「俺は、身勝手だ」
「で、あとの二人は?」午後九時。待ち合わせの時刻である。営業終了間際の学食で、ユウキは尋ねた。彼の目の前にいるのはアーリィとティーナ、そしてアスカだけだった。
「ボク、ちゃんとルージャを探したんだよ。だけど‥‥」
アーリィの話によると、ルージャは試験終了後から姿を消しているらしい。さっきもいちおう吟遊詩人科の寮に寄ってきたのだが、帰っていないということだった。
「寮長さんの話だと、ときどきそういうことがあるんだって」
「しょうがない奴だな」
とにかく、言動がいちいち得体の知れない少年である。ユウキたちはまだ知らないことであるが、その理由の半分は、彼が〈剣〉の理事の孫であることによる。残りの半分は、もって生まれた彼の本質だ。
「クラウドもまだ来てないの? ボクに偉そうなことを言ってたくせに」
「あ、それが、その‥‥」 今度はティーナが言いにくそうに切り出した。「少し前、クラウドさんが私の所に来たんですけど‥‥」
「え?」
「何でも、期末試験での不正行為が発覚して‥‥これから徹夜で追試を受けさせられるそうです‥‥」
[第二章 容器と中身に関する概論]
冒険者になろうなどと考える者たちは、特定の故郷や家族を持っていない場合が多い。OBや教師を含め、そういった者たちが死んだとき埋葬されるのが、この学園共同墓地だ。
墓地だけに、学園の広大な敷地でもことさらに裏手に位置し、普段は誰も足を向けないような場所である。アンデッドの目撃者は、深夜のデート中のカップルだったそうだが。
「暗いね‥‥」
この辺りには照明も届かない。さすがに不気味な雰囲気である。──派手にライトアップされた墓場というのも、それはそれで不気味だろうが。
「‥‥ところでユウキ、さっきから何やってんの?」
「見ての通り、穴を掘っている」
シャベルを手にユウキは答えた。今朝、三日ほど降り続いていた雨がやんだ。雨上がりの湿った土は掘りやすい。
「だからぁ、どうして穴なんか掘ってるのか聞いてるの」
ユウキは黙って腰の剣を外し、できた穴に放り込んだ。そして上から土を戻しはじめる。
<ちょっとダーリン! どういうつもり!?>
「エ、エイミー?」 アーリィが驚く。
<何をするのよ! ねえってば!>
「埋める」
短く答えて、ユウキは作業を続けた。
「墓地の近くの土を掘り返す物好きもいないだろうからな。静かに眠ってくれ、エイミー」
やがて剣は完全に土に埋まり、声も聞こえなくなった。
「ちょっと可哀相なんじゃない?」
「客観的に見て、毎晩毎晩 剣に愛の言葉を囁かれる俺のほうが可哀相だと思う。──さあ、仕事にかかろう」
ユウキは地面に置いてあったランタンを持ち上げる。薄くゆらめく明かりが動き、立ち並ぶ墓碑の列を浮かび上がらせた。
「でも、今夜アンデッドが出るとも限らないんだよね。要するにボクたちは、何か手掛かりがあるかどうかだけ調べればいいんだ、うん」
妙に口数の多いアーリィに、ユウキは言った。
「アーリィ。怖いのか?」
「なっ‥‥そ、そんなことないよ! アンデッドなんか怖くも何ともないもん!」
「そうか。それじゃあ、援護を頼む」
「えっ?」
ユウキは墓地の一角にランタンを向けた。人影が動いている。
普通の場所で異常なものを見るよりも、異常な場所で普通のものを見たときのほうが恐怖は大きい。こんな所に、こんな時間に、自分たちの他に人がいるはずがないのだ。
アーリィが、ユウキの服の袖口をぎゅっと掴んだ。
「アーリィ?」
震えが伝わってくる。
「誰だって苦手なものはある。無理はしなくていい」
「‥‥ううん‥‥」
アーリィは弱々しくかぶりを振った。目を伏せたまま、二度、三度と深呼吸する。
「‥‥ごめん。大丈夫だから。もう大丈夫だから」
人影が、ゆっくりとこちらに向かってくる。言いようのない腐臭を放ち、これまた表現に困らされる足音を立てて。
“彼”が身体を揺らすたびに、ドロドロに溶けかけた腐肉がずり落ちていきそうになる。ユウキは懸命に嘔吐感をこらえながら、用意してあった予備の剣を抜いた。
(アーリィたちには酷だ。俺が片づけるしかないな)
こうなると、ルージャとクラウドが抜けているのが痛い。何だかんだと言っても、こういう場合にあの二人は頼りになるのである。
ユウキは明かりをティーナに手渡した。その拍子に、ゾンビの顔が照らしだされる。
「‥‥‥‥!!」
ユウキは、かろうじて原型をとどめているその顔に見覚えがあった。ほとんど言葉を交わしたことはなかったが、少し前に病死した学園の教師だ。
生きていた頃の面影が頭をよぎった。
ユウキはここにきてようやく悟った。理屈ではなく感覚で理解した。アンデッドとその他のモンスターとの違い―死体が動くとは、こういうことなのだ。ごく普通の、自分と何ら変わるところのなかった人間が、その存在をまるきり変貌させられてしまう。
何とか立ち直ったアーリィが、弓に矢をつがえた。弦がうなる。放たれた矢はゾンビの胸元に命中し、腐汁を飛び散らせる。
弓矢は貫通力で以てダメージを与える武器である。内蔵を初めとするあらゆる生命活動を停止し、痛みも感じないアンデッドには効果が薄い。ゾンビはまるで動じることなく歩みを続けた。
その前にユウキが立ちはだかり、剣を振り上げた。ゾンビが彼に向けて腕を伸ばした。
遅い。これが他のモンスターならば、一瞬で倒されているだろう。
「‥‥くっ」
ユウキは目をつぶり、剣を振り下ろした。ゾンビの首があっさりと斬り落とされた。ティーナが祈りとともに浄化の魔法を解き放ち、ゾンビは完全に動かなくなった。
アーリィがこわごわとゾンビに近づく。
「よかった、倒せたんだね──」
言いかけて、アーリィは言葉を止めた。
「どうしたの、ユウキ?」
半ば呆然として死体を見下ろしていたユウキは、独り言のようにつぶやいた。
「──俺は、身勝手だ」
魚や虫を殺すことにためらいを感じない者でも、それが鳥や犬となれば別だろう。相手が生物学的に自分に近いほど抵抗を感じるのだ。
自分は妖魔エイラムを殺している。生命を奪っている。なのになぜ、生命のないこの死体を斬るのを躊躇したのか?
──妖魔は敵だから。
そして、躊躇しながらもゾンビを斬ったのはなぜか?
──この死体を解放してやることが善行だから。
「‥‥そんなものは、都合のいい自己正当化だ‥‥何よりそれが許せない」
「ユウキ‥‥」
「知っていたんですね‥‥その方を‥‥」
ティーナがかすれた声で尋ねる。
「ああ」
答えて、ユウキは驚いた。オレンジ色の灯に照らされていてもそれとわかるほど、ティーナは顔を蒼白にしていた。
「ティーナおねえちゃん、どうしたの?」
アスカがティーナの顔を見上げる。彼女はランタンを手にしたまま、駆けだした。ユウキの横をすり抜け、墓地の奥へ奥へと入っていく。
ユウキたちが後を追っていくと、ティーナは二つ寄り添うように並んだ墓碑の前で立ち尽くしていた。そして、ゆっくりとしゃがみこむ。彼女の肩が安堵の息をついた。
「ティーナ‥‥」
アーリィが声をかけると、彼女はようやく我に返ったように立ち上がり、こちらを向いた。
「すみません、取り乱してしまって。どうしても確かめずにはいられなかったんです」
「確かめる?」
「ティーナの両親のお墓だよ、ユウキ」
「‥‥ああ‥‥」
ユウキはやっと思い当たった。
「荒らされてはいないようです。‥‥よかった」
ティーナはユウキに向かって言った。
「ユウキさん。死者をもてあそぶような行いは、絶対に止めなければなりません。‥‥ユウキさんは正しいことをしたと思います」
そのとき、アスカがのんきな声を上げた。
「ねぇねぇ。今度はあそこで、墓石が動いてるんだけど?」
「えっ!?」
確かにアスカの指さす先で、墓石の一つがズルズルと横にずれていく。
「いかにも、って風情ね‥‥」
「でも変ですわ。つい最近まで、あんな所にお墓はなかったと思うんですけれど」
ユウキたちが遠巻きに見守る中、墓石の下から泥まみれの棺桶がのぞいた。
その蓋が、骨のきしむような音を立て、ゆっくりと持ち上がっていく。青白い指先によって。
そして、虚ろな声が響いた。
「‥‥我が眠りを妨げし愚かな人間どもよ‥‥後悔するなら今のうちだぞ‥‥その命の灯が、私によって吹き消されぬうちにな‥‥」
棺桶に横たわっていた肉体が身を起こす。アーリィは思わず弓を取り落とした。
「あんた‥‥」
「ん?」
「‥‥まだ学園にいたの‥‥」
「むっ、貴様らは!」
「あーっ、シュラのおにいちゃん!」
そこにいたのは、以前に試練場で出会った吸血鬼、シュラヴァートであった。
「そうか、あんたが犯人だったんだね。これでこの事件も解決だ」
「何だと? 人が寝ている周りで騒ぎ立てておいて、いきなり何を言っている」
あくびをしながらシュラヴァートは言った。
「とぼけても無駄だよ。さっきのゾンビを作ったのはあんたでしょ」
「ゾンビ? 知らんぞ。私はここ数日ずっと寝ていたからな。それにゾンビなど、見るだけで気持ち悪いものを誰がわざわざ作るものか」
「気持ち悪い‥‥って‥‥」
「アンデッドだからとて十把一からげにしないでほしい。あいつらは不潔でいかん。第一、あんなのに囲まれていては怖くて昼もおちおち眠れんわ」
「怖い‥‥って‥‥」
「それで、おにいちゃんはどうしてこんな所にいるの?」 アスカが聞いた。
「他に行くあてもなかったからな。ここなら、たまに来る新鮮な死体から血を吸うだけで生きていける。日当たりも悪いし。なかなか好条件の物件だ」
「──俺、もう帰っていいか?」
そう言って本当に立ち去りかけたユウキの肩を、アーリィがぐいっと掴む。
「待ちなよ、リーダー。とにかく、こいつからちょっと話を聞きましょ」
「貴様ら愚かな人間に話すことなど何もない。私はちゃんと管理人の許可を受けてここに住んでいる。家賃だって前払いしているのだ。そのことでとやかく言われる筋合いはないぞ」
「管理人? この墓地の?」
「ねぇ、その人に聞いたらアンデッドのこともわかるかなぁ」
「ほう、何か事件について調べているのか、アスカ?」 吸血鬼の態度が露骨に変わった 管理人なら、少し離れた所の小屋に住んでいる。行ってみたらどうだ。──では、私はまた寝かせてもらう。近頃どうも昼間は不眠症なのだ」
ユウキたちが持っていた吸血鬼のイメージをことごとく打ち砕き、シュラヴァートは愛用の棺桶にもぐりこんだ。再び墓石がズルズルと元の位置に戻る。
「意外と親切な方なんですね、シュラヴァートさんって」
ティーナが感謝の祈りを捧げた。
「あの方に神の祝福がありますように」
地下からくぐもった悲鳴が聞こえてきた。
「ティーナ‥‥ヴァンパイアに対して祈るのって、嫌がらせにしかならないんじゃ‥‥」
* *
「ここのことかな?」ひっそりと建つ、あまり上等とは言えない小屋。
「こんな所に管理人がいたなんて知らなかったよ。‥‥ルージャがいたら、解説してくれただろうにね」
アーリィがそう言ったとき、突然近くの茂みから何かが飛び出した。それはアーリィの鼻先を音もなくかすめていった。
「な、何!?」
「鳥だろう。驚くほどのことじゃない」 落ちついた様子でユウキが言う。「たぶんフクロウじゃないかな。飛ぶときに羽音を立てないらしいから」
「ふーん」
「──ここで何をしている」
またもや突然、声がかかった。今度はユウキも驚いてそちらを見る。闇の中に、一人の老人が立っていた。長い真っ白な髭、深く刻まれた皺、そして厳しいがどこか寂しげな瞳。いかにも年季の入った偉大な魔術師という雰囲気である。ユウキたちのパーティーの魔術師とは大違いだ。
その肩には、さっきのフクロウが止まっている。
「ここは遊び場ではない」
老人は抑揚のない調子でそう言った。いや、喋ったのはフクロウのほうだ。
「あんたは、確か‥‥」
ユウキはその老人に見覚えがあった。
「‥‥〈魔〉の理事、バーム」
「ええっ!?」
〈魔〉の理事とは、学園の実務の最高位とも呼べる八大理事の一人であり、学園長と理事長に次ぐ地位を持つ役職である。
バームは理事として魔導委員会を統括し、樹状魔力ネットワーク・
世界樹 システムの管理にあたっている。照明や空調その他の、学園の様々な設備を維持するための魔力は、全てこのバームの統制下にあるのだ。そしてまたバームも、他の理事に劣らぬ奇人である。自らは決して口を開かず、常に肩のフクロウを通して喋る。腹話術の類なのかもしれないし、もしかするとフクロウのほうが本体なのかもしれない。真相は誰も知らないのだ。
「あの、ボクたちは共同墓地の管理人さんに用がありまして‥‥」
「ほう?」
バームはアーリィたちの顔を見渡した。
「こんな時間だ。単なる興味本位ではないようだな。よかろう、入るがいい。管理人はその中にいる」
バームはそれだけ言うと、再び闇の中へと消えていった。
アーリィが不思議そうにつぶやく。
「理事様が、どうしてこんな所に‥‥それに、いつからいたんだろう‥‥」
人の気配は全くなかったはずだ。
「‥‥ま、いいか」
彼女は気を取り直して、小屋の扉をノックしようとした。ところがそれを待たずに扉が中から開いた。
「入れ」
小屋の中から女性の声がする。バームとの会話が聞こえていたのかもしれない。アーリィたちは小屋へ足を踏み入れた。
外見と同じく、中も質素な造りだった。ただ、中央に不相応なカーテンがかかり部屋を二分している。カーテンの向こう側の様子はわからない。
部屋のこちら側には、あちこちに様々な水槽やカゴが置いてあり、鳥やカメ、金魚、リスなどたくさんのペットが飼われている。
「あっ、ニャンコだ!」
アスカが、足元にじゃれついてきた子猫と遊びはじめた。
「何の用だ。それをまず聞こう」
中にいた、二十代の若い女性がアーリィたちに告げた。いかにも性格のきつそうな、背の高い女性だ。
「あなたが管理人さんですか?」
「私は助手のチエリだ。そんなことより用件は何かと聞いている。下らない用でラビテイシア様に会わせるわけにはいかない」
一息にそこまでまくしたてたあと、チエリはふと眉をひそめた。
「ははぁん。貴様ら、あの墓荒らしの一味だな。仲間を取り返しに来たんだろうが、そうはさせんぞ」
「墓荒らし?」
ユウキが問い返す。
「それは誤解だ。俺たちはそんな奴など知らないし、まして助けに来ただなんて──」
ユウキの言葉も聞かず、チエリは隣室の扉を開けた。
「墓場を嗅ぎ回っていた怪しい奴だ。さっき私が捕らえた」
「‥‥‥‥」 部屋の中を見たユウキは、疲れた様子で言った。「すまない。細部は違うがおおむねそちらの言う通りだ」
「おや、皆さん。奇遇ですねー。これが仲間の絆ってヤツですか?」
ロープでぐるぐる巻きにされ、芋虫のようになったルージャがそこにいた。
「‥‥何やってんの、ルージャ」
「いえね、アンデッド事件を耳にして興味を持ちまして、ちょっと首を突っ込んでみたところ──まあ、ご覧のありさまです。あっはっは」
実は、彼の祖父である〈剣〉の理事ガルダからの直々の命であったのだ。しかしそんなこととは知らないアーリィたちは、呆れてものも言えない。
「ほら見てくださいよ、このロープ。〈魔〉の会が開発したマジックアイテムで、ちょっとやそっとじゃ切れないんですよ。購買部で五メートルあたり銀貨一枚で販売されています」
縛られたまま、ルージャはにこやかに解説した。
そのとき、カーテンの向こうから女性の細い声がした。
「チエリ、その方を捕まえたというのは、本当ですみゅ?」
「はっ。私の独断です。申し訳ありません、ラビテイシア様」
「‥‥話を聞く限りでは、悪い人ではなさそうですみゅ〜。放してあげなさい」
「はっ」
「なーんだ。管理人さん、そこにいるんじゃない」 アーリィがずかずかとカーテンに歩み寄り、ためらいもせずにそれを引き開けた。
「みゅーっ!?」
悲鳴が上がった。カーテンの向こうにいた人物は、パニック状態でテーブルの下にもぐり込んだ。
「こ、こらっ! 貴様、何ということをする!」
チエリが慌てて止めに入る。
「何って、ただカーテンを開けただけだよ」
「ラビテイシア様は、極度の恥ずかしがり屋なんだ!」
「‥‥はぁ?」
アーリィは、テーブルの下でぶるぶる震えている人物を見た。
少女だ。歳はアーリィと同じぐらいに見える。黒い瞳をうるませながら、そっとこちらをうかがっている。
その少女の、明るいブラウンの髪の間からは、ウサギのような白い耳が突き出ていた。
「おや。あの方はバニー族ですね」 ルージャが解説を入れた。「エルフや翼の民よりもさらに珍しい種族ですよ」
「は、恥ずかしいですみゅ〜。こんなヘンな耳をしてるから、きっとこの人たちもあたしをいぢめるんですみゅう‥‥」
「ラビテイシア様! しっかりしてください」
しばらくあっけにとられていたアーリィだったが、やがて我に返ると、テーブルの下に向かってそっと手を差し延べた。
「大丈夫。いじめたりなんかしないって。出ておいでよ」
「‥‥本当ですみゅ?」
ラビテイシアは、おどおどしながらテーブルの下から這い出てきた。もはや恥ずかしがり屋を通り越して、卑屈である。確かに、嗜虐心をそそると言えばそそる仕草だ。
「最近、あそこの墓地にアンデッドが出るのは知ってるよね?」
「そうらしいですみゅ。だから、学園を通して実習パーティーに依頼したんですみゅ〜」
ラビテイシアは、落ち着かないのか左右をきょろきょろ見回すと、カーテンの影に隠れた。
「なるほど、それでユウキ先輩たちが調査に乗り出したわけですね」
ルージャの言葉に、ラビテイシアはようやく事情を把握したらしい。彼女はカーテンにくるまりながら、顔だけ出して話し始めた。
「あなたたちがそのパーティーなんですみゅ? では、そもそもアンデッドとは何なのか、ということから説明しますみゅ〜。そのためには精神と肉体の関係について知らなければなりませんみゅ。‥‥人は、精神と肉体の二つから成り立っていますみゅ。でもこの二つは本来は切り離すことのできないものですみゅ」
精神のない肉体はただの人形である。そして精神もまた、肉体という器なくしては自我を保つことができない。肉体の業を背負って初めて、魂は魂たりえるのだ。
精神と肉体は、どちらが上位でも下位でもない。どちらか一方だけでは存在できないものなのである。
「あ、あのさ」
アーリィが小さく手を挙げた。ラビテイシアがびくっと耳をすくめる。
「肉体はわかるんだけど‥‥精神って、要するにいったい何なワケ?」 アーリィはそう質問した。いきなりややこしい話が始まって面食らったらしい。
「精神というのは、自我の枠に満たされた魔力のことですみゅ」
「はぁ?」
「肉体を構成する物質が新陳代謝で絶えず入れ替わっているように、精神を構成する魔力も常に、感情という形で吸収・放出されているんですみゅ〜。だから『これが精神だ』とかいう一定の具体的な答はありませんみゅ」
見かねてチエリが、水の入ったコップを持って、口を挟んだ。
「これに例えるとわかりやすいだろう。コップがまず肉体とそれに宿る自我だ。そして水が魔力。無形であるはずの魔力は、自我という器を得ることによって初めて独自の形を持てる。この、コップに水が満たされた状態のことを指して“精神”と呼ぶわけだ」
チエリはコップの中の水を桶に捨てた。
「魔力が空になったところで、精神自体がなくなるわけではない。またすぐに周囲の世界から補給することができる。──そして、このコップ。ただのガラス板をコップとは言わんし、これと同じ形の泥の固まりも、コップではない。概念と実体、形相と質量とが揃って初めてコップとなる。肉体と精神が切り離せないとは、そういうことだ」
「アンデッドも例外ではありませんみゅ〜。人が死ねば、肉体は土に還り、精神は世界に溶けて混ざり世界を構成する魔力の一部となりますみゅ。アンデッドとは、精神を失った肉体に、再び仮そめの精神を宿らせたものなのですみゅ」
解説役としての対抗意識を燃やしたのか、縛られたままのルージャも口を出した。
「ただ、しょせん人工の精神では、本物のように複雑な人格を持たせることなどできません。だからアンデッドは、目にした者に襲いかかるとか、そういった単純な行動しか取れないんですよ。それがアンデッドを不気味な化け物にしている原因ですね」
「じゃあ」 ユウキが言った。「これまでの話によると、誰かがあのアンデッドを作りだした、ということか」
「はい、そうですよ。アンデッドが自然発生することはあり得ません。誰かが裏にいるのは間違いありませんね」
「でも、この学園じゃ
死霊術 は教えてないはずだよ?」( 「‥‥そうでもありませんみゅ。死霊術というのは、
魔技術 の一種なのですみゅから」( 魔技術とは、マジックアイテムを製作したり武器に魔力を込めたりといった系統の魔法である。確かにこの学園には、魔術師科と平行して魔技師科というクラスが存在する。
「たとえばゴーレムを作ったりするのも魔技術ですみゅ。アンデッドとゴーレムとは本質的には同じものですみゅ〜」
「僕たちが試練場で戦った動く石像もそうですよ。何らかの物体に仮の精神を与えて動かすわけです。‥‥ただ、人間的な動きを再現できるほどの高度なボディを作るのは大変ですからね。ならば最初から人の身体を使えばいい──そういった、倫理を無視した合理主義から生まれたのが死霊術なんですよ」
「‥‥つまり、魔技師科の教師か生徒なら、アンデッドを作るのは充分に可能なわけか」
「この学園の生徒は、そんなことはしませんみゅ〜」
「俺は可能性の話をしてるんだ」
ユウキはそれほど強い調子で反論したわけではなかったのだが、ラビテイシアはビクッとして完全にカーテンの中に隠れてしまった。
「すみません、ごめんなさい、もう口答えしませんみゅ〜」
「‥‥‥‥」 ユウキは呆れて話を中断した。
「ラビテイシア様!」
チエリがユウキたちをにらむ。
「そら、これだけ聞けば手掛かりとしては充分だろう。とっとと帰れ」
ユウキたちは、小屋から追い出された。
「どうする、これから?」
「そうだね‥‥。あっ、アスカ、それはここの猫でしょ」
アスカはさっきの子猫を抱きかかえたまま外に出てきていた。
「連れて帰ったらダメ?」
「ダメ」
「ちぇっ」 アスカはしぶしぶ猫を放した。その様子を見て、アーリィが聞いた。
「猫、好きなの?」
「うん。イザヨイの里でも飼ってたんだよ。名前はミケ丸っていうの。‥‥元気にしてるかなぁ」
飼い猫の心配をするアスカの言葉を聞いたアーリィは、ふと気付いた。
「そう言えば、アスカの家族ってどうなってるの? 聞いたことなかったけど」
「ばあちゃんがいるよ。あとミケ丸」
「‥‥お父さんと、お母さんは?」
「死んじゃったよ。ずっと前に」
アスカはさらっと答える。さすがにアーリィたちも驚いた。
「そう‥‥ごめん」
「どうして謝るの?」
「だって、悪いことを聞いちゃったって言うか‥‥」
「どうして悪いの?」
「悲しくなるでしょ、思い出したら」
アスカは首を左右に振った。「ううん、別に。忍びに情けは無用だもん。アスカたちは小さい頃から、そういうふうに“せいかくきょうせい”されるの」
性格矯正。イザヨイ一族の里では、子供たちにまず、自分や肉親の命と他人の命が同じ重さであることを教える。
ここまでは珍しいことではない。違うのはそれからである。
──だから肉親が死んだとしても、それは赤の他人が死んだのと同じで、悲しむ必要はない。
そのように教え込むのだ。そして実際、多くの親族が彼女たちの周りで命を落としていく。平たく言えば、死に対する感覚を鈍らせるわけである。そして最終的には、自分の命さえも自分の物とは思わなくなる。
「それって‥‥」 言葉に困りながら、アーリィは言った。「‥‥苦しくないの?」
「ううん。だって、泣いてるより笑ってるほうが楽しいもん」
「アスカ‥‥」
と、アスカがふらりとよろけて、アーリィにぶつかった。
「アスカ? どうしたの?」
様子がおかしい。
「‥‥頭が‥‥痛い‥‥」
「アスカちゃん、大丈夫?」ティーナがかがみこみ、頭を撫でてやる。
「‥‥うん‥‥時々、こうなるの‥‥」
アスカはしばらく頭を押さえていたが、やがて顔を上げた。
「うん、もう平気だよ」
「ホントに平気? 寺院で診てもらったほうがよくない?」
「夜ふかしのせいじゃないか? もうけっこう遅い時間だしな」
ユウキが言う。そう、同じラグナロック学園の生徒とはいえ、アスカはまだほんの十歳なのだ。
「じゃあ今日はこれで解散しよう。明日の待ち合わせは‥‥」
「別にいちいち決めなくてもいいんじゃない。いつもどうせ、昼に食堂で顔を合わせるでしょ。自然とね」
「それもそうか。‥‥それじゃ、また明日」
* *
「──って言うか、皆さん僕のこと忘れてるし」縛られて床に転がされたまま、ルージャは言った。
* *
アスカを幼年寮に送り届けたあと、アーリィとティーナは女子更衣室に入った。男子に比べれば女生徒は少ないとは言え、全学年が使うのでかなりの広さである。放課後から訓練用迷宮『学園長の試練場』にでも挑戦していたのか、着替え中の鎧姿の少女たちが、そこそこの場所を占めていた。「あーあ、革鎧って、すぐに汗臭くなっちゃうなぁ」
消臭スプレーをふりかけ、鎧を自分のロッカーにしまう。そして入れ替わりに着替えを取り出す。冒険のときに着る服と普段着とは、アーリィでも区別して使い分けている。
服を脱ぎ、下着だけの姿になったとき、並んだロッカーを隔てた向こうのほうで、ピンク色の悲鳴が幾つも立て続けに上がった。
「きゃーっ!!」
持ち前の野次馬根性を発揮し、アーリィはあられもない格好のままそちらに駆けだした。
「あ、アーリィさん。何があったんでしょうか?」
あらわな肌を、脱いだローブで覆うようにして、ティーナが走り寄ってくる。
「さあ‥‥?」
その答を告げる悲鳴が起こった。
「チカンよーっ! 誰かーっ!」
(‥‥痴漢‥‥?)
女魔術師や女剣士のタマゴがごろごろしているここで痴漢行為を働くとは、見上げた助平根性だ。
更衣室の入口辺りに、確かに一人の男がいた。手に抱えきれないほどの女性の下着を持って。
誰かが魔法を放った。怒りと羞恥のパトスによって増幅されているであろう火球をくらっても、男はまるで意にも介さなかった。彼は身をひるがえし、そのまま逃げ去った。
「まさか‥‥!?」
アーリィたちはその後ろ姿に、思いきり見覚えがあった。
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