティスは走りながら身体をかがめると、背中の大剣を引き抜いた。しかしユウキの視線は、ソーリスのほうに注がれていた。
「戦士だからって、闇雲に突撃するばかりが能じゃない」
ぽつりとつぶやいたあと、ユウキははっきりと叫んだ。仲間たちへの指示だ。
「‥‥アーリィ!」
名を呼ばれただけで充分だった。彼女は弓を引き絞り、矢を放った。
「ぐっ‥‥!?」矢はマルティスの右手に突き刺さった。持っていたのが並の剣ならば、そのまま耐えられたかもしれない。しかし傷ついた腕であの大剣を支えるのは不可能だった。剣の巨大さに見合った音を響かせて、それは床に転がった。
「武器に溺れたね」 にっこりと笑いながらアーリィが言う。「威力はあるけどモーションも大きい。そういうのは、使いどころを考えなくちゃ」
「くっ‥‥こうなったら、素手でも!」
マルティスは目標をアーリィに変え、左腕で殴りかかろうとした。アーリィは素早く、第二の矢を背中の矢筒から取り出してつがえた。それは、マルティスの予想をはるかに上回る動作だった。
「‥‥弓は遠距離専用の武器だと思ってる人が多いけど、それはあくまで初心者の話なんだよね」
鋭い矢じりが、マルティスの鼻先にピタリと狙いを付けられている。
「この距離じゃ加速はつかないけど、そのかわり避けることもできないでしょ? この弓は強いから、これでも充分に人の顔ぐらいは貫けるよ。降参したほうがいいと思うな、ボクは」
マルティスが戦意を失ったのを横目で見届け、今度はユウキが走りだした。ソーリスをめがけて、である。
「戦士たるもの、常に戦況を正確に把握してなくちゃいけない。接近戦は最後の手段、これは鉄則だよ。戦士は‥‥戦場の指揮官なんだ」
走りながら、ユウキはまた指示を出した。
「ルージャ、クラウド、俺が大将を押さえる。その間に残りを片づけてくれ。やり方は任せる」
「──ふん、面白い」
クラウドが突然、ユウキに負けじとダッシュした。
「俺も、奴らにレクチャーを施してやるとしよう」
装備が身軽なぶん、クラウドはユウキを追い抜き、メルクリィやウェネリのいる敵の後衛に踏み込んだ。長い金髪が宙を踊る。
ウェネリが驚きの声をあげた。
「突っ込んでくる、だと! このエルフ、魔術師ではないのか!?」
「魔術師さ。‥‥ただ、後ろからちまちま魔法を飛ばすだけのスタイルが古いのだ。なにしろ魔術師は、複数攻撃を得意とする
職 ──それを生かすためには敵陣に飛び込むことも必要になる」クラウドはカードを構えた。
「汝、冷たき輝きのコインに宿る魔力よ──逆位置のカード『月』の導きに従い、その力を解放せよ!」
クラウドの胸元で、銀貨が宙に浮き、光を放った。それは青白い光のリングに変わり、彼の周囲を巡りはじめる。
「“月光輪”‥‥! メルクリィ君、下がれ!」
ウェネリとメルクリィは慌てて後退しようとする。しかしクラウドは冷酷に言い放った。
「遅いな。魔法系だからといって運動能力を鍛えないなど、甘すぎる」
光のリングが弾けた。ウェネリとメルクリィは二方に吹き飛ばされた。
メルクリィの飛ばされた先には壁があった。彼は壁にぶつかり、弾かれ、床に倒れた。
‥‥その間ずっと、メルクリィは疑問を感じ続けていた。痛みがないのだ。魔法を受けたときも、壁に衝突したときも。彼は顔を上げた。そこでティーナと目があった。
彼女は、その手にカードを構えていた。
「俺を、守った‥‥だと‥‥!?」
ティーナは、ただじっとこちらを見つめている。メルクリィは壁に身をもたせかけ、つぶやいた。
「いちおう先輩に気を遣ったというワケか。しかも、こうまで完璧にガードするとは‥‥。少しもダメージがありゃしない‥‥」
メルクリィは、もう一度だけ、ティーナに視線を送った。
「まったく、才能というのは腹が立つもんだぜ──それがあるくせに引き出せない奴は、もっと頭に来るけどな」
メルクリィは小さく笑うと、傷を受けていないにもかかわらず、戦闘に参加するのをやめた。
──一方、魔術師のウェネリのほうは、飛ばされたところをヨウィスという小男に受け止められた。
「おい、おっさん、しっかりしろよ!」
ヨウィスは、その小さな身体で軽々とウェネリを床に下ろすと、クラウドに怒りの目を向けた。
「そこの態度のデカイ奴! 次は俺が相手だ!」
「おや、困りましたね。それじゃ僕があぶれちゃうじゃないですか」
背後から声がした。ぎくりとしてヨウィスが振り向くと、そこにはいつの間にかルージャが立っていた。
「てめぇ‥‥っ!?」
「あなた、拳士科ですね。ちょうどいいです。拳を使う者同士、お付き合いしましょう」
ヨウィスは、鋼鉄のナックルをはめた手で、いきなり有無を言わさずルージャに殴りかかった。──だが、しかし。
「なにっ!?」 ヨウィスの拳は、見えない壁を殴ったかのように、ルージャの手前で弾かれた。
「僕、痛いのは嫌いですからね。殴られたりしたくはありません」 平然と、飄々と、ルージャは言った。「これが、その感情の作りだすパトスの障壁です。人は皆、傷つけられることを恐れるものです。その弱さを認めることから全ては始まるんですよ」
言い終わった途端、ルージャの身体が跳ねた。空中で、一閃──。
回し蹴りを首筋に受けたヨウィスは前のめりに倒れ、動かなくなった。
「‥‥あはっ‥‥」 巧妙に逃げ回っていた盗賊ルーナエは、それを見てクルリと背を向けた。「こりゃ、勝ち目がないねえ。それじゃリーダー、そういうコトで。お達者でねえ」
奥の扉をめがけて逃げだそうとしたルーナエは、何かにぶつかった。
「‥‥アレ?」
目の前には何もない。視線を下げてみるとそこにはアスカがいた。
「一人で逃げちゃダメだよ、赤トサカのおにいちゃん」
アスカは、その小さな腕をぶんぶん振り回した。
「そんな悪い子は、アスカがとっておきの忍法でお仕置きしちゃうんだから」
そこで声のトーンを変え、アスカは呪文のようなものを唱えだす。
「‥‥んーと、十二神将が一柱、
波夷羅 に申し上げる! 五行“土”の力、彼の者に!」( 指で印を組み、アスカは言った。
「イザヨイ流忍法、
己未 の術!」( ルーナエは、ごくりと生唾を飲み込んだ。しかし、いくら待っても何も起こらないようだった。
「はっ、やっぱガキだねえ! 脅かすんじゃな‥‥い‥‥!?」
足が全く動かない。そう、まるで石になったように。
ルーナエは自分の足を見下ろした。膝から下が、靴や服ごと、本当に石になっていた。
「成功、成功っ♪」
アスカが嬉しそうにはしゃいだ。
これは、イザヨイ一族の、それも限られた者だけが使える不思議な能力だった。学園で教える、いわゆる忍術とは全く異なるものだ。どちらかと言えば魔法に近いが、詳細は一族以外にはいまだ明かされていない。アスカもこの力について理解しているわけではなく、知らないまま訓練の通りに使っているだけなのだ。
「どうやら、あとはお前だけだな」 ソーリスと剣を交えながらユウキが言った。
「くっ‥‥なんてデタラメな! 僕の部下が、こんな下級生のパーティーに手も足も出ないとは‥‥! 君たちはいったい、何者だ!?」
ソーリスは後ろに飛びすさり、ユウキと距離を取った。
「──だが、勘違いしないでくれたまえ。僕一人で君たち全員を倒さねばならなくなっただけのことだ」
意味もなく剣を高々とかかげ、ソーリスは叫んだ。
「見せてあげよう! ここからが、我が“黄金殺法”の真髄だッ!!」
ソーリスは剣を構え直し、踏み込んだ。そのまま剣を大きく振り下ろす。
ユウキは上体を軽く後ろにそらせ、それをかわした。
‥‥妙だ、と彼は思った。
(軽い。さっきまでのような気合が込められていない。フェイントか? ──何の?)
ソーリスは、空振りした剣を、そのまま床に突き立てた。
「受けてみたまえ! シャイニング・キーック!」
ソーリスは大声で技の名を叫ぶと、地を蹴った。床に刺した剣を支点にし、身体が宙に踊る。空中に半弧を描いて、ソーリスの蹴りがユウキを直撃した。
「ッ‥‥!!」
ユウキは大きく後ろに弾かれ、ざざぁっと床を滑る。
「ユウキ!」 アーリィが叫んだ。
ユウキは無言で立ち上がった。表情に変化はない。だが彼は、剣を左手に持ち替えた。
「右肩を蹴られたからな」 クラウドが言う。「腕が痺れたか。間抜けな奴だ」
ソーリスはすかさず間合いを詰めにかかった
「まだまだっ!」
剣を振り上げる。
ユウキはそれに反応し、剣で受けようとした。しかしソーリスはもう一歩踏み込み、ユウキの懐にもぐり込んだ。
「ゴールデン・パァーンチっ!!」
この間合いでは剣は使えない。だがソーリスは、剣を持った腕でそのままパンチを繰り出したのだ。再びユウキは吹っ飛ばされる。
「へぇ、剣術と格闘術がうまくミックスされていますね」
ルージャが言った。
「特に、さっきのシャイニング・キックとかいう技‥‥。名前は恥ずかしいですが、剣をああいうふうに使うのは、普通の戦士にはなかなかできません」
単に発想の問題ではない。剣の腕が優れていればいるほど、自分の命を預ける剣を地に刺す度胸はないだろう。
「あの剣、確かに光っているのはメッキかもしれませんが、中身はかなり頑強な材質を使っていますね。自分の体重を支えるんですから。──そしてまた、“黄金の貴公子”さん自身も、メッキの下に力を隠していた。あながち、ただのボンボンではなさそうです」
ルージャの瞳が、また悪戯っぽく光った。
「さあ、ユウキ先輩。どうします?」
ユウキはまだ剣を左に持ったままだ。
ここが決め時だと思ったのだろう。ソーリスは再び、自分の右前方に剣を突き刺した。
「行くぞ必殺っ、シャイニング・キーック!!」
その瞬間、ユウキが動いた。
「技の名前をいちいち叫ぶのは、やめたほうがいいよ」
静かな一言とともに、素早く剣がふるわれた。ソーリスの黄金の剣が、刀身の半ばで真っ二つに折れた。
「なに‥‥っ!?」
支えを失い、ソーリスは床に叩きつけられる。彼を見下ろし、ユウキは淡々と言った。
「縄は折れないが棒は折れる。あの瞬間、あんたの体重という縦の荷重がかかった剣は、弾性を殺されてしまった。そこに横から鋭い一撃を加えれば、どんな硬い材質だろうが、折るのは簡単だ。あの技が通用するのは最初の一回が限度だよ」
「くっ‥‥そのために、左手に剣を‥‥」 ソーリスは勢い良く跳ね起きた。「だが、僕はまだ負けたわけでは──!!」
「じゃあ、これで負けだな」
声とともに、背後から飛んできた光弾がソーリスを直撃した。
クラウドだ。
「ひ、卑怯な‥‥」 呻き、ソーリスは床に崩れ落ちる。
「ふん。その台詞を口にするのは常に敗者だ。だいいち、元から一対一の戦いではなかろう。‥‥まあどちらにしろ、剣を折られた貴様は勝てんさ。時間を節約してやったんだから感謝しろ」
「う、嘘だ‥‥この僕が、負けるはずが‥‥」
恐らく生まれて初めての屈辱にうちひしがれるソーリスを見て、クラウドの脳裏に例のリストのことが浮かんだ。
ここで金持ち相手に恩を売っておくのも悪くない。そう考え、彼はゆっくりとソーリスに近づいた。
「ソーリスよ、まあそう気にするな」
傍らにひざをつき、できる限り穏やかに語りかける。
「勝てるとでも思ってたのか? 馬鹿な奴だ。いいか、己を知ることも大切だぞ。上ばかり見ていると足元をすくわれるからな。自分の実力をわきまえていないと、このように挫折する羽目になる。挫折はいかん。ダメだ。人生の敗北だ。気をつけろ」
その様子を見て、アーリィはつぶやいた。
「‥‥あれ、慰めてるつもりなのかな‥‥?」
「ソーリスよ、確かに貴様はアホだ」 親切そうな笑顔を作りながら、クラウドはソーリスの肩に手を置いた。「だが、お前には金があるじゃないか。金を持っていてもアホはアホだが、貧乏でアホというよりはずっとましだぞ。そうは思わんか? ‥‥さあ、元気を出せ。この広い世界に比べれば、貴様のチンケなプライドなんぞ、取るに足らないちっぽけなものだ。ゴミみたいなものだな。そう考えると生きる気力がわいてくるだろう?」
ソーリスは何も言わずうつむいたまま、すっくと立ち上がった。そのままユウキたちの来た扉へと、ふらふらと歩きだす。
扉の前まで来ると、彼は振り向いた。
「‥‥この屈辱の借りは必ず返すぞ。覚えていたまえっ!」
ソーリスはそのまま、階段を駆け上がっていってしまった。
「ソーリス!」「リーダー!」「ソーリス君!」
メルクリィとウェネリ、そして気絶したヨウィスをかついだマルティスが、慌ててあとを追った。
「奴も元気に立ち直ったようだな。良かった良かった」
「おーいみんな、そりゃないっスよぉ」
声が聞こえ、アーリィたちはそちらを見た。
「ねっ、そこの可愛らしいお嬢ちゃん、術を解いてくれないかなぁ」 ルーナエはアスカをおだてる。
「待て。まだ解くんじゃないぞ」
クラウドがさっと背後に回り、動けないルーナエの両手を後ろで縛った。
「これでよし」
クラウドはルーナエのポケットをあさりはじめた。相手を縛り上げるスピードといい、実に手慣れた動作である。
「ちょいと兄さん、それはキビシくないかい?」 ルーナエの抗議にもクラウドは耳を貸さない。
「俺は貴様らとの戦闘で銀貨二枚も使ったんだ。これぐらいの権利はある」
金目の物を全て回収したクラウドは、最後にピアスも外して懐にしまいこんだ。
「いやぁ、盗賊として尊敬しちゃいますねえ。そこまでやられると。でも、そろそろ許してくださいよ」
ヘラヘラと笑いながらルーナエが言った。
「さて、次の部屋に向かうか」
「ちょっとちょっとぉ‥‥!」 彼は少し真剣な顔になった。「わかりました、とっておきのネタを教えるっスよぉ」
クラウドは足を止めた。
「オレたちがこの部屋で何をしてたかと言うとねえ、そこに隠し部屋を見つけたんスよ。中には台座があって、いかにもって感じで魔剣が刺さってたんだけど、抜くことができなかったの。‥‥見張りを立てて作業してたって、さっき言ったっしょ? それのこと」
クラウドの目が、きらりと光った。
「この辺か?」
ルーナエがうなずく。クラウドが壁をごそごそとやると、突然その一部が開いた。
「なるほど、本当だ。ではさっそくその魔剣とやらを拝ませてもらおう」
クラウドは中に入っていった。しばしの時間が流れた。そしてクラウドは、よろよろとした足取りで、隠し部屋の中から出てきた。
「クラウド?」
「くっ‥‥ある程度、予想はしてたんだがな‥‥」
壁に手をつき、彼は吐き捨てた。
「俺はやはり、この迷宮が大嫌いだ」
興味をひかれたアーリィとユウキは、よせばいいのに隠し部屋を覗き込んだ。
中央に、祭壇とも台座ともつかないものがあった。そしてそこには、ルーナエの言う通り一振りの剣が刺さっていた。──こういうものを、本当に剣と呼んでいいのならば。
全ての悪を寄せつけないかのように、鮮やかに輝くショッキングピンクの刀身。
どんな窮地にあっても持ち主に希望を与えてくれそうな、柄に彫られたチューリップ。
そして、禍々しいまでに神々しいそのオーラ。
二人は完全に言葉を失った。
クラウドがルーナエを蹴りつける。
「何だ、これはっ!」
「魔剣ですよぉ。どう見たって、ただの剣じゃないっしょ」
「まさか、抜けないというのは‥‥」
「そう、みんな近づくのもためらっちゃってねえ。誰が抜くか、もめてたんス」
「本当に強いのか、あの剣は?」
「クソ弱い剣にこんな手間はかけないだろうし、ここまであからさまに怪しい呪いの剣もないと思うし」
「‥‥‥‥」
「兄さんも頭ではわかってるよねえ? 必要なのは、理性の崖から一歩踏み出す勇気だけ!」
そのとき。
彼ら以外に誰もいないはずの部屋に、女性の声が響きわたった。
<あたしを起こすのは、誰?>
全員の身体が硬直する。
<あら、あなた、なかなかイイ男じゃない。ほら、そこの黒髪の彼>
「‥‥俺?」 ユウキはつぶやき、声の主を探した。いや、見当はついていたのだが、それを認めたくなかったのだろう。
「まさか‥‥」
<そう。あたしは正義の魔剣、エイミーよ、ダーリン♪>
ユウキは無言で隠し扉を閉じた。
「急ごう」
それだけ言うと、彼は歩きだした。
「あのぉ、オレの術は‥‥」
ルーナエが言う。
「あのね」 アスカは舌を出した。「アスカね、まだ術を解くのは自分じゃできないの。でも、そのうち勝手に解けると思うよ」
「──ということだそうだ。どうしようもないな」
クラウドは、トゲのある声でそう言い、ユウキたちに続いて部屋を出ていった。そしてあとには誰もいなくなった。
ルーナエは、気味が悪そうに隠し部屋のほうをちらりと見ると、情けない声をあげた。
「置いてかないでくださいよぉ‥‥」
* *
扉の向こうは通路になっていた。しばらく歩くと右手に扉がある。先に入ったパーティーがいたのか、扉は開きっぱなしになっていた。中は三方を壁に囲まれた、ごく小さな部屋だ。「休憩するには、最も安全な場所ですね」
さりげなくルージャが言うと、アーリィが真っ先に同意した。
「賛成! ちょっと疲れたし、さっきの気分直しもしなくちゃ」
“シャイニング・ブレード”は、それなりに実力のあるパーティーだった。そこに追いつき、また勝利したという事実が、一同の心に余裕を持たせていた。
「私も、それがいいと思います。ユウキさんの治療もしなければなりませんし」
ティーナは、ソーリスにやられたユウキの傷を見た。さっきから気になっていたらしい。
「いいよ、大したことはない」ユウキは首を振った。
「いえ、小さな怪我でも甘く見ていると命取りになります」
いつもは大人しいティーナも、さすがにこういうことにかけては押しが強くなる。
部屋に入り、彼らは輪になって腰を下ろした。
ティーナはユウキのダメージを確認したあと、カードを取り出した。術者の精神力、すなわちパトスだけで行使するプリースト・マジックでは小さな傷しか治せず、時間もかかるのだ。
「汝、鈍き輝きのコインに宿る魔力よ──正位置のカード『女司祭』の導きに従い、その力を解放したまえ‥‥」
ティーナは軽く銅貨を握った手で、ユウキの頬に触れた。その手から治癒の光が漏れる。“聖癒掌”の魔法だ。
しかし、ユウキの身体は回復した様子はなかった。
「そんな‥‥このぐらい、すぐに治せるはずなのに‥‥すみません、失敗です。やり直します」
ティーナは、慌ててもう一度呪文を唱えようとする。それをユウキが制した。
「もういいよ。ティーナも『このぐらい』って言っただろう。本当に大したことないんだよ。──ありがとう」
アーリィが、足をマッサージしながらつぶやいた。
「なんだか、お腹が空いたね」
それを聞いて、ティーナが荷物の中から大きめの袋を出した。
「じゃあ、これでもいかがですか? 私が焼いたクッキーなんです。これなら手軽で持ち運びも便利だし、携帯食がわりにと思って‥‥」
「やった♪ ちょーだいちょーだい」
アーリィが真っ先に袋に手を伸ばした。
「いやしい小娘だな。少しは遠慮したらどうだ」 またしても自分のことを棚に上げ、クラウドが言う。
「ふふーん。あんたはティーナが作った物を食べたことないから、そんなことが言えるんだよ」
「へぇ。そんなに美味しいんですか」
「美味しいなんてもんじゃないね。天才だよ。こないだのチーズケーキなんて、思わずボク一人で四分の三ぐらい食べちゃったもん。将来、立派な僧侶になったら、ぜひ副業でケーキ屋をやってほしいな」
ユウキたちも、そのクッキーをつまんで口の中に入れてみた。
「‥‥これは、確かにすごい」
「芸術的ですらありますね。まさに超クッキーという感じです」
ティーナは顔を赤らめた。「そんな‥‥。それにクッキーじゃ、喉が渇きますよね。そこまで考えていなかったんです。ごめんなさい」
するとクラウドが、懐から包みを取り出した。
「ならば、紅茶でもどうだ? 湯なら俺が魔法で沸かしてやるぞ」
アーリィたちは、絶句した。
「‥‥おい。なんだ、その反応は」
ルージャが天井を見上げる。「これは、地上は大雨ですね。傘を持ってくるのを忘れてしまいましたよ」
「ボクも、タオル干したままだ」
「貴様ら‥‥」
ユウキが黙ってザックの口を開き、紙コップを取り出した。
「さすがユウキ、準備がいいね」
水筒の水をクラウドが熱湯に変え、ティーバッグを入れた紙コップに注いだ。香りが辺りに立ち込める。
「いや、でもクラウドさんがこんなに親切だとは思いませんでしたよ」
紅茶をすすりながら、ルージャが言った。
「とても美味しいですよ、クラウド先輩」
「そうか。──ということは、バードヘルム毒の包みはこっちだな」
クラウドはもう一つ、良く似た袋を取り出した。ルージャの顔が、微笑みを浮かべたまま凍りつく。
「ティーバッグに偽装してあったんだが、どっちがどっちかわからなくなってな。この機会に確かめさせてもらった」
「な、なんてコトするんだよっ!」
アーリィが食ってかかるが、クラウドは涼しい顔をして答えた。
「たった一人の犠牲で、尊い俺の命が助かるんだ。仕方あるまい」
「ま、まあまあ、アーリィ先輩。きっと冗談ですよ。ね、クラウド先輩?」 平静さを取り戻したルージャが言う。本当にやりかねない男であるが。
「アスカね‥‥」 おとなしく紅茶を飲んでいたアスカが、突然立ち上がった。「‥‥トイレ、行きたいな」
「こんな所で言われても‥‥」
アーリィが困った顔をしたが、ルージャがあっさりと答えた。
「トイレなら、さっき通路に標識がありましたよ」
「‥‥ええっ?」
「試練場には五階ごとにトイレが設置されてるんですよ。──ないと困るでしょ?」
「うん、それはそうだけど‥‥」
「驚くほどのことじゃありません。もっと下の階には温泉なんかもありますし‥‥地下十二階の屋台のラーメンは絶品らしいですよ」
アーリィは思わず、床を手で触って確かめた。ざらざらとした石である。自分は確かに、危険な迷宮の中にいるはずだ。
「この学園って‥‥」
アーリィはため息をつき、紙コップを置いて立ち上がった。
「ま、いいや。ついでにボクも行ってこようっと。ティーナもおいでよ。‥‥それからユウキもね。ボディーガードだよ」
「じゃあ僕は、ここで荷物番してます」
リュートの調弦をしながらルージャが言った。
アーリィたちが出ていき、部屋にはルージャとクラウドが残った。
クラウドは、特に何をするでもなく、ちびちびと紅茶を飲んでいた。そこにルージャが、リュートをいじりつつ、声をかけた。
「クラウド先輩」
ルージャの視線は愛用の楽器に注がれたままだ。口調も何気ないふうを装っているが、いつになく真面目な響きがある。クラウドは敏感にそれを感じ取った。
「──何だ?」
部屋の雰囲気が、かすかに緊張する。
「聞きたいことが‥‥あるんですけどね」 ルージャはクラウドの顔を見た。「あなたの過去のことです」
「俺の、過去?」
静かに、クラウドは問い返した。
「二十年前──あなたはシュー・フォレストマーシュという本名で学園を卒業し、冒険者資格を手に入れてますね。そうしてその後、名前を変えて再入学した、と」
クラウドは黙って聞いている。ルージャは続けた。
「で、今でも時々学園を抜け出しては、依頼を引き受け報酬をもらっている‥‥出席日数が足りなくなるのは、そのせいもあるんでしょう」
無表情なまま、クラウドは言った。
「確かに、その通りだ。それで?」
「そんなに怖い顔しないでくださいよ」
ルージャは、慌てたように両手を振った。
「べつに、すでに冒険者資格を持っている者が入学してはいけないという校則はありませんから。ただ、理由を聞きたいんです。僕は記録や数字は知ることができても、人の思考まではわかりません。──なぜあなたが、留年を重ねてまでこの学園にとどまろうとするのか、そのわけを知りたいんですよ」
クラウドは沈黙した。ただ、紙コップの中の紅茶の、琥珀色の水面を見つめている。
やがて、彼はゆっくりと口を開いた。
「それは‥‥言えん」
ルージャは小さくため息をついた。
「それなら構いませんけどね。今のあなたが、僕たちの仲間の魔術師クラウドであることは変わりませんから。けど、自分だけで秘密を背負い込むよりは、一人でも共有者がいたほうが気が楽でしょ」
ルージャは、いつもの笑顔に戻って言った。
「‥‥あなたはいつもそうやって、自分を苦しめている。まるで自らに贖罪を課しているかのように。僕にはそう見えます」
「──まったく、掴めん野郎だ」 クラウドはつぶやいた。「と、言いたいところだが」
「え?」
「お前、〈剣〉の理事ガルダ・ヴィルトンの親族だろう」
今度はルージャが一瞬あっけにとられた。
「‥‥‥‥。さすが、ですね。お察しの通り、龍戦士ことガルダ・ヴィルトンは僕の祖父です。学生として吟遊詩人科に所属しているのは本当のことですが」 彼は、何かふっきれたような表情で、言った。
「姓が同じだから、もしやと思っていたが‥‥俺の過去をただの1年生が知っているはずがないからな。今、確信がついた」
吟遊詩人科とは思えない戦闘力も、これでうなずける。
「俺も、お前さんの素性なんてどうでもいいんだがな。ただ、そんなコネがあるなら、もっと上級のパーティーにも入れてもらえたはずだ。違うか?」
「祖父の言いつけなんです」 淡々と答えるルージャ。
「失礼ですが、あなた方は皆、学園でも指折りの問題児。他の学生たちとパーティーを組んでも適応できないのは明らかです。実際、“シャイニング・ブレード”とユウキ先輩とがそうでしたからね。それならば、その連中だけを集めてパーティーを作れば‥‥と学園上層部は考えたんですよ」
「問題児か。確かにその通りではあるな」
「もっとも実際は僕がお膳立てをするまでもなく、アーリィ先輩がまとめてしまいましたけどね。ともかく僕は、学園の命を受けた、皆さんの御目付役ってわけです」
クラウドは、ルージャのこれまでの言動にだいたい納得がいった。
「で、どうします?」
「何がだ」
「校則第389条第3項により、パーティーの過半数の賛成があれば、僕を外すこともできますよ。‥‥僕は、あなた方をだましていたも同然なんですから」
クラウドは、つまらなさそうに鼻で笑い飛ばした。
「ふん。今のお前は俺たちの仲間、吟遊詩人ルージャだ。──お前自身の言葉だぜ」
「ありがとうございます、クラウド先輩」
ルージャは頭を下げた。
「ところで、だ。ガルダの孫ということは、お前も龍人族なのか?」
龍人族。滅びつつあるドラゴンたちを守る使命を与えられ、その報奨として神よりドラゴンの力を授けられた種族である。普段は里でひっそりと暮らしている龍人族だが、その強さは伝説として世界中に知られている。ガルダがその龍人族であるということは、学園では有名な話だった。
「はい、そうです。これまで黙ってましたけどね。まぁ種族なんて、髪形や服装と同じく個性の範囲ですよ。人間も龍人族も、そしてハーフエルフだって、みんな同じようなもんです」
意味ありげなルージャの物言いに、クラウドは眉をひそめた。
「‥‥ある程度のことは、すでに調べてあるようだな。意地の悪い奴だ」
ルージャはすっかりいつものペースを取り戻し、言った。
「あはは。とりあえずお互いに、ユウキ先輩たちには内緒にしておきましょう。これで共犯ですね、僕たち」
* *
その頃、アーリィたちは無事にトイレにたどりついていた。場所が迷宮内であることを除けば、校舎内にあるものと大差ない。きちんと男女にも別れている。「じゃあ入ろうか、アスカ。‥‥あれ、ティーナは?」
「あ‥‥私は、別に‥‥ここで待っていますわ」
だったらついてこなくても良さそうなものだが、性格上アーリィの誘いを断りきれなかったのだろう。
ユウキは、トイレの反対側の壁にもたれかかった。ティーナは居心地悪そうにトイレの入口付近をうろうろしていたが、やがて意を決してユウキの隣に並んだ。
「あの‥‥」
ティーナのほうから話しかけられ、ユウキは少し驚いたように彼女を見た。
「ユウキさんは、アーリィさんのことをどう思ってらっしゃいますか?」
「どう‥‥って‥‥」
ユウキは少し困ったが、こういう質問をはぐらかすことができるほど、器用ではない。彼は少し考えたあと、答えた。 「彼女は俺の強さを認めてくれているみたいだ。同時にライバル意識もあるみたいだけど。──でも、俺はアーリィのほうが羨ましいよ。元気で、明るくて、誰とでも気軽に打ち解けて‥‥。俺にはないものを彼女は持ってる」
ティーナはうなずいた。
「私たち二人とも、他人と接するのが苦手なほうですものね。けれど、アーリィさんも、決して社交的というわけではないんですよ」
「え?」
ユウキからは、とてもそうは見えなかった。
「本当はアーリィさん、とても周囲に気を遣う人なんです。それも相手に悟られないように、さりげなく」
ティーナは顔を上げ、はにかんだような表情でユウキを見た。すでに耳まで赤くなっている。
「正直言って‥‥私、今すごく緊張しています。知り合ったばかりの、それも男の方と二人だけで話すことなんて、滅多にありませんでしたから‥‥」
「ああ。俺もだよ」
「だからなんです。‥‥さっき私がユウキさんに回復魔法を使ったとき、アーリィさんはずっとこっちを見ていました。きっと、私たちが仲良くなる、いいきっかけだと考えたんでしょう。だから私とユウキさんを一緒に誘ったんだと思います。ルージャさんとクラウドさんなら、二人だけになってもそれなりに気が合いそうですし」
想像もしなかったことを聞かされ、ユウキは下を向いた。思考が目まぐるしく回転し、これまでのアーリィの言葉や行動を思い返す。
「アーリィさんは、自分よりも、周りが暗く沈んでいるのが耐えられないんです。だから、独りぼっちの人がいれば声をかけ、周囲の雰囲気が落ち込んでいれば、脳天気な明るい女の子を演じてでも盛り上げようとします。──私のときもそうでした。本当のあの人は、とても繊細で傷つきやすいのに‥‥」
ティーナは、小さなため息をついた。
「私なんかよりずっと、強くて優しい人です。‥‥ユウキさんにはそのことを知っておいてほしいんです。たぶんアーリィさんも、心の中でそう望んでいるでしょうから。けれどアーリィさん、自分自身のことになると、とても不器用で──だから私から言うんです。これが私にできる、アーリィさんへのせめてもの恩返しですもの」
アスカとアーリィが、連れ立ってトイレから出てきた。ユウキとティーナが話していたのを見ると、アーリィは二人に近寄って、言った。
「ねぇ、何の話してたの?」
「いや‥‥大したことじゃないよ」
アーリィは、ユウキの脇腹を軽く肘で小突くと、ユウキの耳元で小声で囁いた。
「可愛いコでしょ、ティーナって。仲良くしたげなよ。ユウキ、愛想悪いんだからさ」
小部屋に戻ると、ルージャは一人リュートで曲を奏でており、クラウドは暇つぶしに『ダンジョン・ウォーカー』を読んでいた。ユウキは今になって、その冊子に興味を示した。
「クラウド、良かったらちょっと貸してくれないか? ダストシュートだとかトイレだとか、この迷宮についての情報も色々載ってるんだよな」
「ええ、そうですよ」 ルージャが答える。
「じゃ、この階のどこに護符を持った教師がいるのか、何か手掛かりがあるかもしれないな」
そもそもそれが最終目的なのだ。ユウキはクラウドから手渡された『ダンジョン・ウォーカー』を、パラパラとめくってみた。
「地下五階、と‥‥」 そのページを見つけ、ユウキは手を止めた。「へぇ。やっぱりこの辺りまで来るとトラップも多いな。今はもう変えられてるんだろうけど。──ん?」
ユウキの視線は、記事の一箇所で止まった。
「この階には、“封印の妖魔”が一体、封じられている‥‥? ルージャ、この“封印の妖魔”って、何のことだ」
「ユウキ先輩、僕はあなたとパーティーが組めて本当に良かったですよ」
「なんだよ、いきなり」
「先輩ほど僕の解説を必要としてくれる人はいませんからね。知識欲が旺盛な上に、記憶喪失なんですから」
そう言うと、ルージャは嬉しそうに説明を始めた。彼は他人にうんちくを傾けることを、無上の喜びとしているらしい。
「まずは、妖魔というものについてですが──一口で言ってしまえば、魔界に住み人と敵対する、強大な魔力を持った種族です。もっともそれ以外にわかっているのは、この世界を侵略せんと目論んでいるコトぐらいないんですけどね。あとは謎です。現在彼らの大半は魔界に封じ込められ、一握りがこちらに残っているだけですから」
「妖魔か。俺の倒すべき敵‥‥」 ユウキは鋭い調子でつぶやいた。「で、その妖魔が、この学園にも封印されているのか?」
「はい、全部で255体が」
「なっ‥‥そんなに!?」アーリィも横から驚きの声をあげた。
「そうです。255という数の妖魔が、この学園のあちこちに封印されています。‥‥ここで気を付けねばならないのは、その封印は完全ではなく、数十年ごとに効力が切れて妖魔を復活させてしまうということです。これまでも一年に二、三体は復活していたようですが、すぐに教師や鉄剣委員会などに封印し直されていたため、大事にいたることはありませんでした。とはいえ、恐ろしい存在であることは間違いありませんけどね」
「ああ。その妖魔ってのは、よほど強いんだろうな。このデタラメな力を持つ学園でも、完全に封印できないなんて」
ルージャは少しの間、口ごもった。その先の言葉を言うか言うまいか迷っているようだった。しかしけっきょく彼は、続きを話しはじめた。
「いえ‥‥いくら妖魔が強いと言っても、このラグナロック学園なら、完全な封印を施すことも可能です。〈門〉の理事や封門委員会という、結界・封印のエキスパートが揃っていますからね。──できないんじゃなく、やらないんですよ」
「なぜだ?」 「ユウキ先輩、この学園の冷暖房やら食料生産やら照明やらに使用される魔力は、どこから調達されるか知ってます? 無尽蔵に金銀を持ってるわけじゃありませんよ」
「え‥‥?」
唐突な質問に、ユウキは戸惑った。だが彼はやがて、ルージャの言わんとする内容に思い当たった。
「まさか‥‥」
「そう、封印された妖魔から、魔力を吸収してるんですよ。生かさず殺さず、ずうっとね。そのためには、あまり強力な封印では都合が悪いというわけです」
「なんだか、ちょっと可哀相だよね‥‥」
アーリィが言ったが、ルージャは静かに首を振った。
「千年前のことに比べれば、大したことじゃないですよ」
千年前──妖魔の第一次侵攻が行われた時代である。最終的に妖魔たちは七大神によって魔界に駆逐されたが、その侵攻は世界と人類に歴史を変えるほどの被害をもたらした。
「だから‥‥という理屈は通用しないかもしれませんが、我々が滅びては人道も何もありませんから。だから今、千年前の第一次侵攻の悲劇を繰り返さぬよう、第三次侵攻に備えてユウキ先輩の力が必要なわけです」
全員がルージャの顔を見た。皆、今の台詞に疑問を感じたのである。
代表してユウキが尋ねた。
「ルージャ。千年前に行われたのが第一次侵攻、そして近いうちに予測されているのが第三次侵攻──じゃあ、第二次侵攻ってのは、いつどこで、どういうふうに起こったんだ?」
「そうだ。俺も第二次などとは聞いたことがないぞ」クラウドも言う。
ルージャは、少し困ったように答えた。
「い、いやぁ、僕に言われましても‥‥。あっ、そうそう、きっとアレですよ。うっかり数え飛ばしたんでしょう。よくあることです」
「よくあるわけないだろ」
ユウキは直観的に感じ取った。この学園は、そのおちゃらけた外面の下に深い宿命のようなものを隠している──第二次侵攻とは、その宿命に関係するものであることを。
ルージャが、その場を取り繕おうとしたのか、冗談めかして言った。
「まあ、この階に封印されている妖魔も、この前に封印が解けてからずいぶんになるみたいですからねー。ひょっとしたら、タイミングよく僕らの前で復活するかもしれませんよ」
そして彼は、楽しそうに笑った。
「‥‥ま、そんなことになったら、僕たち全員ヤバイですけど」
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