「女ってのがどういう生き物か、

思い知らせてあげるよ」












 それから一年半後の朝、ラグナロック学園女子寮の一室。
 弓兵科2 年生 ( レベル ) のアーリィは、エメラルドグリーンの長い髪をポニーテールにまとめると、散らかり放題の机の上をガサゴソやりはじめた。

「えーと、今日の講義は‥‥一限目から神話学で‥‥」

 積み上げられたノートとテキストの山から目当ての物をひっぱり出す。それらをすりきれたカバンに押し込み、アーリィは部屋を飛び出した。

「よし、今日は遅刻しないですむぞ」

 いくぶん男っぽい口調でつぶやいたアーリィに、後ろから声がかかった。

「おはよう。今日は珍しく早いね」

 同じ科に所属する友人のパイだ。髪を揺らして勢いよく振り返ったアーリィは、元気に答えた。

「おはよっ! 今朝はなんだか気分がいいんだ、ボク」

「ふーん。何かイイことでもあったの? あ、恋愛ギライで通ってるあんたにも、ようやく春が来たとか?」

 並んで歩きながら、パイは悪戯っぽくアーリィの顔を覗き込む。

 アーリィは少しの間を置いて、笑って答えた。

「そんなんじゃないよ。ただ、何か起こりそうな予感がするだけ」

 二人は壱号棟に入り、廊下を歩いて目的の教室に向かう。

 パイの手が教室の扉にかかったとき、アーリィがポツリと言った。

「‥‥興味ないんだ、恋になんか」

 ガチャリ。扉が開く。




第一章 世界でいちばん美味しいケーキ (およびその代償)



 初老の教師が、黒板の前で一心に喋っていた。

「えー、かつて世界は、“至高神”と“女神”という二柱の存在によって創造されたと伝えられているわけだが‥‥」

 ラグナロック学園の授業風景である。

 礼金を貰い、モンスター退治や要人の護衛など危険な仕事に挑む職業──冒険者。

 その冒険者になるためには、このラグナロック学園を卒業し、冒険者資格を手に入れるしかない。資格を持たないモグリ冒険者は、一般人にはまず信用されず、危険な裏の仕事しかできないのだ。──もともと冒険者など、資格があってもそんなもの、という声もあるが。

「‥‥そうして現在、世界は至高神の子たちである七大神によって統治されており‥‥」

 その話を真剣に聞くでもなく、ただぼんやりと教師の動く口元を眺めていたアーリィだったが、隣に座ったパイに肩をつつかれて我に返った。

「ったく、この講義、毎回つまんないわよね。神がどうだの歴史がどうだのなんて、魔法系の学生にまかせとけばいいのに」

「そうだね。こんな所で座ってるより、ボクは早く身体を動かしたいよ」

 ささやいてくるパイに同じく小声で答えながら、アーリィは足をブラブラさせた。

「‥‥本当に色気がないんだから、あんたは。そんなに身体ばっかり鍛えてどうすんの。一生結婚できないわよ、そんなんじゃ」

「結婚? ずいぶん気の早い話──」

 そう言いかけたアーリィを、パイが鋭くさえぎる。

「甘い。その考えは実に甘いっ。冒険者なんて配偶者の理解がなけりゃとてもやっていけない職業だし、まして女性冒険者にはチャンスなんてほとんどないんだからね。知ってる? 八割が同業者に嫁いでるのよ。しかもそのうちの過半数がパーティー内結婚」

「そりゃ、自分の奥さんが見知らぬ男たちに混じって何ヵ月も放浪するのを、快く許してくれる男なんて少ないだろうね」

 男はそういうことを平気でやるくせに。アーリィは心の中でそう付け足した。

「だからね、どうせ身近な男としかくっつけないんなら、今のうちからイイ男のそばのポジションをキープしとかなきゃ。ほらあの、パーティー検定を受けるとかしてさ」

 ポキリ。黒板に図を描いていた老教師のチョークが折れる音が響いた。雑談に夢中のアーリィとパイは、講義が途切れたことに気が付いていない。

 教師はゆっくりと振り向いた。威厳を感じさせる皺を刻んだ口元から、怒声が二人に襲いかかる。

「そこッ! 何を喋っておるッ!!」

「っ‥‥やば‥‥」

 二人がそろって首をすくめたとき、教師の首にかけたペンダントが赤く明滅した。緊急連絡用として職員に持たされている、遠話石である。

「むう。ちょっと待っておれ」

 アーリィ達に投げつけかけたチョークを置き、教師はペンダントを握りしめ、目を閉じて念じはじめた。

 アーリィがほっと胸をなで下ろしたとき、教師の目が開いた。

「説教はまた次の機会だな。──アーリィ君、〈翼〉の理事ヴィジタル様がお呼びだ。講義の途中だが、退室を認めよう。至急、第二応接室まで行きなさい」




*                   *


 ガチャリ。扉が開く。

「失礼します。弓兵科2年生アーリィ、参りました」

 一礼して、アーリィは部屋に入った。

 目の前にやたら高価そうなデスクがあり、同じく上等なアームチェアに、一人の男が腰掛けている。アーリィはまず、彼の着ている花柄のガウンに目を奪われた。

 〈翼〉の理事ヴィジタル。八大理事の一人であり、その強大な魔力と歪んだファッションセンスは、どんな凶悪なモンスターでも震え上がらせると言われる。

「遅かったね」 ヴィジタルが口を開いた。

「道に迷いまして」

 本当のことである。

「‥‥ピカピカの新入生ではあるまいし」

「でも、応接室に来るのは初めてです」

 これも本当だった。彼女だけではない。ここにただの一生徒が呼ばれたなどという話は聞いたことがない。調度や雰囲気の豪華さから見ても、それはまず間違いないだろう。

 アーリィの実家ぐらいは買い取れるに違いない黄金の置物を見つけ、彼女の不審はよりいっそう濃くなった。〈翼〉の理事のような大物に、なぜ呼ばれたのだろう。いったい自分が何をしたというのか。思い当たることは、一つだけあるのだが‥‥。

「ヴィジタル様、ボクは何か叱られるようなことをしたんでしょうか。確かに、授業中に仮眠したりウトウトしたり熟睡したりは日常茶飯事ですけど」

「あ、いやいや、そういうことではない」

 穏やかな笑みを浮かべたままヴィジタルは言った。

「じゃあ、やっぱり」 あのことだ。アーリィは覚悟を決めた。「ボクの剣が‥‥」

「剣? 君の剣がどうかしたのかね」

 いかにも無関心な口調でヴィジタルが問い返した。どうも、最初からアーリィの言葉はちゃんと届いておらず、表面的に受け答えしているだけのようだ。

 早く本題を切り出したいのだが、なかなか言いづらい事柄なので内心いらついている‥‥という様子である。

「まあ、そこにかけたまえ。お茶でもどうかな?」

 ヴィジタルが指を鳴らすと、突如デスクの上に湯気のたつティーカップが二つ現れた。アーリィが驚いて見ていると、続いてケーキを乗せた菓子皿が出現する。

「ヴァニスタ地方の銘菓“ラ・フォルン”だ。あちらでも最高の老舗に特注し、今朝、出来立てを魔法で取り寄せた。この世に二つとない美味だぞ。遠慮せずに食べてくれ」

「はあ‥‥」

 釈然としないまま、アーリィはティーカップを口に運び、ケーキに手をつけた。確かにやたらおいしい。なおさら不安が高まった。

「さて、いきなりだが君に頼みたいことがある」

 来た、とアーリィは思った。

「──君の身体を、提供して欲しい」

「は!?」

 生クリームの塊が、ぽとりとアーリィのズボンの上に落ちた。




*                   *


 ガチャリ。扉が開く。

 ヴィジタルが応接室から廊下に出、ぎこちない動きでアーリィが後に続く。

「ヴィジタル様。いくつか質問があるんですけどー」

 なげやりにアーリィは言った。

「何かね」

「さっきから、手足が勝手に動くんですが」

「申し訳ないが紅茶に秘薬を仕込ませてもらった。今の君は、私の術でコントロールされている」

「なぜ?」

 ヴィジタルは振り向いて、言った。にこやかな表情のままで。

「‥‥逃げるだろう?」

「逃げますよ」

「だからだ」

 二人はしばらく黙ったまま廊下を進んだ。

「ボクの身体を提供しろって、どういう意味?」

 沈黙を破ってアーリィが尋ねた。すでに敬語は消えている。

「ストレートに表現するのは少々はばかられるが‥‥女性として、と言っておこうか」

「──誰に?」

 その声音を聞けば、顔を見ずとも誰でもわかる。アーリィは怒っていた。激昂していた。当然だ。

「“予言の勇者”に、だ」

 彼のことはアーリィも噂で知っている。世界の危機を救うとかいう触れ込みで、アーリィの入学と同時期に召喚された少年。何でも召喚の際の事故で記憶を失っているということだが、その彼になぜ 『身体を提供』 しなければならないのか。

「彼が言ったのだよ。女をよこせ、とね。相手が相手だけに、我々もできる限りのことは叶えてやらねばいかんのだ」

「な‥‥な‥‥」

 怒りで心が膨らみすぎて、声が胸でつかえているようだった。言葉にもならない。顔も知らないその勇者とやらを、思いきり張り飛ばしてやりたかった。目の前のヴィジタルの後頭部に回し蹴りを叩き込みたかった。できれば二、三発。愛用の弓が手元にあれば、もっといい。

 しかし、手も足も動かせないので激情は余計につのるばかりだった。お気に入りだったズボンに生クリームが染みを作ったのを見つけ、憤りはさらに倍加した。

(これだから、男ってヤツは‥‥!!)

 拳をぐっと握りしめたいが、それすらもできない。

「だいたい、どうしてボクなのさっ!?」

「彼が指名したのだよ。君をな」

 胸中を弾けまわる怒りの合間をぬって、アーリィは疑問に思う。

 確かに、客観的に見ても自分は器量のいいほうだし、容姿全体をとっても、友人に羨ましがられたりするぐらいだ。   だが、自分からそれを自慢したことはない。しようと思っても、できないのだ。そりゃあ醜いよりはいいかもしれないが、容姿が自分にとってそれほど価値のあるものだとは、どうしても思えなかった。つまり、それほど自分は“女らしさ”とかいうものとは無縁の存在なのだ。

 いったい、どこがどう勇者の目にとまったのか、わけがわからない。

「‥‥ここが、彼の部屋だ」

 男子寮の一室の前でヴィジタルは立ち止まった。

「では、あとは若い二人にまかせて、年寄りは退散するとしようか」

「ちょっと待ってよ」

 アーリィが慌てて引きとめる。

「そばで見ていたほうが良いかね?」

「べつに帰ってくれていいけどさ、術だけは解いていってよ。ここまで来たらもう諦めたし、逃げも暴れもしないから」

 大嘘である。部屋に入ったら、有無を言わさず勇者とやらをぶん殴るつもりだった。

「そうか。‥‥まぁ、そう悲観したものでもないぞ。こう言うのも何だが、彼は若いし、 ハンサムだし、頭もいい。この先、つまらない男にひっかかるぐらいなら、むしろ‥‥」

「はいはい、わかったから早くして」

 若さと頭のよさはともかく、花柄ガウンの男の言う『ハンサム(死語)』など誰が信用するものか。

「それでは、頑張ってくれたまえ」

 アーリィにかけた術を解いたあと、軽く手を振り、ヴィジタルは廊下の向こうに去っていった。彼の姿が角を曲がって見えなくなると、アーリィは深呼吸を一つした。

「さーて」

 逃げようかとも考えたが、右拳がそれを拒否した。

「へへ‥‥女ってのがどういう生き物か、思い知らせてあげるよ、勇者さん」

 ガチャリ。扉が開く。

 アーリィは、踵を浮かせ膝を沈め、いつでも相手に飛び掛かれる体勢を取った。そのままゆっくりと、部屋に足を踏み入れる。

「‥‥‥‥!」

 思わず声を上げそうになる。足先から頭まで、一瞬、奇妙な感覚が走り抜けたのだ。

(何、今の‥‥? ‥‥冷気‥‥?)

 しかしその感覚はすぐに消えた。我に返ったアーリィは、素早く部屋全体を視界にとらえた。

 基本的な造りはアーリィの部屋と同じである。しかし、家具の類が驚くほど少ない。生活感を感じさせるのはベッドと机ぐらい。さらに、色々な雑貨でゴチャゴチャしているアーリィの部屋と対照的に、部屋の主の人柄や個性を想像できそうなものと言えば、壁際の本棚だけだった。

 そして、その部屋の中央に、静かに立つ一人の少年。

 長めの、濡れたような漆黒の髪がまず目をひく。次に、髪と同じ材質から削り出されたかのように黒い瞳──

 その瞳は、彼の感情を浮かべることはなく、ただアーリィを見据えるだけだった。例えるなら、己の姿を持たず、冷やかに真実を映す鏡。うわべだけの輝きを全て、褪せさせてしまう深い闇。

「──アーリィっていうのは、君?」少年が口を開いた。その雰囲気と同じく、静かな声だった。

 それがきっかけとなった。アーリィは一足飛びに間合いを詰めると、その勢いも合わせて拳を彼に叩きつけた。

 少年はもんどり打って床に倒れる。アーリィは彼を見下ろし、言った。

「もっと不細工な奴かと思ってたけど」

 思いきりトゲを生やした声である。

「その顔なら、権力で女を手に入れようとするような最低の性格でなけりゃ、モテたかもしれないのにね。‥‥でも、どっちにしろ、このボクは諦めたほうがいいよ。こういう女だから」

 少年はゆっくりと身を起こした。殴り倒されてもなお、その顔には表情のかけらも浮かんでいない。

 彼は、独り言のように淡々とつぶやいた。

「この学園は、ここまでやるのか‥‥」

「え?」

 アーリィは戸惑った。何やら、予想していたのとは雲行きが違う。

 少年は、切れた唇から流れる血をぬぐうと、アーリィにむかって頭を下げた。

「すまない。怒りはもっともだ。けど、ヴィジタルが本当に俺の言う通り、女性を提供しようとするとは思わなかったんだ」

「え? え?」

「試したかった。学園が俺のことをどう考えているのか。‥‥でもどうやら、連中は本気で俺を勇者とやらに仕立て上げるつもりらしいな」

 アーリィは混乱していた。彼女の思考はゴブリンの軍隊に似ている。固い決心がリーダーシップを取っているうちは、一致団結して果敢に突き進む。だが、それがなくなると途端に、様々な思考が右往左往して入り乱れ、パニックになるのである。

「あの、ひょっとして‥‥殴ったのはボクの早とちり‥‥?」 間の抜けた質問をする。

 少年はかぶりを振った。

「いいさ。殴られても仕方がない。最低だよ。この学園も──俺も」




*                   *


 ガチャ、ガチャリ。扉が開き、閉まる。

「‥‥はあぁ‥‥」

 アーリィは閉じた扉に背をもたせかけ、長いため息をついた。

 あのあと、ひたすら謝るアーリィに対して彼はただ一言、『今日のことは忘れてくれ』 とだけ告げ、部屋から追い出した。

「その場の感情で行動する癖、なおさなくっちゃあダメかな」

 右の拳がまだ赤い。殴ったほうも痛いのだ。痛みの種類は別だとしても。

「──やはり、こういうことだったか」

 ふと気づくと、ヴィジタルが傍らに立っていた。

「どういうことなんですか、これはいったい」

「そう怖い顔をしないでくれたまえ。だますような真似をして無理に連れてきたのは悪かったが、彼が何もするはずがないと、私にはわかっていたからだ。いくら相手が勇者とは言え、罪もない生徒を生贄にしたりはせん」

「確かに何もされませんでしたけど‥‥しちゃいましたよ」

「ん‥‥?」

「殴っちゃったんです。思いきり」

 ヴィジタルは沈黙した。ややあって、彼は虚空を見上げて嘆息した。

「──まったく、不器用な少年だ」

 それを聞いて、アーリィはいきり立った。

「そんな言い方ないでしょっ! ボクがいきなり殴りかかったんだから、避けられなくたって‥‥」

 ヴィジタルにつかみかからん勢いだった。結局のところ、先程の教訓はあまり役立っていないらしい。

「いや、彼なら避けられる。たとえ不意打ちでもだ。‥‥きっと、わざと殴られたのだろう。だから不器用だと言うのだよ。生き方がな」

 アーリィは振り上げた腕を下ろした。

「生き方が、不器用‥‥?」

「そうだ。彼はいまだに我々に心を許していない。一年半たつというのに友人もいないようだ。誰かと親しく口をきいているのを見たことがない。いつも一人だ。己を傷つける以外に、心の使い方を知らぬかのように」

 その口調からは、ヴィジタルが勇者と呼ばれる少年を真剣に案じていることが感じられる。

「やはり、記憶が消えているということは相当に辛いのだろうな。故郷や家族といった、最後のよりどころとなるべきものが、心の中にすら存在しないのだから」

 それを聞き、アーリィの頭に疑問が浮かんだ。

「ヴィジタル様が召喚したんでしょ? 故郷の場所、知らないんですか?」

 彼が答えるまでの間に、わずかな沈黙があった。

「‥‥いや‥‥。“勇者”を呼び出そうとしたら、彼が現れたというだけのこと。彼がどこの人間かは我々も知らん」

「そう、ですか‥‥」

 アーリィは何か考え込みはじめた。ヴィジタルは構わずに話し続ける。

「しかし、我々は彼に頼るしかない。何としても彼の力が必要なのだ。‥‥ひょっとすると、今回のことがきっかけで心を開いてくれるかもしれんと思っていた。彼が自分から何かを要求したのは初めてだったからな。どうも裏目に出てしまったようだが」

 ヴィジタルはもう一度だけ小さく息を吐くと、気を取り直してアーリィに言った。

「君には迷惑をかけてしまったな。許してくれたまえ。では、授業に戻るといい」

「‥‥はい」

 アーリィは答えて、歩きだした。

 初めて聞かされることばかりだった。

 彼女がこの学園に入った理由は、家庭の事情によるものが半分、そして残りの半分は 『そのへんの誰かの妻として一生を終えるのはイヤだ』 というようなものだったのだが‥‥。

 しかしここに、望みもしないのに過酷な生き方を強制された少年がいる。同じ場所で暮らしながら、自分とはまるで違う境遇にいる同年代の少年──。

「‥‥勇者、か」

 そうつぶやき、アーリィは再び歩きだした。





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