血染めの愛と、哀しき正義
「アスカちゃん、無事なんでしょうか?」「ゴーレムが死んだったってことは‥‥アスカが勝ったんじゃないの」
「それはどうかな」 クラウドが言った。「アスカに忍者としての才能があるのは認めよう。あのイザヨイ流忍法とかいう怪しげな術もあるしな。‥‥だが、一人でゴーレムを仕留められるほどの戦闘能力があるとは思えない。そもそもそんなに好戦的な性格ではないはずだ。あのガキを見て『戦う』とか『敵を倒す』とかいった言葉が思い浮かぶか?」
確かにクラウドの言うことももっともである。彼のあとに続いてユウキも言った。
「俺もクラウドに賛成だ。ゴーレムは俺たちの力を探ることが目的だった。当然、戦って倒されることも想定していたはずだ。でも紫は『しくじった』と言った。何かもっと予想外の出来事が起こったに違いない」
「何が起こったっていうの」
「それはわからない。ただ言えるのは、まだ気を抜いちゃいけないってことだ。──こういうふうに」
ユウキはいきなり後ろに飛びのいた。どこからか飛んできた一本の矢が、彼の鼻先をかすめ、壁に突き立った。
「誰っ!?」 アーリィは声を上げた。
「ご挨拶ね。仮にも友達に対してそれはないんじゃない?」
現れた女生徒の姿を見たアーリィは、目を疑った。
「‥‥パ、パイ‥‥」
パイは再び手にした弓に矢をつがえると、アーリィめがけて放った。
「パイ! どうしてこんなことするの!?」
矢をかわしながら、アーリィは叫んだ。自分を殺そうとするほど、パイは怒っているのだろうか。そもそも、なぜ彼女がこんな所に来ているのだろう。
「アーリィ。あたし、あんたが憎いわ」
明らかに狂気を浮かべた表情で、パイは言った。
「あんたを殺したら、きっとすごく気持ちいいと思うの。ねえ、だからお願い。死んでちょうだい。友達でしょ」
パイは唇を歪めて笑った。その手は、奇妙に小刻みに震えながらも、しっかりとアーリィに狙いを定めている。
「アーリィ、その子を知っているのか?」
ユウキがそう尋ねると、パイは今度は矢をユウキに向けた。
「そう、あなたも憎いのよ、勇者さん。アーリィなんかのどこがいいの? あたしは、こんなに憎んでるのに」
「パイ‥‥本気なの‥‥?」
その横で、クラウドがカードをかまえた。アーリィは慌ててその手を押さえた。
「待ってクラウド! パイはこんなことをするような子じゃない! きっと──何かに操られてるんだ!」
「そのぐらい俺にもわかる。操られているのだとすれば、肉体を戦闘不能に追い込むのが最も簡単な解決策だ」
「そうですよ、アーリィ先輩。気持ちはわかりますが、今はそれしか方法がありません。おとなしく殺されてみたところで、あの人は救われませんよ」
パイはゆっくりとアーリィたちに歩み寄りながら、言った。
「そうよ、アーリィ。あたしはあんたが死ぬところが見たいだけよ。だから何をされてもやめないわ。すごく、すごく殺したいんだから」
「パイ‥‥」
──パリーン!!
そのとき、アーリィたちの背後で、派手な音を立てて窓が破られた。そして割れた窓から、季節はずれの桜の花びらが大量に舞い込んでくる。
「‥‥そんなことはさせないわっ!」
窓の外から、誰かの声が響いた。
[第十章 くノ一天使 リリシィ☆サクラ ]
「闇あるところ光あり! 百害あって一利なし! 誰が呼んだか名付けたか、愛と正義の忍法少女──」声と同時に、その何者かが室内に踊り込んできた。
「翼の代わりに希望を背負い、仮面をつけて舞い降りる! くノ一
天使 リリシィ☆サクラ、只・今・見・参!!」アーリィたちは、突然の乱入者に目を奪われ、状況も忘れ唖然として立ち尽くした。
年齢は、見たところ十六歳前後。フリルのついた淡いピンクのふざけた忍装束に加え、仮面舞踏会で使うようなバタフライ・アイマスクで目元を隠している。
(‥‥な、何者‥‥?)
皆、同じ思いだったに違いない。
リリシィ☆サクラと名乗る少女は、ぽーんと跳躍すると、軽くアーリィたちの頭上を飛び越えてパイの前に着地した。
「彼女たちを傷つけることは、このア‥‥もとい、このリリシィ☆サクラが許さないってカンジ?」
「‥‥邪魔をすると、あなたも殺すわよ」
パイは、謎の少女に矢を撃った。少女は左手の二本の指で、あっさりそれを受け止めた。
「忘れたの、ヒミカ? あたしは八方からの矢をさばく修行を、小さい頃からしてきたんだから。確かによくサボってたけどね」
少女は矢を投げ捨てると、次の瞬間、目でも追いきれぬような速さでパイの懐に入り、彼女の服の胸元をつかんだ。
パイの身体がふわりと宙に浮き上がり、綺麗な弧を描いて床に叩きつけられた。見事な背負い投げである。
「わかったでしょ、ヒミカ。その人の身体を使ってたんじゃ、絶対にあたしには勝てないわ。さっさと出てきたらどう?」
「ふ‥‥ふふ‥‥」
仰向けの床に倒れたままのパイの声音が変わった。
「さすがは一族きっての天才児よ。私が最高の依り代として目をつけただけのことはある。‥‥そうやって私を挑発し、この身体から誘い出すつもりだろう。その手には乗らんぞ」
「あのねぇ。人のものを勝手に借りるのは悪いことでしょ。どうしてそーゆーことするかなぁ」
「ハッ。余裕ぶってみせても無駄だ。お前には無関係なこの女を倒すことはできぬし、仮にそうしたとしても私が死ぬわけではない」
パイは、その場に跳ね起きた。
「私はお前の身体を必要としている。そしてお前は私を倒すため、私を追いつづけなければならない。けっきょく、私とお前は互いに離れられないのだ。おとなしく私の支配下に入れ」
「やだ」 少女はあっさりと答えた。「あなたこそ、いくら強がってもあたしの肉体を傷つけることはできないでしょ。これこそがあなたのいちばん欲しがっているものだもんね。ホント、あなたとわたしはとことん腐れ縁ってわけね」
「お前自身を傷つけなくとも方法はある。たとえば、お前の後ろの四人を殺すと脅せばどうだ?」
「そんなこと──」
言いかけてから、少女はアーリィたちのほうを振り向いた。
「四人?」
そこに立っていたのは、アーリィ、ユウキ、クラウド、ルージャの四人。──四人だけ、である。
「嬉しいです。アーリィさん、そしてパイさん‥‥ようやく、お役に立てるときがきましたね」
今度はパイが慌てて背後を振り返った。ティーナがそこに立っていた。彼女の手には一枚のカードが握られている。
「『法王』のカードよ、その秘めたる知恵を我が手の中に」
ティーナの手の甲に、無数の細かい文字や記号が、青白く浮かび上がっていく。ティーナはその手でコインを握りしめた。彼女の掌の中から温かい光が溢れだし、パイの身体を包み込んだ。
ルージャが、珍しくクラウドに質問した。
「今の術は、いったい‥‥?」
「オリジナル・マジック。アンデッドを解放する“破邪輝法”の応用で、あの娘の身体を支配している力を断ち切ったのだ」
カードに内蔵された呪文を一時的に吸い出し、アレンジを加えて発動させる。それはかなりの高等技術である。
むろんティーナにはそれだけの才能があった。しかし、およそ自主性や独創性とは無縁だった彼女が、それを成功させたのだ。
「──殻を一つ破ったらしいな、ティーナ」
光が消えると、パイは糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
「パイっ!」
「待ってください、アーリィ先輩。あれを!」
パイの全身から、黒い霧が染み出してくる。その霧は空中で一つにまとまった。
「一種のゴースト、ですね。」
ルージャがつぶやく。
「強い怨念や未練のために、肉体が滅んでも自我を保ち続ける精神。スケルトンやゾンビとは対極のアンデッド‥‥それも、かなり悪質で強力な奴のようです」
「そう。あれが、ヒミカ」 謎の少女は、じっとその霧を見据えたまま、言った。
そしてその霧が、不気味な声を発する。
<くっ、他の奴らを甘く見すぎたわ! 私はこんな所でやられるわけにはいかぬ!>
霧は、ちょうど水にインクを流したときのような様子で空中を飛び去っていった。
「待って、ヒミカ!」
少女はあとを追おうとし、それからふと立ち止まった。
「‥‥ありがと! あとはあたしにまかせて、おねえちゃんたちは帰って寝てちょーだい。それじゃ、またね!」
「おねえちゃん? またね?」
アーリィは、不審げに眉をひそめた。
「キミ、いったい‥‥」
「くノ一天使 リリシィ☆サクラ、その正体は桜吹雪だけが知っているの。‥‥じゃ、ばいばーい」
またしても、どこからともなく桜の花びらをまき散らしながら、少女は駆けだした。
「ちょ、ちょっと!」
アーリィは少女を追いかけようとしたが、しかしそのとき、またも窓のほうで物音がした。
「少し、遅かったか」
入ってきたのは、ヴァンパイアのシュラヴァート。そしてもう一人、変わった衣装をまとった見知らぬ美女。
「あんた‥‥どうしてここに?」
「アスカの精神の波長に異常を感じた。それだけだ」
「‥‥あんたって‥‥何者?」
「フッ。貴様ら人間には感じ取れんだろうな」
「いや、そうじゃなくて」
アーリィはロリコン吸血鬼の相手をするのをやめた。今はそれどころではない。
「それより、さっきの子を! あっ、でもパイの手当てもしなくちゃ」
「お待ちください。その前に、私の話を聞いていただけませんでしょうか」
シュラヴァートの後ろの美女が、初めて口を開いた。
「私の名はサヤカ。イザヨイ一族の頭領でございます」
「‥‥って、アスカのおばあさん!? でも、年齢が‥‥」
「これは、肉体の若さを保つ一族の秘術です。アスカが一人前になるまでは、老いさらばえるわけにはまいりませんので」
アーリィは、アスカの両親がすでに死んでいるということを思い出した。確かに、頭領の座を継ぐにはアスカはまだ幼すぎる。
「さきほど出会ったこの吸血鬼の方からお聞きしましたが、アスカはずいぶんあなた方のお世話になっているそうですね。かたじけのうございます」
「あ、いえいえ、こちらこそ」
深々とお辞儀するサヤカにつられて、アーリィも頭を下げた。
「世間的な挨拶をしてる場合じゃない」 ユウキが言った。「サヤカさん。やっぱり、さっきのはアスカなのか?」
「ええっ!?」 アーリィが声をあげる。
「彼女の言動と前後の状況から見て、そうとしか考えられないだろう。‥‥でも、彼女は間違いなく俺たちと同年代に見えた。あれも一族の秘術とやらなのか?」
「いま、全てをお話しいたします」
サヤカはユウキたちに向かって、静かに語りはじめた。
「あの子‥‥アスカが生まれたのは、十五年前のことでございます」
「十五歳! あのアスカが!?」
「やれやれ、人間はたかだか数十年で頭の老化が始まるからな‥‥。困ったものだ」
クラウドが聞こえよがしにつぶやく。困りものなのは彼のほうだ。
「全ての元凶となったのは、ヒミカです。ヒミカはそもそも我らの先祖、はるか昔の一族の長でした」
イザヨイ一族の歴史は古い。千年前──妖魔の第一次侵攻の際には、すでに世界にその名を知られていた。
頭領だったヒミカは、選択を迫られていた。イザヨイ一族はいかなることがあっても己のために戦ってはならない。忍びが命を賭けるのは、常に主君と認めた者のためなのだ。
しかしそのとき、世界は最大の危機に瀕していた。ヒミカはついに、掟を破り妖魔と戦うことを決意した。
「ところが‥‥味方の裏切りによって一族は窮地に陥りました。詳しい状況は今ではわかりませんが、妖魔の矛先をそらすための囮として利用されたのです。ヒミカは一族を逃がすためにただ一人で戦い、壮絶な死を遂げたと聞きます」
しかし、ヒミカの魂は滅びなかった。憎悪に満ちた悪霊となった彼女は、復讐のために一族の者にとり憑き、手当たり次第に殺戮をはじめたのである。
最後には、多くの犠牲を出しながらもヒミカは封印され、その封印はイザヨイの里で代々守られることになった。そうして長い年月が過ぎた。
「ところが五年前のことです。当時十歳だったアスカが、誤ってその封印を解いてしまったのです。解放されたヒミカはそのままアスカの身体を乗っ取ることに成功しました」
「‥‥あんなガキに解かれるとは、ずいぶんいいかげんな封印だな」
「クラウドっ!」
「しかし、『誤って』で済む問題ではあるまい」
「その通りでございます。全ては私たちの責任です。‥‥アスカの能力は私の予想をはるかに超えていました。だからこそ、ヒミカもアスカを宿主に選んだのでしょう。あるいは、最初からヒミカがそのように導いたのかもしれません」
「それで、どうなったの? アスカは?」
サヤカは、言いづらそうに口ごもった。しかしやがて再び話しはじめた。
「ヒミカは、まずアスカの両親を惨殺しました。そう、他ならぬアスカ自身の身体を使って、です」
「──!!」
「ヒミカが何を考えていたのか、私にはわかりません。私たち全員を殺すつもりだったのか、それとも他に目的があったのか。ともあれ、そこでヒミカは再び封印されました」
サヤカは、そこでまた言葉を切った。彼女は目を閉じた。そのときのことを思い返すためか──あるいは、涙をこらえるためか。
「アスカには兄が一人いました。名はヒョウガ。とても優しい子でした。‥‥そのヒョウガが己の命を捨てて、ヒミカを封じたのです。アスカの心の中に」
「それじゃあ‥‥」 ティーナが震える声で言った。「今まで、ずっと‥‥?」
「はい。それから五年間、ヒミカはアスカの中に封印されていました。言い方を変えれば、アスカ自身がずっとヒミカを抑えてきたのです。精神の力と、肉体の成長に向けられるべきエネルギーまで、全てをつぎこんで」
十歳のままの外見、幼稚な性格‥‥それらはいわば、封印の反動だったのだ。
サヤカは哀しげな表情でうつむき、床を見つめた。
「あの子の時間は止まったままなのです。──自らの手で両親と兄を殺した、あの日から」
「そんな! 殺したのはヒミカなんでしょ!」
アーリィを制して、ユウキがサヤカに言った。
「過去のいきさつはわかった。問題はなぜ今になって封印が解けたか、そしてこれからどうするかだ」
「ええ。私も嫌な予感がして駆けつけてきたのですが‥‥おそらく原因は、何者かがアスカの精神に干渉したせいではないかと思われます」
「──あのゴーレムか」
ゴーレムがティーナたちに仕掛けたような精神攻撃。アスカの場合は、それが封じられたヒミカを解き放つ結果となったのだろう。
そして今、アスカ自身も解放された。本来の、十五歳の少女としての心と身体を取り戻したのだ。
「アスカ‥‥」
アーリィは、アスカが去っていったほうを見つめた。まさに想像を絶する過去だ。あの無邪気な少女が、そんな悲劇を背負っているなど、考えもしなかった。
「気づいてないことばかりだったんだ‥‥みんなのことも、アスカのことも‥‥」
けれどもアーリィは、決然として顔を上げた。
「でもまだ、遅くないよね」
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