生まれることは罪、生きることはその罰












 ユウキは目を開けた。“青”の、蝋人形のように白くのっぺりとした顔がすぐ目の前にある立っている。

「お帰りなさい、ユウキ」

「俺は‥‥戻ってきたのか‥‥」

「御気分はどうですか? 魔界を見て帰ってきた人間は、恐らくユウキが初めてですよ。もっとも、ユウキが見たのは室内だけでしょうけれどね。あの外には、ユウキの想像を絶する光景が広がっているのですよ」

 そう、けっきょくのところ、肝心なことは何一つわからなかった。魔界とは、妖魔とはいったい何なのか。そして自分は何者なのか。

「これで、私の使命は果たし終えたことになります。他のゴーレムたちもどうやら全て敗れたようですし」

 ユウキは青の言葉を聞きながら、別のことを考えていた。

 この世界に戻ってきたとき、確かに違和感がした。それは初めて学園に召喚されたときに感じたものと同じだ。

 そして、魔界を訪れたときには、それを感じなかった。

(──どうしてだろう)

 どうして、どこか懐かしい感じがしたのだろう。

「‥‥もしかして俺は‥‥妖魔なのか?」

 青は、静かに首を横に振った。

「そうだ、と答えてもいいのですが‥‥ことはそれほど単純ではありません。ですから我々も知りたいのですよ。ユウキが本当は何者なのか。ユウキが我々の救世主なのか、それとも破滅をもたらす存在なのか」

 青は、ユウキの剣を手にとった。

「そこで、ユウキに一つだけお願いがあります。“凍れる暴走”──妖魔エイラムを倒したというその力を、見せていただきたいのです。私の目の前で」

 青がエイラムとの戦闘を知っているのは不思議ではない。ユウキか、その仲間の記憶を読み取ったのだろう。

 攻撃とすら呼べないような圧倒的な力で、妖魔エイラムを一瞬にして消し去ったユウキ。

 その記憶はある。しかしユウキは、その力について何も知らない。自分がなぜその力を使ったのかさえ、わからない。

「“凍れる暴走”か‥‥よく言ったもんだな」




   第九章 暴走、再び



「いい、クラウド? 絶対にその辺の物に手をつけちゃダメだからね! ボクたちの信用に関わるんだから。‥‥ティーナ、悪いけどちゃんと見張っててね。まったく、敵よりタチが悪いよ」

 クラウドに向かって厳命してから、アーリィは購買部の奥のドアを開けた。このドアが倉庫に通じているはずだ。

「やれやれ、人間はすぐに個人の所有権を主張したがる。全ては神々に与えられた平等なものだというのに。嘆かわしいことだ」

「都合のいいときだけエルフぶるなーっ!」

 大声でアーリィがそう言ったとき、向こうから静かな声が聞こえてきた。

「‥‥いつもながら賑やかだな。でも、安心したよ」

 アーリィは慌てて倉庫の中に視線を戻した。壁際に、木の十字架に縛りつけられたユウキがいる。

「すまない。俺のために、こんな所まで来させてしまって」

「なに言ってるんだよ! もともと、ユウキはボクをかばって‥‥」

「お喋りはあとにしろ。まだ敵がいる」

 マントをばさりと後ろに流し、黒革の手袋をはめなおしながら、クラウドが言った。

「まず、あの青臭いゴーレムをユウキから引き離し──」

 クラウドの言葉が終わるより先に、アーリィは弓に矢をつがえた。数本の矢が立て続けに放たれる。

「お、おい‥‥」

 アーリィの撃った矢は、ユウキの手足を縛っていたロープを次々と切り裂いた。クラウドは内心、驚愕した。この距離からユウキの身体を傷つけずに縄だけを切るなど、単なる一流程度の腕では不可能である。

 彼はアーリィの表情を盗み見て、納得した。自分が的をはずすことなど最初から考えてもいないという顔だ。

「コケの一念‥‥思い込みは全てを可能にするというが、これもパトスの力か」

「──ボクはユウキを助ける。そう決めたんだ」 アーリィは強い口調でそう答える。

「ありがとう、アーリィ。ただ、こういう場合は足の縄から切るのが普通だと思うぞ」

 床に倒れた身体を起こしながら、ユウキは言った。

「手のほうを先に切られると、こういう風に前に倒れてしまう。受け身もとれないので少し痛い」

「あ‥‥ごめん‥‥」

 謝りながらも、アーリィは弓を青のほうに向けた。

「さあ、次はあんたの番だよ」

「その件ですが、少し待ってはいただけませんか?」

 青は、落ち着きはらった丁寧な態度で、そう言った。

「私はどのみち、あなたがたに倒される運命にあります。ならば死に方ぐらいは選ばせていただきたいのです。これは純粋なお願いです」

「お願い、だって?」

 青はアーリィには答えず、ユウキのほうを向いた。

「ユウキ。私はあの力のことを、アタラクシア様に完全にお伝えしたいのです。そのためには自分の身でそれを体験することが必要です。私が滅びても、その間際に得た情報はあの方に伝わるでしょう」

「それも、アタラクシアの命令なのか?」

「いいえ。あの方は、それだけはお命じになりませんでした。ユウキの気持ちを慮ったのでしょう。しかし、あの力のデータが、これからの戦いに重要な意味を持つことは確かです。ですから私は、あえて独断でこうしてお願いするのです」

「独断って‥‥お前は、作られたゴーレムなんだろう?」

「私は、元は一人の妖魔だったのですよ。五体のゴーレムのうち、私だけですが」

 ユウキは、青の言葉の意味をすぐには理解できなかった。ゴーレムとは、人の手によるボディに、同じく人造の仮の精神を宿らせたものであるはずだ。

「‥‥そもそも私は、魔天キサナ・ラーの配下でした。裏切り者を処刑するため、刺客としてアタラクシア様のもとに送られたのです」

 しかし、アタラクシアの力の前に、彼はあっさり敗北した。見逃してやろうとしたアタラクシアの前で、彼は自決の道を選んだ。

「死者を完全に蘇らせることは、誰にもできません。しかしアタラクシア様は、開発中だったゴーレムのボディに私の魂を宿らせ、私を生かしてくださったのです。そのときから私は、アタラクシア様に忠誠を誓う者となりました」

「‥‥ただ、体のいい実験台にされただけじゃないのか?」

「アタラクシア様に会ったユウキなら、わかるでしょう。アタラクシア様はそんな事をなさるお方ではありません。それに、仮にそうであったとしても文句など言えるはずもない。私はすでに死んだ身なのですから」

 青は、ユウキの剣をユウキに投げ渡した。ユウキは反射的にそれを受け取った。

「私は決心しました。再び与えられたこの生を、全てアタラクシア様に捧げようと。‥‥さあユウキ、私を殺してください。あの“理法(ロゴス)”の力によって!」

 ユウキは黙って、剣と青の顔を交互に見比べた。

「いけませんわ、ユウキさん!」

 意味を悟って、ティーナが叫んだ。アーリィが不思議そうに彼女に尋ねる。

「なに? ロゴスって、何のこと?」

 あのとき──ユウキが暴走したとき、アーリィは気を失っていた。それこそが暴走の最大の原因だったのだ。

 アーリィは、そのことを知らない。

 ティーナはユウキの所に走り寄った。

「ユウキさん、惑わされないで! 二度と、あんな力は使うべきじゃありません!」

 彼女の直観が告げている。あれは危険な力だと。ティーナは小声で、しかし鋭くはっきりとユウキに言った。

「何より今は‥‥アーリィさんが見ているんですよ」

 今のアーリィがあの姿を見たら、そしてその最初のきっかけを作ったのが自分だと知ったら、二人の関係に決定的な亀裂が入りかねない。

 それだけはさせない。絶対にさせてはならない。

 ユウキにはアーリィが必要で、アーリィにはユウキが必要なのだ。ティーナにはそれがわかる。痛いほどわかる。自分がこれまで、そんな相手とめぐりあうことができなかったがゆえに。

 今は何としてもユウキを止める。それは利己的な、罪滅ぼしという自己満足なのかもしれない。けれど今の自分にはそれしかできない。そして、何もしないよりはずっとマシだ。

「ティーナ‥‥」

 ユウキの表情に迷いの色が浮かんだ。それを見逃さず、青が走った。

「私はもはや、手段は選びませんよ!」

 剣を抜き、青はティーナに斬りかかった。ユウキはとっさに彼女を突き飛ばしたが、青の剣は彼女の肩口をかすめた。破れた服の下から、白い肌と鮮血がのぞく。

 そのとき、真横から飛んできた光弾が、青を打ち倒した。クラウドだ。

「もう少し紳士的な奴と見えたがな。やはり、喋っている間に不意打ちで殺しておくべきだったか」

 ユウキも、ティーナをかばいながら言った。

「同感だ。そこまで堕ちたか」

「──私は、伝えねばならないのです。アタラクシア様のために」

 青は立ち上がり、再び剣を構えた。

「生命の摂理は、我らが思うよりはるかに深きもの‥‥。私は歪んだ存在です。私の魂はあと数日のうちに仮の肉体との結合を解かれ、今度こそ自然へと還るでしょう。それは最初から覚悟していたことです。ですから私を殺すことでユウキが罪悪感を抱く必要はないのです。──どうせなら、残されたわずかな時間を意義あるものにさせてください!」

「お前‥‥」

 ユウキは、作り物であるはずの青の瞳から、確かに感じ取った。

 ──この男は、自分と同じだ。

 果たすべき使命に、己の存在の全てを賭けている。

(俺は‥‥もし同じ立場なら、同じことを望むだろう‥‥)

 自分の中には、確かにあの暴走に対する警戒心がある。できることなら、アーリィや仲間たちにはあの力を見せたくないという思いがある。

 だがそれは自分の存在を脅かすようなものではない。使命に反するようなものでもない。

 ならば、青の望む通り、“凍れる暴走”を見せてやるべきではないのか?

 流されるな、というアタラクシアの言葉が甦る。だが、他者の存在を否定できるほど、自分の意志とは高級なものなのか?

 優しさや情けといった問題ではない。自分の嫌悪も警戒も関係ない。そんな感情など、どうでもいいのだ。相手の全てを賭けた願いを、自分はかなえてやれる。ならばそうするのが、当然なのだ。

「お願いします、ユウキ!」 叫ぶ青の右手に、力が集中していく。

 そして青は、その手を前に突き出した。倉庫の壁が、ユウキと辺りの箱や武器もろとも吹き飛ぶ。

 粉塵が舞い上がり、辺りを覆い隠していく。ティーナは両手をきつく握りしめ、うつむいた。

 青の攻撃を受ける瞬間、ユウキは静かに瞳を閉じていた。あのときと同じだ。

 青は吹き飛ばされたユウキを追って、壁に開いた大穴に飛び込んだ。そこは裏手の教室に通じている。アーリィも、二人のあとを追おうとした。

「待て!」 クラウドがアーリィのポニーテールをつかんで止めた。

「痛っ! 女の子の髪をつかむなっ!」

「何度も言うが、少し考えてから行動しろ。今のヤツに不用意に近づくのは危険だ。貴様一人が死ぬぶんには一向にかまわんが、下手をすると俺やティーナにも被害が及ぶ」

「どういうこと? さっきから、いったい何の話をしてるわけ? ‥‥ユウキが危ないんだよ!?」

 いつもなら、もっと激しく抗議するところだ。しかしアーリィもクラウドの様子に気づいていた。ろくでもない男だが、彼が青ざめるからにはよほどの理由がある。

 ‥‥クラウドも目の前で一度“凍れる暴走”を見ている。あのときから、彼もまたそれなりに不安を感じていたのだ。

「あれをユウキだと思わないほうがいい。いま危険が迫っているのは、俺たちのほうだ」




*                   *


(──怖い。嫌だ)

 ユウキの頭に、エイラムを倒したときの記憶がよみがえる。

(あれは、俺じゃない。俺が殺したわけじゃないんだ)

 だが、あれは間違いなく自分だ。

(今度は、アーリィが見ている)

 アーリィの笑顔。優しい声。偶然触れた手のぬくもり。髪の匂い。

(失いたくない。彼女には、見られたくない)

 だが、心のどこかで、五感を超えた何かが否定する。‥‥そんなものは、わがままで卑小な感情にすぎないと。

 自分は、相手の存在を賭けた願いを叶えてやれる。ならば、そうするのが当然だ。他人を否定する権利など自分にはない。相手の望む通りにしなければならない。そうすべきだからだ。

 当然。しなければならない。そうすべき。

 軌道に乗った理性が、乱れた感情を駆逐していく。


 ──そして、“凍れる暴走”が始まる。


 ユウキは瞳を閉じたまま、瓦礫の山から跳ね起きた。まるでバネ仕掛けの人形のように。

 額から血が流れ出ていた。ユウキはそれを左手の甲でぬぐった。したたる血は赤い氷の粒となって、輝きながら飛び散った。

 ユウキは、右手に剣を握っていた。その拳が一瞬だけ光ったかと思うと、剣は砕け散り、細かい白銀の結晶と化した。

「これが‥‥“凍れる暴走”‥‥」 青が震える声で言った。

 感覚のないゴーレムであるはずの自分の身体が、確かに言いようのない悪寒を感じている。

 瞳を閉じたままの顔を青に向け、ユウキが尋ねた。

「なぜ、死したあとまで何かを残そうとする。‥‥他者を犠牲にしてまで。 そうまでして自分に価値を求めたいのか?」

「私は、アタラクシア様に伝えなければならないのです!」

「全ての存在は、無意味だ。生じては、消える。それだけが運命」

 ユウキはその場に膝を付き、足元の瓦礫をすくい取るような仕草をした。ユウキの指が触れた部分だけが、何かにえぐられたように綺麗に消滅していた。

「生まれることは罪、生きることはその罰。 輪廻の鎖は永劫に罪人たちを縛り続ける。意味などない。価値などない。この牢獄には『外』などない」

 ユウキは、静かに右手を高く掲げた。

「さようなら、弱くて優しい愛すべき獣たち。──消えろ」

「‥‥アタラクシア様! 我、全てを伝えり!!」

 青の絶叫と同時に、ユウキの右手が振り下ろされた。見えない幕が降りたかのように、青は消滅した。あとには白い結晶だけが、冷たい光を放ちながら舞い散っていた。

「‥‥これでもう誰も、お前を苦しめない」 ユウキは淡々とそう言って、身体の向きを変えた。「そして、次」

 壁に大穴を開けられた教室の片隅──机の上にルージャが足を組んで腰掛けていた。

「やあ、こんばんは、ユウキ先輩」

 ルージャは片手を挙げて、緊張感のない挨拶をした。

「魔界が先輩に干渉してきたと聞いたときから、嫌な予感がしてたんですけどね。隠れて出番を待っていた甲斐がありましたよ」

 彼は、ぽんと机から飛び下りた。

「今日は、僕が先輩を止めます」

 前回の暴走では、妖魔エイラムを倒した時点でユウキは正気に戻った。明らかに、暴走を経験するたび、その度合いはひどくなってきている。痛みに肉体が慣れていくように。‥‥いや、快楽に、だろうか?

「三度目の暴走は絶対に防がなければなりません。何よりまず今は、元のユウキ先輩に戻ってもらわなくては」

 つぶやいたルージャは、一瞬だけユウキを見失った。

「‥‥!?」

 直観的に、とっさに横にとびのく。彼がそれまでいた位置のすぐ隣に、ユウキが立っていた。そこには机が置かれていたはずだった。しかし今はもうない。ユウキが触れたもの全てが、消滅している。

「生まれることは罪、生きることはその罰。輪廻の鎖は永劫に罪人たちを縛り続ける」

 ユウキは無表情に、全く同じ言葉を機械的に繰り返した。ルージャはゾクリとした。どんな痛烈で陰惨な台詞より、こちらのほうがはるかに恐ろしい。

 姿は確かにユウキでも、もうユウキの心はどこにも残っていない。

「全ての存在は消滅を望んでいる。それこそが絶対かつ永遠の安息だからだ。──さあ、願いを叶えよう」

 言いながら、ユウキはルージャにつかみかかろうとした。並んだ机の隙間を転がるようにして、ルージャはそれをよけた。

「‥‥やはり、今のユウキ先輩にとっては、僕も消すべき存在なんですね」

 ルージャの着衣の一部が、消えていた。破れたのではない。初めから何もなかったような、綺麗な切り口。

 ‥‥いや、とルージャは考えた。

 今のユウキなら、妖魔エイラムにしたように、離れた所から一瞬でルージャを消すこともできるはずだ。恐らくユウキとしての感情が、どこかで歯止めをかけているのだろう。

「やれやれ。この場合、感謝するべきなんでしょうか?」

 穴の開いた服を見ながら、ルージャはつぶやく。ともかく今は、そのユウキの感情を引きずり出すことに希望を賭けるしかない。

「ユウキ先輩、やめてください! 正気に返ってくださいよ!」

「そうする理由がない」

「僕たちは仲間じゃないですか! その僕まで殺そうっていうんですか?」

「──仲間を殺しては、なぜいけない?」

 冷静に問い返すユウキに、ルージャは言葉に詰まった。

 理性だけで動いている相手に、感情をぶつけてみたところで無意味なのか。個人の感情など、しょせんはその程度のものなのか。

 理法の力は、彼らの持つ情念とはあまりにも異質だ。全く通用する余地がないのかもしれない。

「‥‥でもね、先輩」

 ルージャは意を決し、ユウキの真っ正面に立ちはだかった。

「僕は先輩に殺されるわけにはいきません。僕の命の一つや二つ、どうってこともないんですが‥‥僕がここで死んだら、あとで先輩が正気に返ったとき、深く傷つくことが目に見えてますからね」

 ルージャの言葉が聞こえているのかいないのか、ユウキはまるで変わらぬ様子で距離を詰めてくる。

 何より厄介なのは、確かに目の前にユウキの姿があるにもかかわらず、まったく存在感がしないということだ。そして逆に周囲の全ての空間からプレッシャーを感じる。

「ユウキ先輩。あなたはいま、どこにいるんですか? 僕の身体を張ったオイシイ場面なんですから、ここは一発、正気に返ってみてくださいよ」

 ふざけた言葉とは裏腹に、ルージャの額には冷たい汗がにじんでいた。見慣れた教室にいるはずなのに、場違いなところに初めて迷い込んでしまったような感覚がする。‥‥世界が、彼の存在を拒もうとしているのだ。

「先輩‥‥」

 ルージャは、ユウキと一緒に吹き飛ばされてきた倉庫の短剣を手に取った。

「わかりました。ただ、あなたの手はわずらわせません」

 彼はそう言うと、短剣を自分の首筋に押し当てた。

「僕は先輩が好きですよ。だから僕は、自分で自分を消すことにします」

 ユウキの動きが止まった。しかし、まだその瞳は閉じられたままだ。

 あと一押し──ルージャは短剣を握った手に力を込めた。皮膚が裂け、血が滲みだしてきたのが自分でわかる。あと一つ、何かきっかけがあれば、ユウキは戻ってくるかもしれない。

 そのときだった。足音とともに、声が室内に飛び込んできた。

「ユウキーっ!」

 アーリィだ。ユウキはハッとしたようにそちらを向いた。──少なくともルージャにはそう見えた。今のユウキの仕草は、明らかにかすかな驚きと戸惑いを感じさせるものだった。感情が、戻りつつあるのかもしれない。

 ユウキにとって確かにアーリィの存在は大きい。だがそれがはたして、吉と出るか、凶と出るか‥‥。

 アーリィはユウキに駆け寄った。ユウキは動かない。

「ユウキ、ごめんね‥‥話は聞いたよ。ボクのせいで、ユウキは心を閉じるようになっちゃったんだね。ボクがいつも無茶で馬鹿だから‥‥」

 異様な雰囲気を放つユウキに向かって、アーリィは懸命に語りかけた。

「ボクは弱いんだ。ユウキやみんながいてくれないと、何もできない。ごめんね、ユウキ。‥‥ボクなんか、消えてしまったほうがいいのかもしれない」

 その言葉にユウキは反応した。彼は右手を伸ばし、アーリィに触れようとした。

「アーリィ先輩、危ない!」

「いいの、ルージャ。ボクはユウキから逃げたくない」

 ユウキの指先が白く輝いた。

「──だけどね」

 言うが早いか、アーリィは逆にユウキの手首を掴んだ。同時に、空いた右手でユウキの頬を思い切り平手で打った。

「ダメだよ、そんなのダメだよ! ‥‥今のユウキは、自分の感情から目をそむけたくて、理性にすがってるだけじゃないか。そんなの、間違ってるよ。ボクを叱ってくれた強いユウキはどこへ行っちゃったの?」

 ゴーレムとはいえ、ユウキは青を殺したくはなかった。だから彼は、理性に逃げたのだ。

 ユウキは、床に膝をついた。

「‥‥すまない、アーリィ」

 伏目がちではあったが、その瞳は確かに開かれていた。

「俺は、君が思うほど強くないんだ」

「じゃあ、ここで抱きついてキスでもしてあげれば、それで満足なの?」

 ユウキの顔をのぞきこむようにしてそう言うと、アーリィは笑顔で彼に手を差し出した。

「一緒に強くなろうよ。ね、ユウキ?」

「‥‥ああ」

 ユウキはゆっくりと立ち上がった。もう完全に、いつものユウキだ。

「ルージャにも‥‥迷惑をかけたな」

「いえいえ、どういたしまして。なかなかスリルがあって楽しかったですよ」 パンパンと服についたほこりを払いながら、ルージャは答えた。

 ティーナとクラウドもこちらへやってくる。アーリィは皆を見渡して、言った。

「色々あったけど、これで一件落着だね」

「そのようですね」

「‥‥そうか?」

 アーリィたちは一斉に、そう言ったクラウドの顔を見た。

「どうも、何か一つ忘れているような気がするんだが‥‥」

「何かって?」

 アーリィが尋ねたとき、彼女の頭上に突然一人の男が出現した。紫色の服を着た男は、そのままアーリィの目の前に落ちて倒れた。

「すまねぇ、青‥‥しくじっちまった‥‥あのガキ、とんでもねぇ‥‥」

 紫という名を持つゴーレムは、それだけ言うと塵となって消えてしまった。

「あのガキ? って、まさか‥‥」

 アーリィたちは顔を見合わせた。

「──アスカ!?」





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