「半分だけ、ですけれど」












ラグナロック学園に、昼休みを告げるチャイムが響き渡った。

 この時間になると人口密度が増加するのが、学園中央公園である。特に今日はいい天気だ。日光と草木の緑に囲まれて過ごしたくもなるだろう。

 “予言の勇者”ことユウキも例外ではない。

 彼は一本の樹の根元に座り、本を広げていた。周りに人はいない。そういう場所を選んだのだ。

 読書に没頭しているうち、太陽の高度が微妙に変わり、光が顔にも射すようになった。場所をずらそうとしたとき、本のページに人の影がかかった。彼は顔を上げ、エメラルドの髪をした女生徒を見た。

「こんにちは。何読んでるの?」

「本」 彼は即答した。




   第二章 “抗えぬ力”

 

 アーリィはいきなり言葉に詰まった。

(確かにこれは、友達できないかも‥‥)

 しかし彼女は努力して会話を続けようとした。

「べ、勉強家なんだね」

「たくさんあるんだ、学ばなきゃならないことが」

 そう言いながらも、ユウキは本を閉じた。会話に付き合う気になったらしい。しかしまだ腰は下ろしたままだ。

「関係ないから忘れてくれって言ったはずだけど。まだ何か用?」

「うん。あれから少し考えたんだけど、やっぱりもう一度謝っておきたくて。部屋にいないから、探すのに時間がかかったよ」

 お節介だと、アーリィは他人からよく言われる。それは的を得ていて、ああいう形で出会った相手を、そのままにしておけるような性格ではない。

 それにユウキには、透き通った氷細工のような、不思議な雰囲気があった。融けてしまいそうで近寄りがたい。だがそれでいて、目をそらせば、その間に砕け散ってしまいそうだ。

「痛くない? 本当に、ごめん」

「いいよ。相手が怒るのは予想してたから。まさかいきなりグーで殴られるとまでは思ってなかったけどね」

「‥‥ごめん」

「もういいってば。平気だよ、これぐらい」

 その言葉どおり、彼の様子を見るかぎりは何ともなさそうだ。

 アーリィとて戦士系学生のはしくれである。パンチがまともに入れば、相手の歯の数本は折れてもおかしくない。こうしてみると、あえてわざと殴られたというのは、本当かもしれない。

 彼の部屋でのことを思い返したついでに、アーリィは彼に聞きたいことがあったのを思い出した。

「そういえば、ボクの名前、知ってたよね。あれはなぜ? どうしてボクを指名したの?」

「‥‥ああ、そうそう。忘れてた」 ユウキは懐から、一枚のカードを取り出した。

「あっ、ボクの学生証!」

「こないだ拾ったんだ。事務に届けておいたんだけど取りに来ないから。ついでに渡せたら一石二鳥かと思ってね」

「そうだったのか。道理で部屋をいくら探してもないわけだよ。ありがとね」

「いや、別にいいよ。‥‥‥‥っと!」

 突然、ユウキの手ぶりがアーリィの言葉をさえぎった。

「すまないが、少し、離れててくれ」

 別の方向を見ながら、彼は言った。その視線の先にはこちらに近づいてくる大男がいた。

「見つけたぜ、勇者さんよ」大男が言った。

 この手の男の人相の悪さというものは、筋肉の量に正比例するらしい。トロールやオーガの基準でなら、かなりの美男子だろう。

「よう。俺と勝負しな、勇者」

「えらくストレートだな。まあ、そのほうが時間と手間が省けて助かる」

 大男とユウキには状況が理解できているようだが、アーリィにはさっぱりだった。

「な、なに、いきなり」

「‥‥馬鹿。喋るな」 ユウキが鋭く言った。が、遅かった。

「なんだ、知り合いかい。こんな所で逢い引きとは、なかなかスミにおけないねぇ」

「合い挽きなのはお前の身体だろう。トロールの肉でも混ざってるんじゃないか? とにかく、彼女は関係ない」

「安心しな、女にゃ手は出さねえよ。俺の目的はお前だけだ。勇者を倒したとなっちゃ、俺の評判にもハクが付くってもんよ」

 アーリィにもようやくわかった。ユウキは学園に認められた勇者だ。一種の嫉妬に裏打ちされた敵愾心を燃やす者も多いだろう。

「ハクが付くほどの評判があるのか?」

「ふん、俺があの有名な“大剣使い”のマルティス様よ。運が悪いぜ、貴様もな」

「悪いのはお前の頭だ。そんな名前、聞いたこともないな」

 言葉の売り買いをしながらも、ユウキと大男は互いの顔から目を離さない。にらみ合いだ。

「ちょ、ちょっと、やめなよ」

 見かねたアーリィが割って入ろうとした。ユウキの注意が一瞬だけそちらに向いた。

 それが、引き金となった。

「俺がいま剣を持ってないのを感謝するんだな、勇者! もっとも素手でも結果は同じだが!」

 マルティスと名乗る大男は、太い腕に力を込めて筋肉を誇示すると、そのまま殴りかかってきた。子供の頭ほどもある拳が、唸りとともにユウキの顔面に迫る。

「危ないっ」

 アーリィは思わず叫ぶ。マルティスの拳が、とっさに身を沈めたユウキの頭上すれすれをかすっていったのだ。だが──

「芸のない大振りだな」

 ユウキが静かにそうつぶやいたのを、アーリィは聞いた。彼女はわずかな間にいくつもの疑問を感じ、次の瞬間それらはすぐに解決した。

 ──なぜ、マルティスが第二撃を繰り出さなかったのか。なぜ、ぎりぎりで運良くかわしたはずのユウキが余裕を保っていられるのか。

 そしてなぜ、今マルティスがゆっくりと地面に崩れようとしているのか。

「そんなので俺を倒そうなんて、少なくとも5学年(レベル)は早い」

 頭上をかすったのは、最小限の動きで拳をかわしたためだった。身を沈めたのは、同時に踏み込みも兼ねていた。マルティスが倒れたのは、ユウキの鋭いカウンターがボディに突き刺さったからだった。

「すごい‥‥」

 アーリィは感嘆した。

「この手の奴はけっこういるんだ。俺に勝って名を上げようってのが」

 淡々と言いながら、気絶したマルティスの身体を木陰に引きずっていくユウキ。いかにも手慣れた様子である。

「もっとも、そういう単純な奴は腕の方も知れてるから、助かるけどね」

「ううん」 アーリィはかぶりを振って言う。「君が強いんだよ。とてもボクと同学年(レベル)とは思えない。‥‥やっぱり、勇者なんだね」

 正直な感想だった。あの冷静であざやかな一撃は、彼女には真似できないだろう。

 しかし、それを聞いたユウキは──無表情な顔を、ほんのわずかだけ曇らせた。

「違うよ。俺は、授業時間以外もいつも、トレーニングや剣の稽古で過ごしてるから。そのせいさ」

「それって、充分すごいことじゃ‥‥」

「他に何もすることがないからね。──そう、何も。強いて言うなら、こういう輩との勝負が唯一の退屈しのぎかな。だから、それほど迷惑じゃない」

「‥‥‥‥」アーリィはまたも言葉に詰まった。先程とは別の理由で。

 アーリィがユウキに話しかけたのは、勇者と呼ばれる少年がどういう人物か、もっと知りたいという好奇心もあった。だが今、目の前にあるのは、彼女の想像していた華やかで栄光に満ちた印象からは、ずっとかけ離れた少年の姿だった。

「え、えーと、ところでさ‥‥」 雰囲気を変えようと再び話しかけたアーリィだったが、またすぐに口ごもってしまった。「‥‥あれ? えーっと‥‥」

 アーリィは、今さらながら彼の名を知らないことに気づいた。ヴィジタルから、肝心の名前を聞いていなかったのだ。間抜けな自分が情けなくなった。しょうがなく正攻法でやり直すことにする。

「君の、名前は?」

「ユウキ。‥‥最初、理事たちがそう呼んでたから、たぶんそれが俺の名前なんだろう。どうせみんな“勇者”としか呼ばないから、どうだっていいけどね」

 アーリィはまた一つ、重要なことを思い出した。

 ‥‥そうか、記憶喪失だったんだ。

 そのとたん、頭の中で何かが閃いた。ユウキの、不可解なほど冷たく厭世的な態度の原因がわかったのだ。

 記憶もないまま、いきなり見知らぬ環境に放り出され、世界を救う勇者という使命と肩書を押しつけられたら、自分ならどうするだろう。適応しろというほうが無茶なのではないか。むしろユウキは、かなりよくやっていると言えるのではないだろうか。

 アーリィは、ユウキという人間を少し理解したと思った。

 たとえそれが傲慢や勘違いであったとしても、人と人との関係というものは、すべてここから始まるものだ。

「ねえ、何かおぼえてることって、ある?」

「‥‥それが、どうも変なんだよ」

「変?」

「詳しくは知らないけど、普通は記憶喪失と言っても、日常的なことや一般常識は残ってるものだと思うんだ。でも俺の場合は違った。魔法とか、異種族とか、まるで初めて聞いたようなことばかりだったからな」

 ここまでずっと、アーリィのほうを向かず独り言のように話していたユウキだったが、ここでようやくアーリィの顔を見て、言った。

「正直、いまだになじめない。君のその髪の色だってそうだ」

「え? 緑色って確かに少ないかもしれないけど‥‥でもピンクや青の人だっているし。むしろユウキくんみたいに黒髪の人のほうが珍しいんじゃないかな」

「でも、それが俺には、どうもしっくりこないんだよ。まるで違う世界に迷い込んできたような気がする」

「そりゃあ、大変だね。‥‥あ、そっか。さっき言ってた“学ばなきゃいけないこと”って、そのこと?」

「そう、常識からおぼえていかなくちゃならないんだよ」

 ユウキの口調は最初より、ごくわずかながらもうちとけたものになっている。せっかくの雰囲気を壊したくなくて、アーリィは素早く次の話題を探した。名前を聞いて、趣味らしきものも聞いて、次は‥‥。

「やっぱり、故郷とか家族とかも、全然思い出せない?」

 ユウキはしばし考え込んだ。

「家族のことは、かけらほどもダメだ。故郷っていうか、どういう所に住んでいたかはおぼろげに頭の中にある」

 こういう記憶の残りかたも変だと思うんだけど、と前置きしてから、ユウキは語りだした。

「そうだな‥‥夜でも明かりがついてて、人があふれるほど多くて、頑丈で大きな建物がいくつもそびえてて‥‥ちょうど、この学園みたいな感じだな」

「ええっ!?」

 アーリィは仰天した。

「この学園みたいって、それってすごい大都市だよ!」

 いや、それどころか、そんな場所が世界に二つとあるかどうか‥‥。このラグナロック学園はそれほどケタ外れの施設なのである。

「ボクも最初ここに来たとき、夢でも見てるんじゃないかって思ったもん。ボクの住んでた村なんかねぇ、日が暮れたら真っ暗だし、住んでるのは二十三人と四匹と九頭と十三羽だけなんだよ。あ、ラムダおばさんのとこの三人目が先月生まれたはずだから、二十四人か」

 ローカルな情報を語りだすアーリィ。ユウキの呆れたような視線を感じ、あわてて言いつくろう。

「‥‥あっ、いや、そんなことはどうでもよくって‥‥そんな手掛かりがあるんなら、故郷がどこかぐらい、調べられるんじゃない? そうすれば他の記憶も‥‥」

「べつにいいよ。そんなの」

「よくないよ。家族だって、きっと心配してるし」

「いいんだよ、今のままで。俺は満足してるから   

 そう言ったとき、ユウキは腕をぐっと掴まれた。アーリィだ。彼女は、いつも冷静なユウキが思わず気押されるほど強い調子で言った。

「ダメだよっ! 自分から家族の絆を断ち切ろうとしちゃあ。そんなの‥‥」

 少し落ちついたアーリィは、ユウキの腕から手を離した。くっきり赤く、あとがついている。アーリィの反応にまだ戸惑っているユウキに向かって、彼女は高らかに宣言した。

「決めた。ボクが、ユウキくんの記憶を取り戻す手伝いをしてあげる」

「‥‥そういうのは手伝いじゃなくて強制‥‥」

「やっぱとりあえず、故郷のイメージが大きな手掛かりだよね」

 何を言っても無駄と悟ったユウキは、早々とあきらめ、一人で本を読みはじめた。アーリィはその本を取り上げた。

「ところでユウキくん、まさか今まで学園から一歩も出たことない、とか‥‥?」

「そうだけど」

「この一年半の間、一度も?」

「ああ」

「‥‥よく我慢できるね。息が詰まらない? そんな生活してて」

 ラグナロック学園は基本的に全寮制とはいえ、年に数週間は故郷に帰ることも許されている。〈翼〉の理事が統括する風翼委員会に依頼すれば、どんな遠方にも一瞬で送り届けてもらえるはずだ。

「もとから外の世界を知らないんだから、平気だよ。そういうものさ。生まれたときから狭い部屋に閉じ込められたきりだったとしても、それが当たり前だと信じていれば幸福に生きていける。なまじ比べるものがあるから、自分は不幸だとか考えてしまうんだ」

 暗い思考‥‥、とアーリィは思った。とても寂しい台詞に聞こえる。言っている当人はそうでもないのかもしれないが。

「それは、頭の中だけの理屈だよ」

 ついそう反発してしまってから、アーリィは言い方がきつかったかと後悔した。しかし、ユウキは素直に認めた。

「そうかもしれない」

「‥‥誰かより優れているとか、誰かより恵まれているとか、そういうのだけが幸せじゃないと思う。一人きりで生きているんじゃないもん。みんなで泣いたり笑ったりしながら、その果てに得られる幸福ってのも、きっとあるんだよ。‥‥君みたいに、うまく言葉にできないけどさ。頭よくないから」

 アーリィはそこで明るい笑顔になり、指を一本立ててユウキの前に出した。

「でも、行動力には自信あるんだ。一つ、いいアイデアが閃いちゃった。ちょっとこっちへおいでよ」

 そう言って彼女は、近くにあった掲示板へとユウキを引っ張っていく。

「えーっと‥‥あったあった、パーティー仲間募集」

「パーティー? 仲間?」

「勉強不足だぞ。いくらなんでも、学園生ならこのぐらいは知っておかなくちゃ。間近に迫ったパーティー検定の話だよ」

 パーティー検定とは、学生でもプロの冒険者と同様に働けるようにする学園の制度のことである。いわば“見習い”の資格を与えるわけだ。

「卒業してから一人前の冒険者になるためには、何より実戦経験ってのが大切だからね。授業だけじゃ身につかないものもあるし。それで、学園の検定をパスして、充分に実力あるパーティーと認められた学生たちは、簡単な仕事をまかせてもらえるようになるの。実習という形でね」

 実習で経験を積めば、本当なら一年かかるところを、もっと短い期間で進級できる。さらに、学生時代に功績を挙げれば、将来の評価にも大きく影響するのだ。そのため、かなりの難関でありながらパーティー検定に挑む学生たちは数多い。

 検定において、一つのパーティーは六人で構成される。そこでこの時期には、あちこちで足りないメンバーを募る貼り紙が見られるというわけだ。

「実習パーティーとして認められれば、外の世界を知る機会もできるし、学園生活も楽しくなると思う。ボクと一緒にやってみようよ」

「‥‥でも、検定って、簡単には合格できないんだろう。俺たちはまだ2年生だし‥‥」

「だから、強そうな上級生のパーティーに入れてもらえばいいじゃん。ユウキ君は充分な腕を持ってるし、ボクの弓だって学年(レベル)以上の実力はあるつもりだよ。──ね、やろうよ」

 アーリィの声は、すでにユウキの同意を得たかのように弾んでいる。

 こういったときのアーリィには、他人が抵抗できない何かがある。まるで幼い子供のように単純に、それが相手のためになると信じきっているからだろう。

 ユウキはゆっくりとうなずいた。「「君がそこまで言うんなら」

「よしっ! 決まりっ!」

 ぱちんと両手を叩き、アーリィはもう一度掲示板を確認した。

「我々のパーティーに加わりたい者は、騎士科4年生のソーリス、もしくは《海》の寺院の僧侶科3年生のルーナエまで‥‥か。《海》の寺院なら、友達がいるから行きやすいし、ちょうどいいや」

 彼女はくるりと振り向いた。

「じゃ、締め切られないうちに、今からパパッと行ってこようか。ユウキくん‥‥」

 そこでしばらく言葉を切り、言い直す。

「うーん。どうもやっぱり、こういう他人行儀な呼び方は性に合わないなぁ。ユウキって呼んでいい? ボクのこともアーリィでかまわないから」

 ユウキがうなずいたのを確認して、アーリィは右手を差し出した。

「それじゃあ、あらためて‥‥よろしくね、ユウキ」




*                   *


「ごめん」

 先を歩いていたアーリィが言った。

「‥‥迷っちゃった」

 校舎の裏の細い道である。先の方にも寺院らしき影は見えない。

「そうみたいだな」

「友達がいるのは本当なんだけど、《海》の寺院に行ったことは二回ほどしかないんだ」

「なるほど」

 淡々と答えるユウキ。アーリィにとっては、下手に責められるより気まずかったりする。

「‥‥とにかく、公園まで戻ろう」

 二人が引き返そうとしたとき、すぐ横の校舎の一階の窓がカラカラと開き、一人の少年がひょっこり顔を出した。

「《海》の寺院に行かれるんですか?」

 アーリィとユウキに、少年は穏やかな調子でそう語りかける。

「あ、すいません。お話が聞こえたものですから。実は僕も、これからあそこに行くところなんですよ」

 そう言ったかと思うと、彼は窓枠に手をかけ、空中に身を踊らせた。そのまま軽やかに着地する。

「‥‥よかったら、御案内しますけど」

 笑顔のまま、アーリィたちの顔をじっと見つめる。

 年齢は二人よりわずかに下、といったところだろうか。あどけなさの残る中性的な顔に、愛嬌のある笑みが絶えない。他の学生たちとは一風変わった異国調の衣装に、細身の身体を包んでいる。

「ホント? ありがとう!」

 アーリィが安心したように言った。

「いえ、困ったときはお互いさまですから」

 ユウキがアーリィの肩をつついた。

「いいのか? なんだかこいつ‥‥怪しそうだ」

「ちょ、ちょっと、ユウキっ」

 しかし少年は、気分を害するどころか、ぷっと吹き出した。

「あはは。用心深い人ですねー。それじゃまるで、僕が誘拐犯か何かみたいじゃないですか」

 と、亜麻色の髪を揺らして、いかにも楽しそうに笑う。

「なかなかその職業も楽しそうですが、残念ながら僕は誘拐犯ではありません。信用してもたぶん損はしませんよ。──僕は、吟遊詩人科1年生のルージャ・ヴィルトンといいます」

少年はそう名乗った。よく見れば背中にリュートと呼ばれる楽器を背負っているのは、所属する(クラス )のせいだろう。

 アーリィが、感心したように尋ねた。

「‥‥ってことは、入学してまだ半年? よく寺院の場所とか覚えてるね。ボクなんてまだ覚えられないのに」

「吟遊詩人は、世界中のあらゆる情報に通じていることが必須条件ですからね。この学園の地理ぐらいは頭の中に入ってないと、お話になりません。“旅”の全てを司る(クラス )と言っても過言ではありませんから」

 彼の言葉は誇張ではない。確かに戦闘力はあまり期待できないものの‥‥その知識や情報網、交渉術などは、場合によっては強力な魔法にも匹敵するだろう。特に、いくつかの国々を渡り歩くような場合、パーティーに吟遊詩人がいるといないとでは、冒険のスムーズさが格段に違ってくる。地下迷宮に盗賊なしで潜るのと同じだ。

「ではまぁそういうことで、さっそく参りましょうか」

 明るく軽くそう言うと、ルージャという少年は先頭に立って歩きはじめた。

 ルージャの先導は実に的確だった。自信に満ちた足取りですいすいと進んでいく。やがて、目指す寺院が見えてきた。

 学園内には、七大神それぞれに一つずつ、合計七つの寺院が建てられている。《海》の寺院は、第四神クライスをまつるものだ。他の六つは、第一神アルーの《太陽》の寺院、第二神ヴィシュナの《月》の寺院、第三神シャルカの《風》の寺院、第五神アムティラスの《森》の寺院、第六神オーディーの《大地》の寺院、第七神ジュシスの《炎》の寺院である。ちなみに付け加えるならば、これらの寺院を運営するのは学園の聖僧委員会であり、さらにそのトップにいるのが〈僧〉の理事なのだ。

 寺院は、僧侶科の学生の、授業以外での修行の場となるだけではない。有料で学生たちのケガや病気の治療、呪いの解除を行う場所でもある。さすがに瀕死の重傷や不治の病など手の施せないものもあるが、学生たちにとっては非常に重要な施設である。

「はい、着きましたよ」

 にっこりと笑ってルージャが言う。

「では、僕はこれで」

「あれ? もう行っちゃうの?」

「ええ、僕は中でちょっと用事がありますので」

「そっか。ありがとう、ルージャ」

「いえいえ。それでは、機会があればまた会いましょう、ユウキ先輩にアーリィ先輩」

 一礼すると、ルージャは寺院の中へと消えていった。彼の最後の言葉に、ユウキは一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべたが、そこにアーリィの声がかかった。

「さ、ボクたちも行こうよ。‥‥あれ? あそこにいるのは‥‥」

 アーリィの視線の先に、ホウキで寺院の前の地面を掃いている金髪の少女の姿があった。

「おーい、ティーナ!」

 手を振りながらアーリィは駆け寄る。呼び声に少女は顔を上げた。小柄でほっそりとした身体に見合った、繊細な美しさを持つ顔だちである。彼女はアーリィの姿をみとめ、挨拶した。後ろで三つ編みにされた金髪が揺れる。

「あら、アーリィさん。こんにちは」

 穏やかな微笑みをたたえた唇から、鈴が転がるような声が紡がれる。

「今日はどうなさったんですか。もしかして、あの呪いの剣のことで御相談に‥‥」

「呪いの剣?」

 ユウキがオウム返しにアーリィに問うた。

「あ、ああ、何でもないの。ティーナ、紹介するね。剣士科のユウキ」

「“ユウキ”──」

 ティーナと呼ばれた少女の目がかすかに細まった。そのまま、そのブルーの瞳でユウキを見つめる。

「──予言の勇者様ですね。初めまして。私、僧侶科1年生のティーナと申します」

 彼女はぴょこんとお辞儀した。軽い緊張のためか、白い頬がうっすらとピンクに染まっている。ていねいな物腰につられてユウキは頭を下げた。

「ユウキを知ってるの、ティーナ」

「はい。遠くからですが、一度だけ拝見させていただきました」

「あの、ティーナ‥‥さん」 ユウキが言った。「そこまで仰々しく敬語を使わなくてもいいよ。それほど偉いものじゃない」

「あ、も、申しわけ‥‥いえ、すみません」

 ますます顔を赤くして、ティーナは謝った。

「この子、ちょっと内気な性格だから。初対面の人にはいつもこんな調子なんだ。ボクのときもそうだったし」

「はい‥‥治そうと、努力はしているんですが‥‥」

 恥ずかしそうにティーナは目を伏せた。そのときユウキは気づいた。彼女の、わずかに尖った耳に。

「もしかして、君は‥‥エルフ?」

 実際に間近で話したりするのは初めてである。もともと数が少ないし、戦士系には向かないため、ユウキのクラスには一人もいないからだ。

「はい‥‥」

 ティーナは、少し寂しそうに微笑み、答えた。

「──半分だけ、ですけれど」

「ハーフエルフってやつか」

 ユウキはつぶやいた。

 本来、この手の世間的な会話は苦手のはずの彼だが、さすがに相手がアーリィの友人である手前、無視するわけにもいかないと思ったのだろう。彼なりに会話を続けようとした。

「大変だな。エルフと人間とのハーフなんて、まわりが色々とうるさいだろう」

 その途端、アーリィが彼を肘で小突いた。

「ちょっとっ。もっと言葉を選びなよっ」

「いえ、いいんです、アーリィさん」

「‥‥ほら、この健気な性格! 両親を早くに亡くしながらも、頑張ってるんだから。ティーナはさ」

「頑張っているだなんて、そんな‥‥。皆さん、優しい人たちばかりですから。苦労なんてしていませんわ」

「ティーナ‥‥」

 アーリィは、いきなりティーナに抱きついた。

「君って、ホントにイイ子だね。よしよし」

「なるほど」

 その光景を見て、ユウキはポツリと言った。

「どうも言動が男っぽいと思ったら、そういう趣味だったのか。これで納得がいった」

「‥‥そういう趣味?」

「いや、理解はできないだろうが許容はするから。気にしなくていいよ。続けてくれ」

「続けるって、何をさ」

 二人のやりとりを聞いていたティーナが、くすくすと笑いだした。

「ふふ‥‥ごめんなさい。アーリィさんが勇者様とそんなに仲がいいなんて、知りませんでした」

「え? いや、ボクとユウキは、さっき知り合ったばかりなんだけどね」

「まあ。そうなんですか」

 ティーナは驚いたようだ。瞳を丸くしている。

「私、てっきり‥‥」

 言いかけてティーナは言葉を止め、視線を寺院の入口のほうへ向ける。

 ちょうど、二人の男が出てくるところだった。一人は大きなカゴを抱えている。

「おーい、ティーナ! 掃除はすんだのか!」

 カゴを抱えたほうの男が叫んだ。ティーナは肩をびくっと震わせ、慌てて振り返って答える。

「は、はい。もうすぐ終わります」

「これは午後の分の奉納品だ。あとで祭壇に運んでおいてくれよ!」

 男は、必要以上の大声でティーナに命じた。

「‥‥はい、メルクリィさん」

「メルクリィ?」

 アーリィはつぶやいた。どこかで聞いたおぼえがあるような‥‥。

「貼り紙に書かれてた名前だよ。俺たちが会いに来た人物だ」

「あ、そうそう、そうだった」

 ユウキの言葉を聞き、二人の男のもう一方も、反応を示した。

「ん‥‥希望者か」

 男は、妙に格好をつけて歩きながら、アーリィたちに近づいてきた。寺院の陰から、陽の当たる場所に出てきたとき、彼の身体がまばゆくきらめいた。

 彼は、金色の胸当てを身に付けていたのだ。

「やあ、ようこそ! この僕の評判を聞いて、パーティーに加わりたいと思ったんだね? それは実に賢明な判断だよ。はっはっは」

 ユウキが小声でつぶやいた。

「こいつは駄目だ。やめよう」

「そうとも! 僕こそがあの“黄金の貴公子”ソーリスさ!」

 アーリィもユウキも、その名は初耳だった。

「特別に君たちに見せてあげよう! この華麗なる剣を! そして技を!」

 ソーリスは、白い手袋をはめた手で、腰に下げた剣を抜き払った。光がこぼれる。彼はその剣で数回、素早く虚空を切り裂くと、そのまま見せびらかすように天にかざした。

「うわ‥‥黄金の剣‥‥」

 素直に感嘆するアーリィの後ろで、ユウキが静かに言った。

「金という物質の特色は、その延展性──」

「え?」

「限りなく薄く引き延ばすことができるぶん、硬度に欠け、少し力を加えただけで簡単に曲がってしまう。しかもその割に重い。そんなもので、実用のための剣を作る馬鹿はいないさ。メッキだよ」

「キ、キミ、僕を馬鹿にするつもりか‥‥!」

「まぶしいから早くしまってくれ。誰も“黄金の貴公子”本人までがメッキだなんて言うつもりはな──」

 アーリィが素早くユウキの口をふさいだ。

「ちょっと! 普段は無口なくせに、どうしてこういうときだけズケズケと‥‥」

 ユウキに詰め寄り、小声でたしなめる。ソーリスはなんとか立ち直り、剣を鞘に収めた。

「ま、まあいい。僕は心が広いからね。多少の無礼は許してあげよう。──それはさておき、僕の部下になりたいらしいが、所属と学年は?」

「部下じゃなくて仲間だけど‥‥弓兵科2年生のアーリィです」

「剣士科2年生の、ユウキ」

「ふーむ‥‥」

 ソーリスは二人をじろじろと見た。

「できれば3年生以上が欲しいんだけどね‥‥。どうする、メルクリィ?」

 僧侶科の男、メルクリィにそう尋ねる。僧侶科という割に強面で目つきの鋭いメルクリィは、少し考えてから答えた。

「そうだな。ちょっとしたテストを受けてもらうってのは、どうかな」

「なるほど」

 二人は目配せを交わした。

「では、こうしよう!」

 ポーズを取ってソーリスが言った。

「この《海》の寺院の祭壇から、最近毎日のように奉納品が盗まれている。おそらく今日も犯人は現れるに違いない。そいつを捕まえることができたら、パーティーの一員として迎えることを考えようじゃないか」

「おい、勝手に話を‥‥」

「さあ、行きたまえ! 期待しているよ!」

 抗議しかけるユウキに、びしっと指をつきつけてソーリスは言った。メルクリィのほうは、傍らにいたティーナに声をかけた。

「ティーナ、知り合いなんだろう。祭壇に案内してやってくれ」

「はい‥‥」 ティーナはうなずく。「こっちです、アーリィさん」

 そう言うと、彼女は奉納品のカゴを持ち上げた。明らかに彼女の身体には大きすぎるものだ。バランスを崩し、彼女はよろけた。素早くアーリィが駆け寄って支える。

「危ないっ。‥‥ボクも手伝うよ。ティーナはそっちのほう持って」

 二人は歩きだし、少し遅れてユウキが続いた。

「行く、しかないか。やれやれ」

 彼らの背中に、ソーリスの声が飛んだ。

「キミたちの力で奉納品泥棒を捕らえるんだ! 頑張りたまえ!」





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