友情なんてこの世に一つ、

あるかないかの宝石だからね












 翌日の、昼休みのこと──。




   第三章 気付かなかった



「あの、ちょっといいですか?」

 学食にいたユウキは、後ろから声をかけられた。椅子ごとそちらを向くと、見知らぬ小柄な少女が立っていた。

 肩口で揃えられたピンクの髪──別に染めたりしているわけではなく、生まれつきの自然な色だ──に混じって金の耳飾りが揺れている。片方だけの、不釣り合いに大きな耳飾りというアンバランスさが、妙にこの少女の醸しだす雰囲気に似合っている。

「あたし、ルーンっていいます。ユウキさん‥‥ですね?」

「ああ。そうだけど」

 ルーンは、欲しいおもちゃを見つめる子供のような視線で、ユウキをじろじろ眺め回した。

「実際に見るのは初めて‥‥へぇ、こんな人だったんだ」

「あの、何か用?」

 記憶の鎖をどうたどってみても、この少女には行き着かない。

「いえ、用というほどじゃないんですけど。前から一度お話ししてみたかったんです。──かまいませんよね?」

 純真で一途な表情に押されてユウキがうなずくと、ルーンは素早く隣に腰掛けた。しかし座ってしまってからようやく実感が湧いてきたと見え、それきり恥ずかしそうに下を向いたまま黙っている。どうも話題を探しているらしかった。

「ルーン‥‥さん?」

 さっぱりわけがわからぬまま、仕方なくユウキは話しかけた。とたんにルーンは弾かれたように顔を上げた。頬を赤く染め、決意したように喋りだす。

「あ、あの、お怪我はありませんでしたか?」

「‥‥えっ?」

「‥‥あ‥‥。昨日、墓地へ調査に行かれたんですよね。それで、ご無事だったかどうか気になっちゃって」

「──なぜ、そのことを?」

 ユウキは内心驚き、尋ねた。自分たちがアンデッド事件の調査に乗り出したことは、パーティーのメンバーと学園冒険管理局しか知らないはずだ。‥‥アーリィか誰かの、友人なのだろうか。

「あれ、あたしったら、何かヘンなこと言いました? ごめんなさい、あたし、同じ年頃の男の人とあんまりお話ししたことなくて‥‥それにやっぱり、面と向かって話すと緊張しちゃって‥‥」

「いや、そういう意味じゃなく」

「お邪魔になるといけないから、これで失礼しますね。──あっ、そうだ」

 ユウキの言葉もろくに耳に入っていないのか、ルーンは勝手に話を進め、持っていたカバンから色紙とペンを取り出した。

「あのー、サインしていただけますか?」

「‥‥サイン? いいけど‥‥」

 当惑しつつも、ユウキは自分の名前をサインしてやった。その横でルーンが、目を輝かせながらユウキの手の動きとその軌跡とを見つめている。

「あ、ありがとうございますっ。またいつか、お会いしましょうね!」

 それだけ言うとルーンは、ユウキのサインを抱えて走り去っていってしまった。

「何だったんだろう、あの子‥‥」

 しかし、この学園で変な人間に会うのは、今に始まったことではない。深く考えても仕方のないことだ。

 ルーンが去って少したったあと、入れ替わるようにアーリィが姿を現した。

 彼女は黙ってつかつかとこちらに近づいてくる。そして、一言も喋らぬまま、ユウキの前に立った。

 いきなりアーリィの平手が飛んだ。

 まったく手加減していない戦士系学生の思わぬ攻撃に、ユウキは席から吹っ飛んだ。とっさに壁に手をついて体勢を立て直したのはさすがと言うべきか。

「‥‥何をするんだ、アーリィ」

「自分の胸に聞きなさい! この変態! スケベっ! ユウキがあんなことするなんて思わなかったよ」

「何のことだ?」

 状況にさっぱり納得がいかないが、アーリィが芯から激しく怒っていることだけはわかった。初めて会った日と同じだ。

 来るであろう第二撃を予測し、ユウキは防御態勢に入る。しかしアーリィは真剣な表情でユウキに訴えはじめた。

「ねえ、ユウキ。‥‥ボクのでよかったら、いくらでもあげるから‥‥だからもう二度と、あんなことしないでよ‥‥」

「ちょっと待ってくれ。話が見えない。指示語の具体的な内容が──」

「ごまかさないでっ!」

「ごまかしているつもりはない。共通の認識がないから話が平行線になるんだ。まずは状況説明から入るのがスジだと思うが」

「あれだけ堂々と下着ドロボーしておいて、シラを切るつもり!?」

「下着‥‥ドロボー?」

「そうだよ。‥‥ボクがユウキの後ろ姿を見まちがうわけないじゃない。それに、女子更衣室には対異性結界が張られてるんだから。それを簡単に通過できるのなんて、魔法を受け付けないキミだけでしょ!」

「それは論理の飛躍だ。可能だからといって、俺が必ずそれを実行するとは限らない」

「──そう。わかったわ」

 だがその口調は明らかに何もわかっていない。

「都合が悪くなればすぐ逃げる。これだから、男なんて‥‥!」

「アーリィ。余計なお世話かも知れないけど、少し冷静になったほうがいい」

 ユウキの言葉を聞くやいなや、アーリィはテーブルをバンと叩いた。驚いたことに頑丈な樫の天板に亀裂が走った。

「ユウキこそ、どうしてそんなに冷静なの! ボクに殴られて、責められて、何とも感じないのっ!?」

 叫んだあと、アーリィはふっと口をつぐんで、ユウキに背を向けた。

「‥‥そうだよね。その程度の関係だもんね。それじゃユウキ、さよなら」

 発情期のグリフォン並のスピードで、アーリィは食堂を飛び出していった。

「やれやれ」

 ユウキは、床に転がった椅子を起こした。

「いやぁ、女性を怒らせると怖いですねー」

 よく知った声。よく知った口調。振り返ると、いつの間にやらルージャがそこにいた。

「油断しましたね。ちょっと僕がいない間に、こんなことになっているとは」

 顎に手を当て、ルージャはうんうんとうなずいた。

「いやはや、青春ですねぇ‥‥」

「アーリィは、何をあんなに怒っているんだ?」

「ゴーレムですよ」

 ルージャはさらりと言った。

「この場合はダミーとでも呼ぶべきでしょうか。昨日も話した通り、優秀な魔技師であれば、先輩そっくりの人形に命を吹き込んで操ることも簡単です。そいつを使って悪事を働かせているわけですね。ゴーレムであれば、更衣室の結界に反応しないのも当然ですし」

「じゃあ俺は、そのニセ者の代わりに殴られたってわけか」

「うーん、アーリィ先輩が怒っているのは、単にそれだけでもないと思いますけど‥‥」

「‥‥?」

「鈍感ですね。ま、仕方ないですか」

 ルージャはいつもの微笑を浮かべると、先を続けた。

「恐らくこれは、例のアンデッド事件の犯人のしわざでしょう。どうやら相手も、僕たちを敵と認めたようです。まずはパーティーを内部から崩そうという魂胆ですよ。やることが下着ドロというのが少し悲しいですけど」

「いや、お前の言ってることが正しければ、下着ドロだけじゃすまないだろう」

「さすが先輩、お察しの通りです。僕がここに来るまでにも、いろいろ先輩の悪事の噂を耳にしましたよ。廊下の落書きとかカツアゲとか」

 ルージャはユウキに顔を近づけ、こっそりと耳打ちした。

「‥‥ほら、聞いてみてください。後ろの席の人たちも、先輩の話をしてるようですよ」

 言われてユウキは、相手に気づかれぬよう会話を盗み聞きしてみた。

「おい、聞いたか。例の勇者の話」

「聞いた聞いた。昨日から突然悪さを始めたらしいな。どういうつもりなんだろう」

「被害にあった連中は、血眼でヤツを探してるらしいぜ」

 ユウキは立ち上がった。小声でルージャに告げる。

「とりあえず、俺は逃げたほうがよさそうだな」

「そのようですね。お気をつけて」

 目立たぬように食堂を出ようとしたユウキだったが、やはり見つかってしまった。

「あーっ! 勇者の野郎だっ!!」

 たちまち食堂のあちこちから声が沸き起こる。

「てめぇ、よくも!」

「あたしの下着返してよ! あれは胸を大きくする貴重なマジックアイテムだったんだから!」

「俺の赤点の答案を盗んで廊下に貼りだすとは、どういう了見だ!?」

 走りだしたユウキに、後ろから怒号がついてくる。

「‥‥どうせなら、もっとマシなことで追われたいな」

 独りごちながら、でたらめに廊下の角を曲がったユウキは、壁に竜の顔を型取ったレリーフがあるのを見つけた。その下にはこう書かれている──『廊下を走るべからず 〈宮〉の理事ナン』。

(こんなもの、前からあったか?)

 妙に引っ掛かるものがある。迷宮や建物の管理を担当する〈宮〉の理事が、なぜわざわざこんなことを注意するのだろう。

 彼の視界の隅で、レリーフの竜の瞳が赤く輝いた。

<制限速度、オーバーです>

 無機質の声が響くと同時に、竜の口から赤い光線がほとばしった。紙一重で身をかわしたユウキの服のすそが、焦げて煙を上げた。

 事ここに至り、ユウキは思い出した。〈宮〉の理事ナンの若かりし頃の異名──“トラップ・マスター”。

「‥‥‥‥」

 振り返ってみると、廊下の幅一杯にまで膨れ上がった追跡者の集団は、揃ってトラップの前で速度を落としている。

 チャンスだ。床を蹴る足にさらに力を込めたユウキは、そこに書かれていた文字を踏んだ。『右側通行厳守』

 背後でガタンと音がした。恐る恐るもう一度首を向けると、左側を走っていた生徒たちが、パックリ大口を開けた廊下の落とし穴に飲み込まれている。

 二つのトラップで、追跡者たちは完全にパニックに陥ったようだった。その機を逃さず、ユウキは人のいない空教室に飛び込んだ。

 扉にもたれ、息をつく。

「参ったな。俺のニセ者か‥‥。古典的なだけに、効果絶大だな」

 しかし、泣き言を言ってみても始まらない。このまま逃げ隠れしているだけでは、状況は悪くなる一方だ。

 要は、自分とニセ者の区別が付けられればいいのだが──。

「そうだ、考えろ。下手に動くよりは、じっと策を練るほうがよっぽどいい。‥‥古典的パターンと呼ばれるものには、必ずどこかに盲点があるはずだ」

 ユウキはしばらくの間、身じろぎ一つせずにうつむいていた。

 そしてユウキは、不意に顔を上げた。

「そうか。区別が付かないままでいいんだよ」

 彼は教室の片隅に置いてあった数枚の紙を手に取った。ポケットには、あのルーンという少女に返し忘れたペンがある。

 ユウキは、紙にそれぞれこう書きつけた。

『セディスのクソババァ! 若作りの大年増、妖魔に対抗しうる最凶最悪の魔女、石になるだけですむぶんメデューサのほうが百万倍マシ! 文句があるならいつでも相手になるぜ──勇者ユウキ』

 ユウキはその紙を丸めて小わきに抱え、教室を出た。他の生徒に見つからぬように、あちこちにセディスの悪口を書いた紙を貼って回る。

「さてと。あとは待つだけだ」

 案の定、しばらくしてから辺りに短いメロディが響き渡った。

<♪ピンポンパンポーン>

 ラグナロック学園の校内放送である。

<あーあー、剣士科所属のユウキ君‥‥>

 間違いない。セディスの声だ。

<ユウキ君、学園魔法研究所西館1Fのセディスの所までいらっしゃい。‥‥なるべく急いでね。せっかく用意した末期のお茶が冷めちゃうから♪>

 声と口調は必要以上に明るいが、セディスが激怒している様子が目に浮かぶようだった。

「さすがはセディス先生、悪口に対しては反応が早いな。もう乗ってきてくれたか」

 ユウキは天井のスピーカーを見上げ、つぶやいた。

「──成功だ」




*                   *


 ユウキは追われていた。

 いや、ユウキではない。彼に瓜二つのゴーレムだ。

「クソッ、なんて速さだ‥‥! ホントに人間かよ‥‥!」

 悔しがる声を尻目に、ゴーレムはまんまと追手を振り切った。そのはずだった。

 突然、ゴーレムの目の前の空間が揺らいだ。虚空から軽やかに降り立ったのは、くすんだ赤色のローブをまとった魔女。

「──ユウキ君。他はともかく、この私からは絶対に逃げられないわよ」

「!?」

 ゴーレムは混乱した。目の前にいる相手は、間違いなく恐るべき力を持っている。

 ゴーレムは、それほどの力を持たない学生たちに対して悪事を働くよう指示されていた。そしてそれを実行していた。そうでなければ、逆にゴーレム自身が本物と間違われて始末される可能性があるからである。

「さて、いちおう弁解の余地だけは与えてあげるわ。言いたいことがあるんなら言ってごらんなさい。たとえば遺言とかね」

 いつの間にか他の生徒たちも集まり、ゴーレムを取り囲んでいる。ゴーレムは仕方なく口を開いた。作られた精神が狂おしく思考する。

「えー‥‥俺は、勇者ユウキ‥‥」

 ユウキそっくりな声が発せられた。しかし、白けた雰囲気が辺りに広がる。

「この期に及んで何を言ってるの? 君がユウキだってことはよぉく知ってるわよ。もっとちゃんと考えてから喋りなさい。この世で語る最後の言葉なんだからね」

 セディスがゴーレムに詰め寄った。

(???‥‥???‥‥???‥‥)

 ゴーレムは、製作者からこのような事態の対処方をまるで教えてもらっていなかった。しょせんは即席で作られたダミーなのだ。

「ちょっと待ってくれ」 あり得ない声がした。それはユウキの声だったが、セディスたちのさらに後ろから聞こえてきたのである。

「‥‥え!?」

「勇者が二人!?」

 現れた本物のユウキは、肩をすくめた。

「同じ人間が二人いるはずがない。合理的に考えればわかる。‥‥そいつは、ニセ者だ」

「ニセ者だって? そんな馬鹿な!」

「肌の色も同じだし、目つきも悪くないし、髪形も変わってないし、額に変なマークがあるわけでもないし‥‥こんなにセオリーを無視したニセ者があっていいのか!?」

「──どういうことなの、ユウキ君?」セディスが尋ねた。

「誰かが俺を陥れるために仕組んだ罠ですよ。そいつはゴーレムです」

「じゃあ‥‥頼んでおいた貼り紙の代わりに、こんなふざけたものを貼って回ったのも、そのゴーレムのしわざなのね」

 セディスは、自分の悪口の書かれた紙を取り出した。

「はい。もちろんです」

「ちょっと待て! そんなことはやっていないぞ!」

 ゴーレムが叫ぶが誰も耳を貸さない。ユウキはいよいよ詰めに入った。

「だいたい俺は、クソババァとか大年増なんて言葉は使いませんよ」

「それもそうね。ユウキ君は、自分から勇者だなんて名乗ったりしないものね」

「違う、濡れ衣だ! それはそいつがやったんだ!」 必死で否定するゴーレム。

「うるせぇ、見苦しいぞ! ニセ者はみんなそう言うんだ!」

「考えてみれば、あの人が突然あんなことをやりだすのも変よね」

「危うくだまされるところだったぜ」

「疑って悪かったわね、ユウキ君」

「いえ、気にしていませんから。それじゃ、あのニセ者の処遇は先生におまかせします」

「わかったわ」  セディスが低く答えた。周りの生徒たちは反射的にゴーレムを囲んだ輪を広げ、彼女から遠ざかった。ユウキも急いでそこから離れる。

「‥‥大年増? 最凶最悪の魔女? メデューサのほうが百万倍マシ?」

 意識的に抑えられたセディスの声──そのトーンが、徐々に高くなっていく。

「‥‥このセディス様にそんな暴言を吐いた以上、覚悟はできているんでしょうねっ!?」

 その場の全員に戦慄が走った。いつにもまして、今日のセディスは本気だ。

「生徒諸君、よく見ときなさい。魔術師セディスの特別授業よ。いつも私は周囲に被害をまき散らすとか言われてるけど、それはむしろ手加減しているからなの。コインに封じられた魔力をどこまで引き出せるか、それは術者の技量次第──でも逆に、力を抑えて放出するのは困難だわ。だから私は、威力を拡散させることで相手のダメージを軽くしてあげているってわけ」

 誰かがボソッとつぶやいた。

「最初から魔法を使わなきゃいいじゃんか」

 セディスの眉がぴくりと上がった。次の瞬間、つぶやいた生徒が炎上した。近くにいた数人を巻き添えにして。

「‥‥とまあ、こういう具合にね」

 ゴーレムは完全にセディスに気押され、一歩も動くことができないでいる。セディスは続いて、周囲にいた一人の女生徒を指名した。

「そこのキミ、魔力を含む金属の種類は、主に?」

「‥‥金・銀・銅の三種です」

「正解、よくできました。それらに封じられている魔力には限りがあるワケだけど、ほぼ無尽蔵に魔力を蓄えている物質も、世の中には稀にあるのよね」

 彼女は大袈裟な身振りで懐から一粒のルビーを取り出した。陽光の中、それは脈動するかのごとく煌いた。

「これは、そういった貴重アイテムの一つ、“薔薇の雫(ローズ・ドロップ)”」

 説明しながら、空いた左手を振る。その手に幾枚ものカードが出現する。そのうちの一枚を、セディスは親指で空中に弾き上げた。カードは宙に浮いたままピタリと静止した。

「掲げるカードは『悪魔』‥‥天は地、地は天、すなわち逆位置‥‥!!」

 生徒たちのものとは違う呪文が朗々と詠唱される。胸元に構えられたルビーが輝きだす。

「私の宝珠が真紅に染まる! 鬱憤晴らせと煌き吠える! 私情のままに死刑執行っ!!」

 一瞬だけ、辺りを鮮血にも似た真っ赤な光が覆った。

 ユウキたちの視界が元に戻ったとき、ゴーレムの姿は跡形もなかった。ただ幾筋かの煙だけが立ち昇っていた。

「莫大な熱エネルギーが対象だけを呑み尽くし、外に熱を伝導させることなく瞬時に消える‥‥セディス・オリジナルの宝珠の呪文(ジュエル・スペル)“見えざる炎”」

 圧倒されている生徒たちに向かって、セディスは言った。

「──私が本気で魔法を使うと、相手は原型すらとどめていられないのよ。学生をこんな目に合わせるワケにはいかないでしょ?」

 そうしてセディスは、ゴーレムの立っていた場所にしばし視線を注いだ。

「‥‥でもやっぱり、派手さと豪快さに欠けるわねぇ‥‥」

 結局それが一番の理由らしい。

「さあ、終わったわよ。みんな、解散解散」

 確かに、終わった。ユウキの策の勝利だ。ゴーレムを探し出して倒すという手間を、全てセディスが代わりにやってくれたのだ。

 あのゴーレムに不手際があったわけではない。強いて言うならば、セディスのような無茶苦茶な人間が学園にいたことが、ゴーレムにとっての不運であった。

「ユウキ君」

 セディスがユウキに近づき、言った。いつになく真面目な表情をしている。

「‥‥あれがニセ者でよかったわ。もしキミが本当に私たちに敵対するようになったら、たぶんこの学園の誰もキミを止められないからね」

 まさか、とユウキは思った。今の彼ならセディス一人を相手にしてさえ、百回死んでも釣り銭切れランプが点灯するまでお釣りが来る。まして八大理事、そしていまだに生徒の前に姿を見せたことのない理事長や学園長となると、どれだけの力を秘めているのか想像もつかない。

「たまには教師らしいことも言わせてもらうけど、これから先も決して自分を見失っちゃダメよ」

 セディスはユウキの背中を軽く叩き、去っていこうとした。

「‥‥ああっ、やっぱりこういう話は苦手だわっ。要するに、自分が何者であるかより、どうありたいかが大切だってこと。以上」

「あ、ちょっと、セディス先生」

「なに?」

「ゴーレムのボディが残っていれば、製作者を特定する手掛かりになったんじゃないですか? 何も跡形もなく消さなくても」

「‥‥‥‥」

 セディスはしばらく黙っていたが、やがてぺろっと舌を出した。

「それもそうね。うっかりしてたわ。ごめーんね♪ んじゃ、そーゆーことでっ」

 セディスは現れたときと同じく、煙のように虚空に消えた。

 残されたユウキは独りつぶやいた。

「‥‥セディス先生、あんたって人は‥‥」




*                   *


 昼休みが終わり、午後の講義が始まる。

「ねぇアーリィ、聞いた?」

 教室に入ったアーリィを、同じ弓兵科の友人のパイの声が出迎えた。

「ほら、あんたのとこの勇者クンの話」

 アーリィはピクッと反応した。

「‥‥ユウキが、また何かやったの?」

「まだ知らないのね、その様子じゃ。あれニセ者だったらしいわよ。精巧なゴーレムだったんだって」

「ニセ者‥‥」

「彼も災難よね。これも一種の有名税かしら。ま、疑いが晴れてよかったじゃない。──アーリィ、どうしたの?」

 アーリィは、片手で顔を覆った。

「また、ボクの早とちりだ‥‥」

 自己嫌悪しながら、よろよろと席につく。そんなアーリィの姿を、パイは不審そうに眺めた。

 授業が始まっても、アーリィはまるで上の空だった。

(どうしよう。ユウキに謝りに行かなきゃ‥‥)

「ねえ、アーリィ。ねえってば」

 隣のパイに小声で呼ばれ、アーリィはようやく我に返った。

「え、あ、何?」

「あとでちょっと話があるの。時間取ってくれない?」

「‥‥うん。いいよ」

 気の抜けた返事を返して、アーリィはまたユウキのことを考えはじめる。

(ユウキも、もっとしっかり否定してくれればよかったのに‥‥ホントに、ちっとも感情を見せてくれないんだから‥‥)

 アーリィは、横にいるパイが明らかに不愉快な顔をしていることに気づかなかった。物思いにふけるアーリィの横顔に、彼女がしばらく冷やかな視線を送っていたことにも、気づかなかった。

 授業が終わるなり、パイはアーリィの腕をぐいと掴むと、強引に外に連れだした。

「ちょっとパイ、どうしたのさ」

 困惑するアーリィに構わず、パイは廊下の端まで来ると、アーリィを突き放した。

「‥‥!?」

 アーリィの顔に、戸惑いとかすかな恐怖の色が浮かんだ。普段の彼女ならまず見せることのない表情である。

「アーリィ、最近付き合い悪くなった!」

 いきなり、きつい調子でパイが言った。

「だ、だって、パーティーの仕事とか‥‥」

「純粋に仕事だけ? そうじゃないでしょ!」

 アーリィは思わずビクッと身をすくめた。今までパイが彼女に対して、これほど強い態度に出たことはなかったのだ。

「パイ‥‥何をそんなに怒ってるの‥‥?」

「あんたの態度によ! そりゃあんたは今や勇者サマのパーティーの一員だし、忙しいでしょうよ。でも、だからあたしみたいな一般の脇役とは、もう付き合えないってワケ!?」

「そんな‥‥。最初にパーティー検定を受けるように勧めてくれたの、パイじゃない。イイ男のそばをキープしとかなきゃとか言って」

「そうよ。あたし、あんたみたいに才能もないし。冒険者になったって、たぶん一生続けていけるわけでもない。何でもそこそこはできるけど、それ以上には行けない。いつも挫折ばかり知ってきたわ。未来に希望が持てなくなるほど。──どうしろって言うの!? あとは男にでもすがるしかないじゃない!」

 パイはそこでいったん床に視線を落とした。

「ごめんねアーリィ。あたし、嫉妬してるの。‥‥勇者にじゃない、あんたによ」

 彼女は顔を上げ、キッとアーリィを見据えた。

「深い考えもなく生きてるクセして、何をやっても上手く行って‥‥自然と周りから愛されて‥‥うらやましくて仕方なかったわ。あたしがさんざん苦労しているコトを、あんたはいとも簡単にやっちゃう。あたしが欲しくてたまらないものを、あんたはあっさり手に入れちゃう。どうして──どうして、あんたみたいなのがいるのよ!!」

「‥‥やめてよ‥‥!」 アーリィは手で耳を覆い、うずくまった。「パイ、やめて! もうやめて!」

 そのアーリィの姿を見て、逆にパイは少し落ち着きを取り戻したようだった。

「悪いけど、ちょっと安心したわ。あんたのそういう弱いトコ、初めて見たような気がする」

 しかし彼女は、アーリィに手を差し延べようとはしなかった。

「あんたは親友気取りでよかったかもしれないけど、あたし、ずっとガマンしてきたのよ。あんたの前では、自分のプライドを必死でなだめなけりゃいけなかったわ。‥‥そしてね、それでもあたし、やっぱりアーリィが大好きなのよ。だから余計に悔しいの。あんたは、あんたはイイ子すぎるのよ」

 アーリィにはもう、パイの言葉の後半はろくに届いていなかった。アーリィは床にうずくまったまま、ずっと頭の中で同じ言葉を繰り返していた。

 気付かなかった。気付かなかった。自分の存在が、大切な友達を苦しめていた。それに気付かなかった。ずっと。ずっと。

「‥‥遠くから見てただけだけどね」 最後にパイは、静かな調子で話しはじめた。「あたしも、あの勇者の彼、けっこうイイなと思ってたのよ。だいぶ前から‥‥アーリィが彼と会うより、もっと前から。もちろん、本気で好きだとかそういうレベルの話じゃないけど──でも今、あんたはその彼の隣にいるのよね」

 パイはアーリィに背を向け、立ち去った。

「さよなら、アーリィ。お幸せにね」

 長い時間が過ぎた。アーリィはゆっくりと立ち上がった。

 ──そして、うなだれたまま、力いっぱい壁を殴りつけた。





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