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雪 月 花

 

 白と黒。
 二つの刃が――いや、二つの巨大な霊圧の塊そのものがぶつかり合う。
 双キョクの丘全体を覆い尽くすほどの衝撃は、一瞬の間を置いて四方に飛散した。
 まるで、死闘の決着を周囲に伝えるかのように。

「――この勝負、(けい)の勝ちだ」

 朽木白哉は、黒崎一護にそう告げると、その場から姿を消した。

 時は少し遡り、処刑前夜。
 暗がりの中を進む、ひとつの影があった。
 護廷十三隊の隊長にのみ着用を許された羽織。たなびく白い長髪の間から覗く文字は、“十三”と読める。

 その男――浮竹十四郎は、急いでいたはずの足を不意に止めた。
 彼が驚異的な瞬発力で後ろに飛びすさると同時に、何も無いはずの前方の空間が鏡面の如く煌いたかと思うと、そのまま硝子が砕けるように細かい破片となって彼に降り注ぐ。

「無数の刃の結界……白哉か!?」

 言葉を発しながら、浮竹は腰の斬魄刀に手をやった。

「波悉く我が盾となれ! 雷悉く我が刃となれ!」

 一閃の呼吸とともに、闇の中を刃の光と音が走る。

「――流石、名高い“双魚理”と言うべきか」

 再び静まり返った暗闇の向こう側から、声の主が姿を現した。

「ここに現れるのは四楓院夜一か旅禍の者だとばかり思っていたがな。この先の封具倉に何の用だ、浮竹隊長」

「こんな所で待ち構えてるってことは、見当が付いてるんだろ?」

 解除した刀を鞘に納め、浮竹は白哉のほうへと悠然と歩を進めた。

「俺は、ルキアの処刑を止めるぞ」

 ルキアが十三番隊に配属されるように取り計らったのは、実は白哉である。自らの六番隊に置いてはあまりに公私混同が過ぎると見られかねないため、温厚で誠実な浮竹のもとに預けることにしたのだ。
 他に十三名の隊長の中で人柄を評価される者と言えば五番隊の藍染惣右介であるが、彼の下には院生時代のルキアの同期である阿散井恋次、吉良イヅル、雛森桃らが配属される予定であり、朽木家の者として過去と決別させるためあえて遠ざけたのである。
 また、病欠がちな浮竹の隊には、重大で危険度の高い任務は回されないだろうという算段もあった。

 だがそれにせよ、白哉が最も信を置く隊長格が浮竹であるのは確かである。
 浮竹は、静かに白哉の脇へと歩を進めた。すれ違いざまに、じっと佇んだままの白哉に向かって言う。

「……邪魔はしないんだな」

(けい)こそ、何故わざわざ私にそのような事を告げる?」

「お前も、本心ではそれを望んでいるんだろう?」

 問い返す浮竹に、白哉は背を向けたままで答えた。

「勘違いしてもらっては困る。
 (けい)が隊長としての身命を賭して部下を救おうと言うならば、それを裁くのは中央四十六室の務め。私の関与するところではない。
 ――だが、それが私の部下か、不当に侵入した旅禍であるならば話は別だ。そのときは、私は容赦なく刀を抜く」

 浮竹は、ふぅっと溜息をついた。

「まったく、面倒な男だよ」

 互いに背を向け合ったまま、浮竹は言う。
 もし今、この二人が本気で闘えば、見渡す範囲に塵芥のひとつすら残るまい。どちらもそれを承知の上でありながら、表情にはわずかのゆるぎもない。

「お前には“月”は見えているか、白哉」

「…………?」

「月と聞いて思い浮かべる姿は人によって様々だ。
 ある者にとっては爪のように白く細い三日月であり、またある者にとっては金色の真円であり……頭上高くに輝くのも月ならば、地平すれすれに傾くのもまた月だ」

 空を見上げながら、彼は言葉を続ける。
 
「暗闇の中で行く手を照らす光。
 美しい風物の一景。
 夜の訪れを告げる使者。  手を伸ばしても届かない目標。
 見る月の姿は人によって違うだろう。
 俺も、朽木(ルキア)も、阿散井君も、そしておそらく旅禍の者たちも。
 人はそれぞれの想いを胸に抱いて月を見上げる。
 ――だが、たとえ見る月の姿は違っても、我々は皆同じ処に立っているのだということを忘れるな、白哉」

「何が言いたいのだ」

「お前は、独りじゃないんだ。お前だけ、もう見えぬ月を追い続けて何になる?」

 白哉は顔を半分だけ振り向かせ、浮竹に鋭い視線を向けた。
 浮竹はその視線を受け止め、軽く苦笑した。

「お前に何がわかる、とでも言いたげだな」

 言いながら彼は、左手で胸を押さえてみせた。

「だがあいにく、俺もこんな身体なんでね。わからなくもないさ。
 もし俺だったら、遺された者にそんな想いをしてもらいたくはない」

 白哉はしばらく沈黙し、そして再び浮竹に背を向けた。

「ならばなおさら、軽挙は慎むことだな。(けい)を慕う部下は、まだ他にもいるだろう。――忠告はしたぞ、浮竹」

 そう言った次の瞬間には、もう白哉の姿は見えなくなっていた。“瞬歩”である。

「やれやれ……」

 浮竹は頭をかき、厳しい表情に戻るとまた先に進み始めた。

「さて、予想外の手間を食っちまった。急がないとな」

(あのとき浮竹が言った通り……私も本心ではルキアが助かることを望んでいたのか……?)

 血を滲ませたままの白哉の手のひらから、花弁のような千本桜の刃がこぼれ落ちていく。
 天鎖斬月によって砕かれた千本桜が再生するには、しばらくの時間を要するだろう。

 そもそも千本桜という斬魄刀の特質は、遠・中距離からの全方位の敵の殲滅である。強襲型に特化した斬月と真っ向から撃ち合う必要などない。鬼道を交えて撹乱しつつ戦えば充分に勝機はあったはずだ。
 何故それをしなかったのか。
 尸魂界の掟にとらわれない黒崎一護の奔放さに押されたとでも言うのだろうか。
 あるいは阿散井恋次の牙が、彼の身体には傷を付けずとも、すでに心を揺るがしていたのか。

 それとも――

 最初から全ては、掟も他人も届かない白哉の心の奥深い部分で決まっていたのかもしれない。

「緋真……私は……」

 白哉は、ルキアの姉であり、そして彼の妻であった女性の名をつぶやいた。

 記憶とは、残酷なものだ。
 それはまるで融け残った雪のように、触れた分だけ少しずつ心を凍てつかせていく。
 そして、どんなに望もうともやがては融け崩れ、消え失せてしまうのだ。
 永遠に続く冷たさだけを残して。

「私は、お前のいないこの世界で、誓いを守り続ける虚しさに疲れてしまっていたのだな……」

 ルキア処刑まであと数時間という頃。
 修行の手を止め、休息を取っていた一護は、ふと思いついたように訊いた。

「なぁ、夜一さん。こないだの口ぶりだと、あんたと白哉は昔馴染みなんだろ?
 あの白哉ってヤツは、一体どういうヤツなんだ?」

 四楓院夜一と、その側にいた阿散井恋次が口を揃えて答える。

『無愛想で何考えてるかわからん』

「そ、そうか……。
 でも、それにしたっておかしいじゃねェか。義理とは言え自分の妹を、どうしてあそこまでして殺そうとするんだよ」

「あやつにも色々あるのじゃろう。昔から、とにかく不器用な男じゃからの」

 その答えを聞いても、一護はやはり納得いかないという表情をしている。
 もっとも夜一に言わせれば、どちらもごく単純な意地で闘っているに過ぎないのだが……。

(――ま、男というのはえてしてそういう生き物じゃからのう)

 心中で小さく嘆息してから、夜一は一護の顔に向かって指を突きつけた。

「何にせよ、じゃ。
 相手がどんな考えを持っておろうと、対抗できる力がなくばお話にもならんぞ。
 お主は卍解の事だけ考えておれ」

「そういうこった。ゴチャゴチャ考えてるなんざ、てめーにゃ似合わねぇよ」

 恋次はそう言いながら、蛇尾丸を担いで立ち上がった。

「そろそろ頃合だな。俺ァ、先に隊舎のほうに戻ってひと暴れしてくるぜ」

「……!?」

「朽木隊長はすでに、てめーの霊圧を完璧に把握してる。処刑の場に向かったところで、すんなりと辿り着かせてくれるとは思えねえ。
 だが俺が先に動けば、あの人の立場と性格上からして、必ず俺の前に現れるはずだ」

「恋次、お前……」

「おっと、てめーの為に時間稼ぎをするだなんて思うんじゃねぇぞ?
 あの人と闘うのは俺だ。
 ……“その役目”まで他人に先を越されちゃ、俺の立つ瀬がねえんだよ」

 男には、刃を交えねば納得できない事がある。
 恋次にはわかっているのだろう。
 白哉の心を変えるには、全力を以てぶつかるしかないという事が。
 ――たとえ、敵となってでも。

 そうして恋次は去って行き、残されたのは夜一と、いまだ修行を続ける一護。

(存外、副官に恵まれておるようじゃの……白哉坊も)

 夜一は、ふと誰かのことを思い出したように遠い目をした。

(じゃが、障害となる隊長格はまだまだおる。何としても卍解の力は必要じゃ。果たして間に合うのか……?)

 斬月との闘いで、全身から血を流した一護は、もはや湯につかる気力もないのか、地に膝をついて俯き荒い息を吐いている。

「大丈夫か、一護」

「……恋次の言った通りかもな……やっぱ、考えてても仕方ねェや……」

「む?」

「俺は、尸魂界の掟もルキアの過去も知ったこっちゃねえし、自分のやってる事が正義だなんて大それたことも考えちゃいねえ」

 わかるのはただ、ルキアを助けたいという気持ちだけだ。
 それにしたって、彼女のことを想うからだけではないだろう。
 母・真咲のときのように、自分のせいで他人が死ぬのを見たくない――それはある意味ではただのエゴでしかない。
 尸魂界の掟に納得いかないという気持ちもあれば、白哉たちに負けたくないという意地もある。
 純粋とは程遠い。

「でも……それでも俺は、あいつを助けたいんだ!」

 よろよろと立ち上がりながら、一護は吼えた。
 その叫びに呼応するかのように、消えていたはずの斬月の姿が目の前に現れる。

(……ほぅ)

 それを見た夜一は目を細めた。

「転神体なしで斬魄刀の具象化を為すとはの。つくづくおぬし、霊的な素養だけは大したものよ。――じゃが、素質だけでは卍解に至る事は出来ぬぞ」

「あぁ、わかってるさ」

 答える一護の顔には、どこか吹っ切れたような笑みがあった。

「“本物の斬月を探せ”か。
 そりゃあ見つからねえはずだぜ。何が本物なのか、自分でもわかっちゃいなかったんだからな。
 黙って待ってりゃ誰かが正解を教えてくれる訳じゃねえ……答は、自分自身が決めなきゃ、意味がなかったんだ」

 一護は、足元に散らばる折れた刃の破片を見やった。
自分の中にある、戦いの為にある力……。

「斬月のオッサン、あんた最初に言ったよな。
 『ここにある刃達は全て俺の精神の一欠片、今のは“斬月”に頼ろうとする俺の精神の“脆さ”だって……」

 人型をとった斬月は、無言のままその手にした黒い刃を構える。
 一護は、強い光をたたえた瞳で前を見据えたまま動こうとしない。

「……でも、それは間違いじゃない。
 俺は、脆くて弱い。弱いからこそ強くなろうと思えた。
 迷っていたからここまで辿り着けた。
 不安があるから目をこらして明日を探してた。
 どれにも嘘偽りなんてありゃしねぇ、全て俺の真実の気持ちだ……!」

 斬月の刃が一護に迫る。
 一護は避けようとも、刀を拾うともしない。
 ただ静かに腕を前に伸ばした。素手で刃を受け止めるかのように。

「弱さも、迷いも、矛盾も、不安も、ぜんぶまとめて俺の卍解(チカラ)だ!!」

 斬月の刃と一護の手が触れたその刹那――


 ――“闇”が、弾けた。

 明かりが消えた、暗くなった、などという生易しいものではない。
 強烈な光が一瞬で周囲を白く染めるのと正反対に、激しくほとばしった黒があたりを包む。

「一護……ッ!?」

 滅多な事では動じない夜一もさすがに声を上げた。

 黒い闇が静かに退いていく。そこに立つ者の姿を見、夜一の表情がかすかな笑みへと変わる。

「それがおぬしの卍解――天をも(とざ)す黒き刃、か」

 過去への想い、意地、狡さや臆病さ、それら複雑な感情や矛盾をも全て凝縮した黒い刃――それが、天鎖斬月だった。

 対する終景・白帝剣は、余計な感情を削ぎ落とし、極限まで研ぎ澄ませた白い刃。
 その差が勝敗を分けたのか。

 いつからだろう。
 白哉は自問する。
 いつの頃からだろう。記憶を辿る痛みに堪え切れず、少しずつ心を封じ込めていったのは。


 彼女――緋真と出会ったとき、単色だった彼の世界に初めて鮮やかな赤が入った気がした。
 その声を聴くたび、その瞳が彼を見上げるたび、その肌に触れるたび、その赤は少しずつゆっくりと広がり、彼の領域を満たしていった。
 暖かく、時に激しく熱いほどの紅の色。
 光り輝く虹の色には及ばなくとも、彼にはそれだけで充分だった。

 だがしかし、その色は不意に失われてしまった。

『白哉様にいただいた愛を、お返しできなくてごめんなさい……』

 それが彼女の、最期の言葉だった。
『そんなことはない』――そのありふれた、けれど大切な言葉さえ、もう永遠に届かない。伝えられない。
 残されたのは幾千もの後悔と、果てさえ見えぬ広大な空虚と。
 あまりにも多く重すぎて、それが“哀しみ”であると理解するのにさえ月日を要するほどの……。

 そして、もうひとつだけ緋真が白哉に遺し、託したものが妹のルキアだった。
 その目的がなければ、彼は緋真の後を追っていたかもしれない。
 それゆえに、緋真と瓜二つのルキアを探し当て、目の前にしたときの白哉の喜びは例えるべくもなかった。
 
(緋真と同じ瞳、同じ声、同じ髪……。彼女との時が甦るような気がした。だが、ルキアはルキア。緋真ではない……)

 年月が経つにつれ、その残酷な現実が、彼を苦しめていく。
 それは、不意に一瞬で剥ぎ取られた傷の痛みを、もう一度じわじわと少しずつ、いつまでも味わわされ続ける苦痛だった。

(……私は、許せなかった……)

 目の前のルキアの輝きが、緋真の思い出を薄れさせていく事が。
 緋真の面影を宿したルキアが、緋真と違うものを見つめる事が。
 そしてルキアに緋真の代わりを求めようとしてしまう自分自身が、許せなかった。

 だから、心の奥でひそかにこう願っていたのだ。
 ――ならばいっそ、己の手で全て壊してしまおうと。

 何と愚かで、何と卑小であることか。

「私はそんな事にも気づかず、ただ掟と誓いを言い訳に、自分の心を隠してきただけに過ぎなかったのだ……」

 けれども、結局のところ、彼自身が望んだ通りになったのではないか?
 忠実だった副官を自らの手で斬り、隊長としての誇りと責務とを賭けた闘いに敗れ、ルキアは一護によって奪還された。
 望み通り、何もかも全てを壊し、失うことが出来たのだ。

 これで良かったのかもしれぬ。
 ただ、自分だけが消えずに生き永らえてしまった事を除けば。

 四番隊副隊長・虎徹勇音の“天挺空羅”が届いたのはその時だった。
 藍染惣右介のまさかの裏切り。
 だが不思議なほど、欺かれ操られていた事に対する驚きや憤りの感情は湧いて来なかった。
 もとより彼は藍染の陰謀などとは関係なく、自分の個人的な感情で動いていただけに過ぎぬと、今はもう気付いていたからだった。

「そう……ならばこれは、私の手でけじめを付けねばなるまいな……」

 彼は、どこか満足気とも取れる自嘲の表情を浮かべた。
 彼に残された唯ひとつのもの――永らえてしまった生命の、ふさわしい捨て場所を見つけたと思ったからだ。

 緋真が病に倒れてから、白哉にはひとつの癖がついていた。
 隣で眠っている間、ずっと緋真の手を握ったままでいてやる事だ。
 彼女が死んでからも、彼の身体はその癖を、そして彼女の小さな掌の柔らかさと温もりを忘れる事はなかった。
 そして、長い時が過ぎた今もなお毎朝、冷たく空を握る感触で目覚めるのだ。

 ……しかし、今は違った。

(私は、死んだのか? いや……)

 小さい、けれど強く彼の掌を包む暖かな指。
 その先を辿ると、そこにはルキアがいた。
 白哉が目を開けた様子に気付き、ルキアは涙のあとが残る顔を上げた。

「ルキア……ずっと……そうしていたのか……?」

 上手く言葉にならぬ様子で、コクンコクンと数度うなずくルキア。
 白哉は戸惑った。
 地に横たわったまま、ルキアに全てを話してからの記憶がない。
 おそらく救護棟に運ばれ、長いこと眠っていたのだろう。

(また、生き延びてしまったという訳か……)

 ルキアから目を逸らし、静かにつぶやくように言う。

「黒崎一護も恋次も深手を負っていただろう。何故私のところにいるのだ」

「何故、って……」

 ルキアもまた、目を伏せて黙り込んでしまう。だが、握った手を離そうとはしない。

「あの男にも言ったが、私はもはやお前を追わぬ。どこへ行くも自由だ。
 藍染の陰謀が露見した今、お前の罪も不問となろうし、望む生活が出来るよう私が責任を持って手配しよう。現世へ行き人間として暮らすことも――」

 言葉の途中で、ぐいっと手が引かれた。
 ルキアが再び大きな瞳に涙をため、白哉のほうを見ていた。

「嫌です、兄様……! 私は……」

 ルキアは勇気を振り絞るかのように、白哉をさえぎって言葉を続けようとした。
 思えば自分に対してルキアがそんな態度を取るのを、白哉は見たことがなかった。

「だって、私……兄様や姉様の哀しみ、苦しみを何も知らずに……。
 まるで自分だけが不幸であるかのように思い込んで……。
 私は……私は……!」

 握った指先にさらに力が込められる。熱い涙がポタリと白哉の手の上に落ちる。

「私は、白哉兄様と緋真姉様の妹、朽木ルキアです。……それでは、いけませんか……?」

 ルキアの手は緋真と同じように暖かく、だがその感触は緋真とは少し違う。
 それは、自ら闘うことを知っている少女の手だ。託された誇りと想いを守るための闘いを。

(そうだ……本当は、簡単なことだったのだ)

 どんな苦痛も、その埋めようがない空虚すらも、ただ素直に受け止めればいい。
 愛する人が与える苦痛なら。愛する人が遺した空虚なら。
 そこには何かそれ以上のものがあるはずだから。

 白哉はもう片方の手を伸ばし、そっとルキアの黒髪をなでた。

「お前も、囚われの生活で心身が消耗しているはずだ。無理はするな。……私なら、もう大丈夫だ」

 ルキアは、触れられた手に少し戸惑い――やがてぎこちなく微笑んだ。

(もう、大丈夫だ)

 白哉はもう一度、心中で繰り返す。
 自分自身に対してか、あるいは胸の奥の緋真に対してか。それは彼にもわからない。
 ただ、わかっている事がひとつだけあった。

 目の前のこの少女を守るためならば、自分は何度でもまた、桜を舞い散らせるだろう。



 その花の色は、白と緋の交わる色なのだから。