『血』、


生命の絆  死の象徴

身体に流れるもの

心が背負うべきもの












 投げ出された所は、再び石壁で囲まれた部屋だった。

「いやー、ラッキーでしたね」

 元気良く立ち上がりながら、ルージャが明るい調子で言った。

「どこがよ」

「僕は硫酸プールか焼却炉かという覚悟をしてたんです。でも、もうゴミ捨て場としては使われていないようですね。これは先週までのダストシュートの設備を流用した──」 ルージャは視線を上に向けた。「──近道、です。落ちた感じからして、ここは地下三、四階でしょう。まさに最短のコースですよ」

 アーリィたちも立ち上がり、辺りを見渡した。ティーナが尋ねる。

「怪我をなさった方はいらっしゃいませんか?」

 思い出したように、皆は自分の身体を見回す。あれだけの高さから落ちたにもかかわらず、不思議と大して痛むところはない。妖精機ピコも何事もなかったように漂っている。服についた埃を払い、アーリィが言った。

「無事だよ。日頃の行いのおかげだね」

「そうなのか?」ユウキが聞いた。

「文句ある?」

「いや、君の日頃の行いなんて知らないから。素直な疑問だよ」

 アーリィは軽くふくれっ面をした。

「もう! どうしていつも、そうやって人を突き放すような言い方をするの? そりゃお互い知らないことなんていっぱいあるよ。他人なんだし。でも、そこまで強調することないじゃない。それって何だか──哀しいよ」

 ユウキは困惑したように、アーリィの真剣な視線から目をそらせた。

「ああ。気をつける」

 その二人の横で、ルージャが小声でクラウドに囁いた。

「日頃の行いはともかくとして、例の落下制御の魔法のおかげですね。六人にかけたため、効果が小さくなったみたいですが。感謝します」

「ふん。何のことだ」 クラウドはそっけなく答える。

 アーリィが、部屋の中を楽しそうに走り回っていたアスカをつかまえて、聞いた。

「アスカ、何か気になるものでも見つかった?」

「うーんと、モンスターもいないし、毒ガスや水が出てくるわけでもないし、安全だと思うよ」

「そりゃ、いい部屋だ」 クラウドが言った。「あとは、日当たりが良くて、ついでに出口もあれば最高なんだがな」

 元はゴミ捨て場なのだから当たり前と言えば当たり前だが、この部屋には扉がなかった。

「落ちてきた穴からは、出られそうにないですしね‥‥」

 すでにそこはピッタリと塞がっている。

「クラウドさんの魔法で、なんとかできませんか? 壁を破るとか」

「試練場の壁はちょっとやそっとの魔法じゃどうにもならん。それでは迷宮の意味がないからな。しゃくに触るが、この試練場の中にいる以上、学園の思惑に従うしかないということだ」

「‥‥でもそれじゃ、脱出方法も用意されてるってことだよね」

 アーリィは、口元に手を当てて考え込んだ。その言葉に反応したのはユウキだった。

「用意されてる‥‥?」

 彼は上を見上げた。

「──最初に石像のトラップがあって、次に宝箱の中のぬいぐるみがあった。開かない扉はそのぬいぐるみに反応し、その先はダストシュートだった。これらは全部つながっている。間違いなく一人の人物によって仕掛けられたものだ。そうだろう、ルージャ?」

「ええ、そうでしょうね」

「だとしたら‥‥ここまでで、もうその人の思考パターンは読めたよ。脱出方法は──」

 ユウキは床を指さした。

「俺たちは上から落ちてきた。だからつい、天井や壁に出口を求めてしまう。心理的にも、ここよりも下があるとは考えない。そこが盲点さ。逆に、相手は絶対にそれを突いてくるはずだ」

 ユウキの言葉通りだった。アスカが床の一部が開くことを発見したのだ。それはナンが使っていた隠し通路を思わせた。

「下の階が見えるね」

 床に開いた穴を覗き込み、アーリィが言った。

「長居は無用だ。さっさと降りよう」

 ユウキはロープを取り出した。

「どこか結ぶ所は‥‥ない、か」

「金を払えば、俺がなんとかしてやろう」

「出られなくちゃ困るのは、あんたも同じでしょ」

「チッ。仕方ないな」

 クラウドはしぶしぶ、ロープの端を手近な壁に押しつけると、二言三言呪文を唱えた。

「これで、数分間は固定されているはずだ。人間一人の体重ぐらいなら耐えられるだろう」

 ユウキはロープを思い切り引っ張ってみた。確かにそれは、壁に根が生えたようにびくともしなかった。物質固定の魔法である。これも、単純そうでいて応用範囲の広い魔法だ。

「じゃあ、レディファーストといきましょうか」

 アーリィ、アスカ、ティーナが降り、ユウキとクラウドが続いた。最後に残ったルージャは、一人で小さくつぶやいた。

「やっぱりユウキ先輩のリーダーシップが、ぎこちないながらも発揮されてきましたね。チームワークも良くなってますし、いい傾向です」




   第六章 銅貨一枚のトラブル

 

 降りた先は、T字路になっていた。ユウキたちのいる所は袋小路になっており、前方で左右に走る通路と交わっている。

「あ、銅貨みっけ」

 背の低いアスカが、床に落ちていたコインを目ざとく見つけた。だが、それを拾おうとすると、誰かが足で踏みつけてしまった。視線を上に向かって沿わせていくと‥‥それはクラウドだった。

「足どけてよ、クラウドのおじちゃん」

「こいつは俺の獲物だ。貴様のようなガキには渡さん。欲しければ力で奪い取るんだな」

 クラウドは鋭い目でアスカをにらみつける。

「ぶーっ! もういいよーだ!」

「ふん。恐れをなしたか」

 クラウドは器用に空中に銅貨を蹴り上げ、手で受け止めた。

「クラウド‥‥」

 アーリィが、信じられないといった表情で言う。

「そこまでして、嬉しい?」

「少しな」

 彼は銅貨をいそいそとしまいこんだ。そのまま先頭に立って通路に出ようとする。数歩 歩いた途端、背後からティーナが叫んだ。

「クラウドさん、上! 気を付けて!」

 反射的にクラウドが後ろに飛びのくと、上から道幅いっぱいの鉄格子が落ちてきた。途方もない音を響かせて、それがクラウドの行く手を塞いだ。鉄格子によって通路から遮断されてしまったことになる。

「しまった‥‥!」

 突然、ピコが甲高い警告音を発した。

「注意してください。モンスターの反応ですよ」

 格子の落ちた音を聞きつけたのか、通路の向こう側から何者かの集団が近寄ってきた。

良く見ればそいつらはコボルド、犬から進化した人間といった感じの初級モンスターである。身長はユウキの胸ほどまでしかない。

 モンスターといっても、本物ではない。学園が魔法で生み出した人工生命体である。強さや習性は忠実にコピーされているが、血を流すこともなく、一定以上のダメージを受ければ消滅するだけだ。

 コボルドたちは格子の向こうから一行を眺め、何やらワイワイ騒いでいる。ユウキたちは、モンスターの見せ物になるのは初めてだった。

「フッ、愚かな人間どもめ‥‥」

 男の声がした。それを聞いて、コボルドは一斉に静まる。ルージャが怪訝そうな顔をした。

 現れたのは、黒いマントの男だった。いや、人間にしては肌が青白い。

「初めまして、我が名はシュラヴァート。君たちの言うところの吸血鬼だ」

 彼はそう言うと、うやうやしくお辞儀をした。

「もともとあった仕掛けを改造しただけだが、こうもうまくいくとは思わなかった」

 シュラヴァートは笑う。口元に白い牙がのぞいた。

「この鉄格子は貴様のしわざか?」クラウドが言った。

「その通り。まずはその袋小路の中に銅貨を一枚置いておく。そして通路を歩いていた人間どもが、それにつられてノコノコと入っていくと‥‥」

「──つられないぞ、普通」 ユウキが言う。

「床のスイッチを踏んでしまい、この鉄格子が落ちてきて閉じ込めてしまうというわけだ。まんまと引っ掛かったな!」

「だから、引っ掛かったわけじゃないんだけどな」

 頼まれてもいないのに解説する吸血鬼は、人の話をさっぱり聞いていない。

「鉄格子を上げるスイッチはこちらの壁にある。私の持つ鍵を差し込んで回せば作動する仕組みだ。その中からではどうしようもあるまい。おっと、念のため武器は預かっておこうか」

 シュラヴァートが呪文を唱える。ユウキたちの剣や弓などが宙に浮いたかと思うと、格子の隙間から外に飛び出していった。それらは、慌てて床に這いつくばるコボルドたちの頭上を越え、壁に当たって床に転がった。起き上がったコボルドがそれを回収する。

「僕たちを捕らえて、どうするつもりなんです?」 ルージャが問うた。

「さあな。何かに利用はできるだろう」

 その言葉を聞き、ルージャはやはりといった顔をする。

「あなた、外部のモンスターですね。試練場の人工モンスターは、冒険者に襲いかかるようにだけ設定されているはず。こんな浅い階にヴァンパイアは出てこないだろうと、不思議に思っていましたが‥‥」

「どっから入ってきたの、あんた?」

「何やら結界が張ってあったようだが、あんな物は私にとってはないも同然だ。いずれこの迷宮を拠点に、学園の人間どもを一掃してやる。楽しみにしておくがいい‥‥」

「馬鹿じゃないのか、貴様」

 クラウドのいつもの高圧的な台詞がシュラヴァートをさえぎった。吸血鬼は怒りに身を震わせながら叫ぶ。

「なんだとっ!?」

「いや、愚問だったか。馬鹿に決まっているな。一目見ればわかることだった。──いいか、この学園の結界は、もっと大きな驚異に対するもの。貴様のような小物にはいちいち反応せんのだ」

「あんた程度なら一撃で倒せるような人が、この学園にはゴロゴロしてるんだよ」

 アーリィがクラウドのあとを続け、ルージャがいつものように解説を付け足した。

「通常時の外部結界の密度はレベル1、粗雑ですがそのぶん強度を高めてあります。‥‥まぁ、言ってみれば、ハエが虫取り網にかからないのと同じ理屈ですね」

 シュラヴァートの青白い顔が、屈辱のあまり朱に染まっていく。血色のいい吸血鬼というものが、とても見られたものではないことを、アーリィたちは初めて知った。

「貴様ら‥‥今の自分の立場を理解してるのか‥‥!?」

「皆さん、そんな言い方をしてはシュラヴァートさんが可哀相ですわ」

 ティーナのその一言が、ズタズタになったシュラヴァートのプライドにとどめを刺した。

「‥‥私みずから血を吸って下僕にしてやろうかと思ったが。貴様らはコボルド共の餌にすることに超決定だ! 最も凄惨な死をくれてやるから覚悟しておけ!!」

 そのとき誰かが、シュラヴァートのマントを引っ張った。

「ねー、何かくれるんだって? 覚悟するから早くちょうだい」

 シュラヴァートは、ちょこんと隣に立っているアスカを見た。

 ──沈黙。

「き、貴様、どうやって‥‥!?」

「格子抜けのこと? アスカね、昔から得意なんだ。すごいでしょ」

 アスカは指でVサインをする。シュラヴァートは額を片手で覆い、黙り込んだ。ややあって、後ろに控えていたコボルドに手で指示する。

「──連れていけ」

 アスカはたちまちコボルドたちに捕まり、縛り上げられた。

「わーい、ぐるぐる巻きだ。楽しー!」

 コボルドにかつがれて、アスカは連れ去られた。

「明日、貴様らの処刑を行う。それまで大人しく待っていろ」

 すっかり疲れた様子の吸血鬼は、荒々しい靴音を響かせて去っていった。

「──さすがです、皆さん。余裕たっぷりといった感じですね。で、どうやって脱出します?」

「さあ」 アーリィは答えた。

「‥‥さあ‥‥って、何か策があって挑発してたんじゃないんですか?」

「あの吸血鬼の態度がムカついただけだよ。怯えたり嘆いたりしても、相手をつけあがらせるだけだしね」

 ユウキが、鉄格子をゆすってみた。

「力じゃ無理だな。アーリィでも駄目だろう」

「‥‥ちょっと、だからその『ボクでも』って言い方、やめてくれる?」

「アスカちゃん、大丈夫かしら‥‥」

 ティーナが心配そうに言う。ルージャがクラウドに尋ねた。

「クラウド先輩、何かいい魔法ありません?」

「魔法魔法と言うが、そんなに都合のいいものではない。あの吸血鬼、しっかりカードも奪っていきやがったしな」 銅貨一枚につられる男はそう答えた。

「上のゴミ捨て場に隠れるという手もありますが‥‥それでは検定に合格できませんしね」

「──策はあるよ」

 これまで黙っていたユウキが、誰にとはなしに言った。

「どうするんですか?」

「例のアーリィの剣まで、ご丁寧に持っていっただろう。あの吸血鬼は」

 一瞬の間を置いて、ルージャは大きくうなずいた。

「なるほど。誰か、お酒持ってません?」

「救急道具の中に、気つけ用のブランデーが少しありますけど」

 ティーナが荷物の中から小さな瓶を取り出した。

「‥‥またやれって言うの? こんな所まで来て?」

 憂鬱そうにアーリィは言った。

「いいじゃないですか。あの呪いが役に立つんですから」

 アーリィはため息をつき、ティーナから小瓶を受け取った。瓶の栓を開け、それを口に持っていこうとして、彼女はふと手を止めた。

「お願いだから、終わったらすぐ元に戻してよね。ホント、嫌なんだよ。みっともないしさ。それに、こんな状況で言うのもなんだけど‥‥ボク、楽しいんだ、こうして冒険してるのが。最初は成り行きだったけど、今はこのパーティーを組んですごく良かったと思ってる。だから、ボクだけ仲間ハズレだなんて、絶対やだからね。約束だよ」

 そう言うと、アーリィは目を閉じ、勢い良くブランデーを一口飲み干した。

 カラン。さっきまでアーリィだった薄緑の剣が、床に転がった。

「さて、あとはカシムさんが何とかしてくれるかどうか、賭ですね。果報は寝て待ちましょう」

 ルージャは、ごろりと床に寝ころんだ。




*                   *


 二十分もたったろうか。向こうから豪快な足音が聞こえてきた。

「おお、君たちは! こんな所におったのか」

 カシムが駆け寄ってくる。

「ふと気が付けば、倉庫のような部屋にいるわ、周りにはコボルドがいるわで困惑したぞ。そうそう、これは君たちのだろう」

 カシムはユウキたちの装備を床にぶちまけた。

「それはいいけどさ、カシムさん。黒マントの吸血鬼と、あの小っちゃい女の子を見なかった?」

「いや、知らんな」

 カシムは首を振る。

「じゃあ、ここを開ける鍵は?」

「鍵? 私は、武器と敵以外のものには注意を払わん主義でな。‥‥して、君たちはそこで何をしているのだ? 早く出てくればよかろう」

「出られないから困ってるんですよ」

 ルージャが言う。カシムは呆れ顔になった。

「なんだ、この方式の扉の開け方も知らんのか。まったく近頃の若者は礼儀がなっとらんな」

 カシムは格子を二本掴むと、両の腕に力を込めた。太い鉄格子が飴細工のように曲がり、充分に人が通れるほどの隙間が開く。ユウキたちは呆然となった。

「さあ、早く出るがいい」

 ユウキたちを追い出し、カシムは再び格子を握る。

「さてと、開けたあとはきちんと閉めねばな‥‥ふん!!」

 曲がった格子は、ややいびつながらも真っ直ぐに戻る。

「これでよし。やはり何事も礼儀が肝心だな」

 ユウキたちのほうを向いて、一言。

「なぜか私の招待される部屋は、この方式の扉が多くてな。君たちもこのくらいは知っておかないと、将来恥をかくぞ」

 恥以前の問題である。知っていても、普通の人間にはまず真似できまい。

 どうにかショックから立ち直ったユウキは、アーリィとの約束を思い出した。

「あのさ、カシムさん。世話になったばかりで悪いんだけど」

 ブランデーの小瓶を差し出す。カシムはそれで悟ったようだった。

「ああ、わかっている。私より、その娘さんの人生のほうが大切だ」

「ありがとうございます、カシムさん」 ティーナが頭を下げた。

「気にすることはない。‥‥私の娘も、今頃は君たちぐらいの年頃になっているだろうな」

「娘?」

「ああ。そもそも私は、奪われた妻と娘を探すために戦っていたのだ。今となってはこのザマだがな。もし良ければ君たちも、何かのついでにでも探してはくれまいか。‥‥とは言っても生き別れたのはまだ娘が赤子の頃、さる事情により別の名を名乗っている可能性も高い。手掛かりと呼べるのは、今でも思い出す、エメラルドのように美しく輝く緑色の髪ぐらいのものだが」

 ティーナがハッと息を飲み、ユウキたちも同時に思い当たった。

「まさか‥‥」

 しかしすでにカシムはブランデーに口をつけていた。赤い光に包まれたカシムに、もう声は届かない。

「ユウキ先輩、カシムさんの娘って‥‥」

「信じがたいけど、アーリィのことみたいだな。偶然にしては状況がそろいすぎてる」

「教えてあげますか、アーリィ先輩に」

「証拠がないよ。だいたい、まずアーリィの父親に対する不信感を取り除かなきゃ、いい結果にはならないさ。どちらにせよ呪いが解けない限り、二人が顔を合わせることはないんだ。絶対に」

 ルージャは真剣な顔でうなずいた。

「そうですね。それに、黙っていたほうが面白そうです」

 ひとまず呪いから解放され、床にうずくまっていたアーリィが、頭を振りながら立ち上がった。

「うまくいったみたいだね。‥‥あれ、どうしたの?」

 ユウキとルージャは、揃って首を横に振った。

「なんでもないよ」




*                   *


「まずは、アスカと吸血鬼を探さなきゃね」

 剣から戻ったときの癖で大きく伸びをしながら、アーリィは言った。

「とりあえず、この階をしらみつぶしに探索するしかないか」

「ふん。まだまだ甘いな、貴様らは。いかなる物も他人から奪い取るのがいちばん手っとり早い。情報も同じことだ。そこらにいる手下のコボルドを捕まえて案内させるんだよ。くっくっく‥‥」

 悪人めいた笑いを響かせるクラウドを無視し、アーリィは片っ端から扉を開けつつ進んだ。扉の多いフロアだ。しかも、ほとんどが何もない空き部屋である。

 何枚目かの扉に手をかけたとき、またしてもユウキの頭上のピコの警告音が鳴り響いた。アーリィは身構えて扉を開ける。部屋の中には十匹ばかりのコボルドが―倒れていた。

「‥‥死んでるの?」

「いえ、まだ生きているみたいです」

 ティーナは、コボルドのうちの一匹に近づいた。

「おい、どうする気だ!」 クラウドが厳しい声で言う。

「治療です。まだこのコボルドさんたちが敵だと決まったわけではありませんわ」

「だからと言って助けて何になる? 百歩譲って、まだ相手が普通のモンスターなら認めよう。だがそいつらは、魔法で作られたものなんだぞ。生命の範疇には入らん」

 ティーナは、クラウドが止めるのもかまわず、コボルドの身体に手を触れた。

 アーリィは心中で密かにティーナを尊敬した。自分だったら、いかに倒れているとはいっても、コボルドに触るのは抵抗があるだろう。それをティーナはためらいもせずにやってのけたのだ。

「でも、変なんですよね」

 ルージャが言う。

「人工モンスターなら、他のモンスターの命令など聞かないはずなんですが‥‥。シュラヴァートが何かしたんでしょうか」

 そのとき、ティーナが脈を診ていたコボルドが、ふらふらと身を起こした。

「腹が‥‥く、食い物‥‥」

 コボルドは、弱々しい声でそう言った。

「喋れるの、こいつ」

 アーリィが、ポーチの中から購買部のヤキソバパンを取り出した。

「小娘‥‥たった一つの荷物の中身がそれか‥‥? どこが『プライベートな物』だ」

「腹が減っては戦はできぬって言うでしょ。実際こうして役に立つんだから、いいじゃない」

「ふん。まあいい、それをよこせ」

 クラウドが、そのヤキソバパンを半ばひったくるように受け取り、コボルドに近づいた。

「ほれ、芸をしたら食わしてやろう。お手」

「クラウドさん!」

 さすがに見かねたティーナがたしなめるが、コボルドは右手を伸ばすと、クラウドの掌の上にちょこんと乗せた。

「クラウド先輩以上にプライドがないヤツ‥‥」

 コボルドは嵐の如きスピードでヤキソバパンを貪りはじめた。最後に、口の端から垂れ下がった一本のヤキソバをつるんと吸い込むと、コボルドは言った。

「──安物ですね」

「‥‥誰か、こいつを殺せ。誰もやらんのなら俺がやる」 クラウドが短剣を取り出した。

「や、やだなぁ。ほんのお茶目な冗談っスよ。ありがとうございました」

 コボルドは殊勝に頭を下げた。ルージャが興味深そうに言う。

「しかし、僕たちの言葉を話せるとは驚きですね」

「ええ、シュラヴァート様が魔法をかけてくださったんです。一匹くらいは喋れる奴がいないと不自由だからって」

「貴様、名前はあるのか」

 クラウドが尋ねる。コボルドはチッチッと指を振った。

「礼儀がなってませんね。人に名前を聞くときは、まず自分から‥‥げぼっ!?」

「もう一度だけ聞こう。名前は?」

 コボルドに蹴りを入れておきながら、涼しい顔でクラウドは尋ねた。

「──カルロス、です」

「カルロスさん、どうしてそんなにお腹を空かせていらっしゃったんですか」

 コボルドは、黒く濡れた鼻の頭をかきながら答えた。

「ちょっとした失敗をしまして。シュラヴァート様に食事抜きにされたんです。二日間も」

「まあ、可哀相に」

「何をやったの、いったい」

「わざとニンニク入りのスープを作って嫌がらせをすると、すごく怒るんです」

「‥‥‥‥」

「それとも、お気に入りのマントを雑巾にしたからかもしれません」

「‥‥‥‥」

「あ、いつも寝るときに使う棺桶をゴミ箱がわりにしたのを、まだ根に持ってるのかも。あの人、執念深いですから」

「‥‥それで、他の連中は?」

 アーリィが、倒れているコボルドたちを指さす。

「こいつらはね、僕が『こいつらも共犯だ』って嘘をついたら、確かめようともせずに連帯責任にしたんですよ。ひどい吸血鬼でしょ」

「‥‥‥‥」

「まあ、こいつらは気にしなくていいですよ。あとで僕が食事を運びますから。なぁに、死にはしません」

 カルロスはあっさりとそう言った。

「自分だけ食べておいて‥‥」

「僕は頭脳労働者ですから。身体が弱いんです」

「そんなことはどうでもいい。シュラヴァートはどこにいる?」

 短剣を突きつけ、クラウドは言った。

「まさか、あなた方はあの人を‥‥」

 カルロスは、黒い瞳で驚いたようにクラウドの顔を見つめる。やがてその口から怪しげな笑い声が漏れだした。

「ふっ‥‥ふっふっふ‥‥シュラヴァート! これまでペコペコとへつらってきたのは、今日このとき、貴様らが自らの下僕に下克上される屈辱をより深めんがため! ついに、ついにこの僕が地下四階を支配する日が来たのだ! ──さあ皆さん、あんな奴さっさと退治しちゃいましょう」




*                   *


「ねーねー」

 縛られたまま、アスカは足をジタバタさせた。

「アスカね、退屈。お菓子ちょうだい」

「静かにしろ。お前は人質なのだぞ」

 うんざりしたように、シュラヴァートは言った。この部屋は彼の寝室である。棺桶のほかは机と椅子があるだけだ。その机の横に、アスカは座らされていた。

「ひとじち? なーんだ。アスカ、ひとじちになるの五回目だよ。飽きちゃった」

「──なにっ!?」

「アスカがイザヨイ一族の次期頭領だからなんだって。いろんな人に狙われるの。いつもすぐ、ばあちゃんたちが助けに来てくれるけど。‥‥ねぇ、身代金はどのぐらい取るの? 銀貨一枚ぐらい?」

「お前の命は銀貨一枚の価値しかないのか?」

 アスカは少し考えてから言った。

「銅貨十枚くらいかなぁ」

「もし要求するとしたら、そんなものだろう」

 シュラヴァートは、いちばん価値のある貨幣は銅貨だと、カルロスに嘘を吹き込まれていたのだ。

「ねーねー、ええと、シュヴァリャ‥‥」

「シュラヴァートだ。呼びにくければシュラでいい」

 自分は何をしているのだろう、と吸血鬼は思った。この子供に自分の呼び方など教えて、どうしようと言うのだ? どうもこいつといると調子が狂う。

「シュラのおにいちゃん、吸血鬼って生まれたときから吸血鬼なの?」

「私は、そうだ。だが、吸血鬼に血を吸われた者も吸血鬼になる。そういった連中は子孫を残すことはできんがな」

「血っておいしい? 好き?」

 シュラヴァートは苦笑した。

「好き嫌いの問題ではない。我々は血を吸わねば生きていけないのだ。それが罪深いことと知りながらな。まあ、それは貴様ら人間も同じことだろう」

「ねぇ、今、血を吸いたい?」 アスカはしつこく尋ねる。「吸いたくなったら、アスカのを吸わせてあげてもいいよ。吸血鬼になるって面白いかなぁ」

「子供の血は遠慮しておこう。それに、吸血鬼なんて面白くなどないぞ。高貴な血筋を守るとかの理由で、親の決めた相手と無理やり結婚させられるのだ。おまけに、しきたりだなんだとうるさく言われ‥‥。今どき棺桶で寝るなどただの馬鹿ではないか」

 どうやら彼は、それらが嫌で逃げだしてきたお坊ちゃんヴァンパイアらしい。珍しい吸血鬼もいたものである。

「アスカのうちもそうだよ。一族の頭領になれるのは、アスカの家系だけなんだって。結婚相手も決まってるの。えーと、なんてお名前だっけ。忘れちゃった。まだ会ったこともないもん」

 シュラヴァートは、少し驚いたようにアスカの顔を見た。

「人間も、同じか‥‥」 そのまま、そっぽを向いて言う。「‥‥縄、ほどいてやろうか?」

「ううん。自分でできるからいいよ」

 アスカが何やらごそごそとやると、縄がパラリと床に落ちた。

「昔ね、これができるまで御飯食べさせてもらえなかったの」

 シュラヴァートは、唖然としてアスカを見た。

「そんなことができるなら、なぜもっと早く逃げようとしなかった!?」

「どうして逃げなくちゃいけないの?」

 アスカが無邪気な顔で問う。その口調が、懐かしそうなものに変わった。

「シュラのおにいちゃんね、アスカの本当の兄様に似てるよ。優しかったけど‥‥死んじゃったんだ。どうして死んだのかは教えてもらえなかった。ただね、ばあちゃんが、“忍び”とはこういうものだよって言ったの」

「お前‥‥」

 と、突然、アスカの表情が翳った。小さな頭を抱えるようにして、その場にうずくまる。

「どうした!?」

「頭が‥‥痛‥‥い‥‥!」

 シュラヴァートはどうすることもできず、ただうろうろと辺りを見回すだけだった。アスカが、うずくまりながら、何かブツブツとつぶやきはじめた。明らかに先程までの彼女とは様子が違う。

「‥‥兄様は死んだの。そう、死んだの。みんな死んだの。‥‥何のために生きるの? ‥‥何のために死ぬの? ‥‥何のために?‥‥アスカは、罪を償うために生きてる‥‥罪、あたしの罪、人の罪‥‥」

「おい、大丈夫か! しっかりしろ!」

 シュラヴァートはアスカを激しく揺さぶった。やがてアスカは静かになり、ゆっくりと顔を上げた。

「どういう意味だ、今の言葉は」

「‥‥ほえ? アスカ、何か言った?」

「覚えていないのか‥‥? いったい、お前は──」

 そのとき、激しい音を立てて扉が開いた。

「ふっふっふ‥‥ここまでだな、シュラヴァート!」

 その声を聞き、シュラヴァートはげんなりした表情になった。

「今度はなんだ。新手の嫌がらせか、カルロス」

「ふっふっ、でかい口を叩けるのもそこまでだぜ」

「──叩いてない、叩いてない」 後ろでアーリィが茶々を入れた。

「まったく、どうしてこんな奴を部下にしてしまったのか‥‥」

「あなたの服従の魔法と学園の魔法が作用しあって、彼らに意思が生まれたんですよ」 ルージャが解説する。「本来、人工モンスターにはこんな個性はありません。物を食べるというのも変ですしね」

 カルロスは、肉球のついた指で、シュラヴァートをびしっと指さした。

「この冒険者の方々が、貴様を成敗しに来てくださったのだ! 覚悟しろ!」

 シュラヴァートはカルロスを無視して、その頭越しにユウキたちに話しかける。

「悪いが、気が変わった。私はどこか別の土地に行くことにする。アスカも返してやろう」

「なんだと? おい、ちょっと待て」 クラウドが声を上げた。

「下への階段は、ここを出て三つ目の角を右に曲がった部屋にある。‥‥さらばだ」

 シュラヴァートは背を向け、そのまま霧となって消えた。

「こら、一人で納得して改心してるんじゃない! 俺たちの立場はどうなるんだ! 慰謝料ぐらい残していけ!」

 クラウドが短剣を握ったまま叫ぶ。カルロスが高笑いした。

「ふっふっふ、口ほどにもない奴よ。これで僕が名実ともに地下四階の支配者! いや、ここはいっそ地下三階まで支配域を‥‥いやいや、どうせならもっと大きく地下二階まで‥‥おお、思わず身体が震えてくるようだ!」

 下の階を目指す気はないらしい。

「ふっふっふ、この神をも恐れぬ野望を達成できるのは、この僕、カルロス様をおいて他にない!」

 カルロスは机によじ登ると、くるりと振り向きユウキたちを見下ろした。

「と言うわけで、貴様らは僕に利用されていただけだったのだ! 役に立ってくれた礼に、まずは貴様らから血祭りに上げてやろう!」

「へえ」

 ユウキの反応は冷たかった。その後ろで、ティーナが息をのむ。

「そんな、私たちをだましていたんですね!」

「ティーナ‥‥本気で言ってるの?」

「どうした、かかってこないなら、こちらから‥‥うわっと!?」

 クラウドが、上に乗ったカルロスごと机を蹴り飛ばした。

「くっ‥‥」

 カルロスは、思い切り床に打ちつけた顔を上げる。

「なかなかやるな‥‥どうだ、僕の部下になればこの部屋の半分をやるぞ。悪い条件ではな──」

 クラウドの短剣が閃き、カルロスの毛が数本、宙に舞った。

「‥‥誰が、誰の部下だと? ん?」




*                   *


「お願いしますクラウド様、どうか命ばかりはお助けを‥‥このカルロス、今日よりあなたの犬めでございます!」

 カルロスは、うってかわって卑屈な態度になっていた。ルージャがさらりと言う。

「統計によると、そういう台詞で命乞いした悪役の72パーセントは、けっきょくそのまま殺されてますね」

「そういうことだな」

 クラウドが短剣をかざした。そこにティーナが割って入った。

「確かにカルロスさんは人工モンスターで、おまけに嘘つきでどうしようもないですけれど‥‥けれど、意思を持った以上、生きる権利はありますわ! それとも、間違って生まれたものには生きている資格がないのですか?」

「こいつはさっきの言動で放棄したんだよ。生きる権利というやつをな」

 クラウドが切り返す。ティーナは、毅然とクラウドの顔を見つめた。

「生きることは、放棄することも、させることも許されません。私はそう信じています。──信じたいんです! カルロスさんを殺すというのなら、私を先に殺してください!」

 激するあまり、感情を抑えることができなくなったのだろう。次の瞬間、ティーナの口から叫びが飛び出した。

「‥‥どうせ私なんて、ハーフエルフなんて、モンスターと同じなんですから!」 ティーナはうつむき、言葉をしぼりだすように、続けた。「疎まれて、嫌われて──ただ生きているだけのことが、私には許されないんですかっ‥‥!? 私だって、好きでハーフに生まれたわけじゃないのに‥‥!」

 そのとき、部屋に甲高い音が響いた。クラウドがティーナの頬を平手で打ったのだ。

「二度とそんなことを口にするな。ヒヨっ子の分際で、都合の悪いことをすべて自己卑下で逃げようとするなど、百年早い」

 彼は厳しい調子で言った。

 ティーナは床にへたりこみ、手で顔を覆った。とぎれとぎれにつぶやく。

「‥‥すみません‥‥クラウドさん‥‥」

「──ふ、ふん。まあ、それほど気にすることはない。あとでゆっくり考えればいいことだ。自分の心というものは、この世でいちばん思い通りにならないものだからな」

 クラウドはきびすを返し、部屋を出た。

「先を急ぐぞ。あと一フロアだ」





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