あなたの心は、完全ですか?
──辺境の山奥に位置する、世界で唯一の冒険者養成機関。三百年の歴史と、独立国家に匹敵する自治力、そして幾多の戦士や魔術師を有するこの機関は、名をラグナロック学園と言う。
[第0章 自己紹介の出来ない転校生]
八人の男女が、薄暗い部屋に集まっていた。ラグナロック学園の八大理事たちだ。「さて、今日の理事会の本題である勇者召喚の前に、一つ小さな問題を片づけなければならない」
学園の治安維持と自衛を担当する〈剣〉の理事がそう言うと、別の男が答えた。
「‥‥現在、学園の周りを取り巻いている、アリード帝国の軍勢二十万のことですね」
彼が〈宮〉の理事である。そして、続いて〈僧〉の理事が口を開いた。
「うちは数多くの英雄を輩出して、世の中にずいぶん貢献しているはずだぜ。恨まれる覚えはないんだがな」
「でも、うちの卒業生がクーデターに協力したおかげで、独裁政権が打ち倒された国もあったもんねえ。民衆に嫌われている指導者には、冒険者という自由勢力は怖いんでしょ」 と、〈占〉の理事。
「脅威であると同時に、魅力でもある。この学園を傘下に引き込めば世界征服も可能ぢゃからのぉ。実際、我々ならそれも容易ぢゃ」
そう言う〈金〉の理事の言葉を聞いて、〈魔〉の理事‥‥の肩にとまったフクロウが喋りだした。彼の腹話術であるという説もあるし、フクロウのほうが本体なのだとも言われる。真相は誰も知らない。
「どちらにしろ、たかだか兵士二十万では、この学園を攻め落とすどころか中に入ることすらできまい。そうであろう、〈門〉の理事?」
「ええ。さきほど外部結界の密度をレベル3に移行させました。私が残業までして張った結界を、突破できるわけがありませんわ」
背に翼を生やした美女、〈門〉の理事がそう答える。
そして、オレンジ色の地に白の水玉のローブという、ひときわ異様な服装の男が後を続けた。
「そうとも。我々の力を、世界征服などというつまらない目的に使ってもらっては困る。‥‥で、理事長、どうなさいますか」
九人目の声で、返答があった。
<魔法系の職員数名で派手な脅しをかければ、すぐに逃げだすだろう>
水玉ローブの男の手にした水晶球から、その声は響いているのだ。
<──我らが属するのは世界のみ。我らが従うのは使命のみ。そして、我らに許されぬのは敗北のみ。このラグナロック学園は、そうあらねばならない>
水晶球は一つ大きく瞬くと、再び男の声を発しだした。
<そろそろ本題に移ろう。予言に従い、勇者を呼び寄せて当学園に転入させる。来るべき妖魔の第三次侵攻より世界を救うためだ。準備はよいな、〈翼〉の理事ヴィジタルよ>
水玉ローブの男が静かにうなずいた。〈翼〉の理事とは、学園における通信や、人・物資の輸送を司る職である。言い換えれば、彼、ヴィジタルは空間を操る魔法のエキスパートなのだ。
八人が円を描くように散らばり、ヴィジタルが呪文を唱えはじめる。その呪文に時折、他の理事たちのつぶやきが混じる。
「よりによって我々の代に “この時” が来るとはね」
「しかし、これだけ大がかりな召喚術となると、ヴィジタル殿でも完全に成功させるのは難しいでしょうね。で、もし失敗でもすれば、世界は滅んだも同然というわけですか。これは責任超重大ですね、ヴィジタル殿も」
「‥‥相変わらず性格の悪い野郎だな。プレッシャーをかけるのはやめてやれよ」
水玉ローブのヴィジタルは、雑音に耳を貸そうともせず、呪文の詠唱を完成させた。八人の中心に、小さな蒼い電光が、音を立てて弾け始める。やがて電光は一つの光の塊となった。
「‥‥はッ!」
ヴィジタルのかけ声と共に、光の塊は、いささか拍子抜けするような軽い音と輝きを発し、消える。そして光の消えたあとには、一人の少年がうずくまっていた。
「成功‥‥か?」
「そのようですね」
ヴィジタルがゆっくりと少年に歩み寄り、穏やかに語りかける。
「ようこそ、勇者ユウキ君。‥‥長々と詳しく説明したところで、いっそう泥沼になるのは目に見えている。ここは一つ、お約束ということで流すとして、単刀直入に言わせてもらうよ」
少年は無言のまま、まだふらつく視線を上に向けた。
「ユウキ君。勇者として、世界を救ってくれたまえ。君の力と運命とが必要なのだ」
少年はよろよろと立ち上がる。唇が、何か言いたげにかすかに震えたが、彼はそのまま思案するように黙り込む。
息詰まる沈黙のあと、彼はようやく口を開いた。
「ここはどこだ? いや、それはともかく‥‥」
少年は掌を自分の額に押し当て、言った。
「──俺は、誰だ?」
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