我らに許されぬのは、敗北のみ












〈剣〉の理事の私室にて、二人の人物が会話していた。

「今回のパーティー検定は、不慮の事故により中止。ただし“勇者ユウキと仲間たち”改め“トゥインクル・スターズ”に関しては、妖魔エイラムを封印した功績を認め、特例として実習パーティーの資格を与えるものとする。──表向きは、こんなところだろう」

 謹厳実直めいた口髭をたくわえた〈剣〉の理事ガルダが言った。

「嘘まみれもいいところですねー」

 会話の相手は、やや皮肉を含んだふざけた調子で言った。ルージャである。

「真実を告げることが常に善だとは限らぬ」

「とはいえ、常に悪でもない。‥‥まあ、それが学園の意向なら、従っておきますが」

 彼の祖父、第三十二代〈剣〉の理事ガルダ・ヴィルトンは、現在の八大理事の中では最も古くからその任についている。ゆえに理事長の信頼も深く、その右腕と言ってもよい。滅多に表に出ることのない理事長に代わり、学園の重要事項をとりしきるのはガルダの役割だった。

「ところで、身体はもう平気か」

「はい。ティーナさんの回復魔法のおかげです。大した効き目ですよ。これも彼女の慈愛のパトスのおかげでしょうかね」

「そうか」

 わずかに気まずそうな顔をした祖父に対して、ルージャのほうはあくまで普段通りのまま話を続けた。

「この僕まで捨て石にしようとしたのか、なんて咎めたりはしませんよ。どうせそのうち誰もが命を賭けることになるわけですし。ま、いい経験だったということで」

「‥‥で、勇者の様子はどうだ」

「はい。今日あたり会いに行こうかと思ってます。検定のとき以来ですからね。もう三日になりますか、あれから」

「そうではない。お前の目から見て、彼はどういう人物に映ったかを聞いている」

「そうですね‥‥表面上のイメージよりは、ずっともろくて不安定なところがあります。心の内に、すごくいいものを秘めた人だと思うんですが。やはり記憶のことなどが関係しているんでしょうね。『何も持たないがゆえの重荷』といったところですか」

 口調は軽いが、ずいぶん好意的なものを含んだ言い方だった。

「あと、責任感は強いですね。強すぎるぐらいです。勇者として役に立たねばならないと、かなり自分を追い詰めているようで‥‥」

「そのぐらいでなければ、困る。そのために記憶を消したのだからな」

 ルージャの肩がぴくっと反応した。ややあって、口を開く。態度こそ相変わらずであるものの、その声には冷たいものが混じっていた。

「“消した”? 僕は、召喚時に“失った”と聞いていたんですけどね‥‥」

 ガルダは黙り込み、口髭をいじりはじめた。

「お祖父様?」

「‥‥そうか。お前は知らなかったか。真相は今言った通りだ。我々が消したのだよ。肉親や生い立ちなどと言ったものから、重点的に」

「それでですか。ユウキ先輩も、自分の記憶の失われ方が妙だと言っていました。──で もいったい、なぜそんなことをするんです」

「理由か? 単純なことだ。里心など出されて『元の世界』に帰せと言われると困るからな。彼は我々にとって必要な者だ」

「必要、ね‥‥」

 ルージャは繰り返した。ユウキは確かに、必要とされることを望んでいた。しかし、それはこんな形ではないはずだ。

「お祖父様」 ルージャは言った。

「一つだけ、正直な所を聞かせてください」

「何だ」

「この学園は、ユウキ先輩のことを何だと思っているんですか?」

 しばらくの間、沈黙があった。月明かりの差し込む窓の外、どこかで鳥の鳴き声がした。それをきっかけにするかのように、ガルダは静かに言った。

「──兵器だ」

「なっ‥‥!」

 ルージャは、彼にしては珍しく声を荒らげようとした。だが彼は深呼吸を一つすると、できるだけ穏やかに言った。 「‥‥そういうコト、ですか。でも僕は、人間としてのユウキ先輩に好感を持ちましたからね。はっきり言って、何かあったときは先輩の側につきますよ」

 ヴィジタルと似たようなことを言うのだな、とガルダは考えた。人にそこまでさせるものが、やはりユウキにはあるのだろう。

「だがルージャよ。忘れるな。この学園に許されぬのは、敗北のみだ。勝利をもたらすためになら我々はどんな悪業もいとわぬ。たとえ後世の人間にどう非難されようと──その後の世を作ること自体が、この学園の使命なのだからな」 ガルダはルージャの顔を見すえながら、言った。「理事長を恨まないでくれ。あの方の場合、冷酷さは罪ではない。罰だよ。あの方は己の背負った宿命ゆえに、非情に徹せざるを得ないのだ。理解してほしい。辛い戦いを強いられているのは、勇者だけではないのだ。‥‥それはルージャ、お前にもわかるはずだ」

 ガルダは、静かに言った。

「キリュウ・ヴィルトン──」

 その名を聞き、ルージャの表情がかすかに動いた。

「そう、お前の父、私の息子‥‥。キリュウが何のために命を犠牲にしたか、よもや忘れたわけではあるまい」

「忘れるわけ‥‥ありませんよ」 ルージャはうっすらと、複雑な笑みを浮かべた。「おぼえています。飛び散った血の一滴一滴の位置まで、鮮明にね」

 ルージャはきびすを返し、退室しようとした。

「まあとにかく、僕はあのパーティーの皆さんが気に入りました。当面はトゥインクル・スターズの一員として行動させてもらいますよ。そうすればおのずと、御目付役としての役割も果たせるワケですしね」

「運命に、巻き込まれるぞ」

「そんなことはとっくに覚悟してます。予言に僕の名が現れたときから」

 ユウキは、彼が引き合わせる必要もなく、アーリィたちと出会っていた。これも運命、“抗えぬ力”なのだろう。彼の連れてきたアスカにしても、お互い出会うことは時間の問題だったに違いない。

 ルージャは扉に手をかけた。「それじゃ、お祖父様。失礼します」

「ルージャよ」

 ガルダは最後に一言だけ、付け足した。

「本当に勇者のことを想うのならば、何よりも気をつけるべきことがある。二度と彼に“凍れる暴走”を体験させるな。お前は目の前で見ていたのだろう。──彼は、滅びの性を秘めた救世主なのだ」




    第十章 偽る者、欺く者、そして



 どこかで鳥の鳴き声がした。クラウドはそのとき、公園の樹の枝の上にいた。枯れかけた葉の合間から、月の光が漏れている。

 クラウドは手にした短剣を眺めていた。もうかれこれ半時間はそうしている。その短剣はいつも戦闘に使っているものとは違った。古びていてあちこちに錆が浮かび、そして首飾りの鎖が巻き付けられている。

「‥‥セルク」

 かつて短剣の所有者だった男の名を呼ぶ。

「あのときも、こんな月夜だったな。お前が俺たちの森に迷い込んできた日──」クラウドは、懐かしむように目を閉じた。「あの時、俺と妹がお前に出会っていなければ‥‥こうして冒険者になることもなく、それにあいつが生まれることも‥‥」

 短剣が、クラウドに答えるように、月の光を照り返した。

「セルク。エミナ。お前らの娘は立派に育っているぞ‥‥両親に似て甘ちゃんだがな」

 ありふれた短剣と、ありふれた首飾り。人間の男とエルフの女のありふれた恋。

 ──贖罪。あの吟遊詩人のタマゴはそう言った。その通り、クラウドは友人を自分のせいで死なせたという罪を背負ってきた。

 クラウドは胸の火傷を撫でた。人を傷つける優しさもあれば、優しくなれる傷もある。

「‥‥?」

 樹の下で、人の気配がした。

「‥‥クラウドさん」

「クラウド先輩」

 そう呼ぶ声が聞こえてきた。




*                   *


 どこかで鳥の鳴き声がした。ユウキは剣の素振りをやめ、ベッドに腰を下ろした。

「こんな時間に珍しいな」

 汗を拭い、ユウキはつぶやく。

「眠れないのは、俺も同じだけど」

 ユウキは、妖魔との戦いを思い返した。そう、彼は全部おぼえていた。ティーナに答えた言葉は嘘だった。妖魔が消滅するところまで、しっかりと脳裏に刻み込まれている。

 だが、記憶に残っているといっても、そこには何の感情も入っていなかった。単なる事実の羅列にすぎない。人から聞かされた話をそのまま暗記したかのような記憶。

 自分はなぜ妖魔を倒したのだろう。わからなかった。あのときの自分には、決心も、殺意も、義務感も、何一つなかった。『倒す』でも『倒したい』でも『倒さねばならない』でもない。自分はただ呼吸するように、あるいは心臓が鼓動するように、全く意識せずにごく自然な行動として妖魔を消滅させたのだ。

「あれが、俺自身の心の力ってやつなのか‥‥?」

 そしてもう一つ、疑問があった。こちらはそれほど大きなことではないが、それでも心に引っ掛かっていた。

 それは、妖魔エイラムがパトスという単語を使っていたことだ。

 ルージャによればパトスとは、この学園による研究の結果、命名されたものであるはず。だがエイラムは、はるか昔から持っている概念、種族の中に受け継がれきた常識という口ぶりでその言葉を使っていた。それにまた、妖魔がパトスを使えるということは、彼らの精神は人と酷似しているということになる。確かにエイラムは、その強さを除けば外見も内面も普通の人間とさして変わらぬように見えた。

 妖魔とは、何なのだろう。

 ──そこまで考えたとき、窓の外で物音がしたような気がした。ユウキは思考を切り換え、意識を耳に集中さえた。

 今度ははっきりと聞こえた。すぐ外から音楽が流れてきている。ユウキはカーテンを開け、ベランダの窓も開けた。

「こんばんは、先輩。いい夜ですねー」

 狭いベランダで手すりに腰掛け、ルージャがリュートを弾いていた。

「ルージャ。ここは二階だぞ」ユウキは、手すりから垂れ下がった鉤付きのロープを見た。

「‥‥このためだけに、わざわざよじ登ってきたのか?」

「そうですよ」

 ユウキは黙ってロープを外し、くるくると丸めて回収すると、窓を閉め錠を下ろした。

「あのー、ユウキ先輩。これじゃ降りれないし入れないんですけど。ねえ」

 カーテンを閉めようとするユウキの手を、誰かが止めた。

「ほらほら、意地悪しないで入れてあげようよ。ルージャも、変な登場の仕方しようとするから、そうなるんだよ」

「アーリィ、どうやって‥‥?」

「ふん。俺の手にかかれば、あんな鍵などなんでもない」 部屋を物色しながらクラウドが言った。

「‥‥‥‥」

「あの、ユウキさん‥‥勝手に入ってすみません。私、止めたんですけれど‥‥」

 ティーナが謝った。

「わーい、大きなベッドだ♪」

 アスカがその上で飛び跳ねる。アーリィに中に入れてもらったルージャが、言った。

「僕が皆さんを呼んだんですよ。我々トゥインクル・スターズの検定合格も決まったことですし、全員でお祝いをしようかと思いまして。せっかくの仲間なんですから、冒険のときにしか会わないんじゃつまらないでしょ」

「だからって、どうして俺の部屋なんだ?」

 アーリィが答えた。

「だってまずリーダーだし、それにボクの部屋は散らかってるから。ティーナんとこは綺麗だけど、やっぱ女の子の部屋にそうそう人を入れるもんじゃないでしょ」

「ルージャの部屋は?」

「僕は吟遊詩人科の寮ですからね。周りが騒がしいですよ、いろんな音や歌でいっぱいで。雑音の中で自分のリズムを保つのもいい訓練ですから、普段はいいんですが」

「じゃあ、クラウド──」

「俺の部屋か? 別に構わんが‥‥俺以外の者が入ると、命の保証はできんぞ。いろいろ危険物も転がってるからな」

「‥‥それで、アスカは幼年寮と。消去法か」

「そういうこと」 アーリィは笑った。「ま、こういうのも楽しいもんでしょ」

 ティーナが、持ってきた包みを差し出した。

「これ、昨日焼いたブルーベリーパイです。残り物ですみませんけれど‥‥」

「飲み物のほうは、僕が用意してきました。抜かりはありませんよ」 と、ルージャも言う。

「ボクは、田舎から母さんが送ってきたチーズ。名産なんだよ」

「アスカのお菓子も分けたげるね」

 そしてクラウドも袋を取り出した。「俺は何も持ってきていないが、余ったものは責任を持ってもらって帰ってやるから安心しろ」

 アーリィがユウキの隣に腰を下ろし、ユウキに笑いかけた。

「どうせ、また一人で何か考えてたんでしょ? 今夜は嫌なことなんて気にせずに、ぱーっといこうよ、ぱーっと」

 アーリィは、グラスや皿をユウキに手渡した。

「やっぱりさ、コレみたいに──」

 チーズをナイフで切り分けながら、アーリィは言いかけた。

「皆で分けたほうが、別の側面が見えてくると思うんだよね、どんな悩みも」 一切れをユウキの皿に乗せる。「‥‥うん。ま、とにかく食べなよ」

 勧められ、チーズをかじりながらユウキは静かに尋ねた。

「なあ、アーリィ。俺のことを変だと思わないのか?」

「変、って?」

「記憶も持っていないし、なぜか勇者だとか言われてるし、魔法がきかなかったりする。素性も何もかも得体の知れない、不気味な存在じゃないか? どうしてそんなに普通に付き合えるんだ。たぶん逆の立場だったら、俺には‥‥できないよ」

「どうして、と言われても‥‥」

 チーズにナイフを刺したまま、アーリィは考えた。

「そりゃ、変だと思うよ。でも、それを言ったらここにいるみんな、変だし。同じなわけないよ。違う人間なんだもん。それが『普通』でしょ。──あと、信じてるから、かな。たとえ逆の立場だって、ユウキは変わらずユウキらしく、ボクに接してくれるってわかるから。それはティーナたちもみんな同じだと思うよ」

 ユウキはうつむいた。ふと、強い想いにとらわれたのだ。

 この瞬間がかけがえなく思えた。ずっと続けばいいと願った。アーリィたちの声を、この部屋にとどめておきたかった。

 人は孤独自体が怖いのではない。孤独にされるのが怖いのだ。奪われるのが怖いのだ。

 ユウキは考える。少し前までなら、いくら独りの時間が続いても平気だったはずだ。だが今、彼らが消えてしまったら、自分はどうなるだろう。

 彼らを得て、自分の心は強くなったのだろうか。それとも、弱くなったのだろうか。

 ──完全な心とは、どういうものなのか。

 心は魔法、心は獣、心は鎧、心は刃。心は‥‥。心は‥‥。

 ユウキは立ち上がり、一人でベランダに出た。混乱して、頭を冷したくなったのだ。

「ユウキ先輩」

 その背中に、ルージャの声が飛ぶ。

「先輩は、自分が生きていなくてもいい存在だとか言ってましたけど‥‥でも、『生きて いなくてもいい』と『生きていてはいけない』との間には、天と地ほどの開きがあります よ。その二つのはざまで揺れ動きながら生きてるのが、人じゃないでしょうか。確かに人 は、他の生命を踏み台にして生きる、業の深い生き物です。誰でも時々、人であることが 嫌になるほどにね。けれど、誰かを傷つけ、何かを壊すことだけが人の心の役割ではあり ません。誰かを癒し、何かを生み出すこともできるんですよ」

 近くで人の気配がした。アーリィがまた、ユウキの隣に立った。ユウキは彼女から少し 離れた。アーリィはさりげなく移動し、その隙間を埋めた。

 ユウキには、彼女が全身で語りかけているように見えた。別れを恐れて出会いを避けた りするのは間違っている。何かをなし遂げる前に生を放棄するのもまた、同じことだ‥‥ と。

 落ちついた夜の中で、アーリィは口を開いた。

「ユウキが何を考えてるのか、ボクにはわからないよ。ユウキの生き方を変えたり止めた りする権利もない。でもね」

 薄闇のせいでアーリィの表情は見えない。だがユウキには、彼女が微笑んだのがわかっ た。

「これから先、『自分は孤独だ』なんて思ったら‥‥ボクが、承知しないぞ?」

 ユウキは顔を上げ、空を見た。何もない黒い空間。そしてそこに点在する光の点。

 そのときユウキは、これまで見えなかったものをはっきりと見た。



 ──星と星とを結ぶ、確かな絆を。




「またたく星に願いを」・了   
   



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